(2)
任務の合間、保管庫に忍び込んだ009は、ケースの暗証キーを解除してそっと蓋を持ち上げた。
中に横たわる長いサーベル、そしてマント。
主から引き離され、長い眠りを余儀なくされた二つの死の色の華。
009はそろりと手を伸ばし、サーベルの鞘に触れた。たちまち感じるぞっとする冷たさは主の長い不在を想起させ、指先の体温を奪った。
かつて眼前で死んだように眠る彼をずっと見ていた様に、今009は彼の魂の一分であろうサーベルを深く見つめる。
リア。彼がメンテナンス室を出て三日になる。
B.Gから帰還して以来、自分は文字通り常に彼の元にあった。仲間に心配どころか批判すらされても、自分は彼の心の奥底が知りたくて、
・・・・・ただただ知りたくて、そして生きて欲しくて、心臓に刺さった儘抜けない鋭い刃の疼きに耐えながら、彼の心の周囲をずっと彷徨い続けた。
ようやくあの日、望みは叶えられたのかも知れない。だがそれは余りに僅かで、半分にすら届かなかった。
そして遅すぎた。
互いの魂の一片を曝け出した時、それは彼の死の予兆を知る時だった。
二人が過ごした短くも濃い時間は、今後目の当たりにする宿命に対する対価だったとでも云うのだろうか。
指をつつと動かして真っ直ぐな鞘をなぞり、華麗な装飾の施された柄に辿り着く。何度も目にしていた筈なのに、彼の人の分身たるこの逸品の細部には今まで
殆ど注意を払った事が無かった。それは彼の暗く発光する瞳や、風を操る様に優美な挙動が、一番に心奪われる対象だったからに他ならない。
柄に幾つか嵌め込まれた丸い宝石は、彼と瞳と同じオニキスだった。薄暗い中で澄んだ冷たい光を放つ黒い宝石、まるでそれ自体が命を持っているかの如く、痛
い程、自分を真っ直ぐに見つめて来た。戦場で、独房で、いつも彼がそうして来た様に。
恐る恐る触れてみると、その余りにまろやかで優しい感触に驚いた指がぴくりと跳ね、同時に体の隅々まで不可思議な感覚が駆け巡った。
それは恍惚と言っても良かった。だが次の瞬間とてもいけない事をしている様に感じて指を離してしまった。彼の一部に無遠慮に触れてしまったかの様な罪悪感
だった。
009は目を伏せ二つの品の上に突っ伏した。
なぜあの日、自分達は戦場で巡り会わなければならなかったのだろう。同じサイボーグとして第二の生を与えられながら、なぜ宿命で持って引き裂かれなければ
ならないのだろう。
月の光が結びつけた魂は、あの時永遠の一瞬を約束したのでは無かったか?
生きて行く事の意味を、共に知った筈では無かったか?
愚か者よともう一人の自分が囁いている。己が立場をわきまえていれば、ここで血色の涙を流す必要なんて最初から無かった。
すべては空しい願いだった。神と悪魔が互いに顔を変えながら仕組んだ物語、だとしたら今の自分にはもう呪う事すら出来ないのだ。
作業を終えてエンジンルームから出た004は、デッキへの階段をふらふら上がって行く009を見つけて彼の後を追った。
ドアから顔を出すと潮の香りが溶けた夕暮れの風が優しく吹き付けて来た。柵に凭れて頬杖を付く009の背中に揺れる黄色いマフラーが、
004の体を引き寄せる様に、眼前に大きくたなびいた。
彼の隣に並んで同じく柵に体を預けた。
「・・・・後どれくらい掛るのかな」
009は空の情景から目を離さずに呟いた。
「恐らく三日、上手く行って二日ってところか・・・・」
ふたりの目の前で夕暮れはどんどんその色を変えて行った。薄い赤と濃い紫に染まった雲が空の半分を覆っている。真円の太陽は水平線の近くで燃え盛り、ま
るで海に攫われまいと必死に抗っている様に見えた。
「君は呆れているだろうね」
009は再び呟いた。004は意味を解しかねた。
「・・・・お前さん、妙な事を言うんだな」
「今の僕の、正直な気持ちだよ。僕は何の役にも立たなかった。結局君は正しかったよ」
穏やかな口調の中に僅かな自嘲の響きがあった。
「俺だって最初から何もかも分かっていた訳じゃ無いさ。・・・・まあどっちにしろ、事情がどうであろうと、
俺達は始めから出来るだけの努力は惜しまなかっただろうよ」
004は両肘を手摺に付いて背中で柵に凭れ直した。自然と見上げた空は、東の方向から夜が導かれつつあった。高い木々の間から、真っ黒な鴉が数羽飛び出し
て、甲高く鳴きながら夜の方角へ点々と散って行った。自ら闇の彼方に飛び込んで行く様に。
「まだ終わった訳じゃない。これからどうなるのか、半分成り行きに任せるしかないだろうが、手をこまねいて見ているよりはずっとマシだろうさ。・・・・
ただどんな結果になるかは正直分からんがな・・・・」
「・・・・本人次第だと?」
「あいつ次第だ」
囚われた様に009はに黄昏を見つめ続けた。頬に掛る髪を時折鬱陶しそうして瞬かせるその目に、実は何も映していない事は004にもよく分かっていた。
彼は時折驚く程大人びた表情を浮かべる事があったが、今の彼の目に浮かんでいる物はもっと老成し、ある意味神秘的とも言えた。
自分がいつも見ていた少年は何処へ行ってしまったのだろうと004は考えた。危なっかしい十代の、透明な笑顔を湛えたあの少年は?
009はつとこちらを向き、ゆっくりと瞬きをした。合わせて揺れる長い睫毛は彼の中で息づく思いを隠そうとしている様だった。
004は手を伸ばして彼の頬を、唇をくすぐる髪をかき上げた。更に髪に手を差し入れて小さな頭を撫でる様に包み込み、ごく自然な動作で彼を胸に抱き寄せ
た。
009は殆どされるが儘になっていた。
ひんやりした海風が二人の体を纏めて包んだ。いつの間にか深まりつつある秋の風だった。頭上では昼と夜が二人と同じ様に重なり合い、溶け合おうとしてい
た。
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