月は夜ごと海に還り
(4)
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「 ・・・この状況で、何か・・・違わない?それ」
「大事な事だ」
・・・・・009は大きな目を点にして絶句し、相手の顔をまじまじ見つめた。
004はアイスブルーの瞳をキッと引き締め、文句あるか、とでも言う様に、ひるむ事無く堂々と自分を見返して来る。
今度は009が溜め息をつく番だった。
009は思いきり脱力し、呆れて相手の腕を振り払った。
「結局、君はそれなのかい!?」
「開き直るつもりか?悪いのは誰だ?」
「・・・っって、そうだけど!!」
それはほんの一分前の事。
殺伐とした一時の沈黙の後、まだ怯えて震えていた009に静かに近付いた。
殴られるのかと再び身を竦めた彼を004はふわりと抱き締めた。
そうして驚く009のさっき自分が乱暴に掴んだ肩を優しく撫でてやり、許しに望みを持っておずおずと腕に縋りついて来た相手に彼は言った。
『009、判っているだろうがこれだけは言っておく』
そして胸に顔を埋めてうんうんと神妙に頷く009に、はっきり言い放ったのだ。
『お前さんが服を脱ぐのは風呂の時と着替えの時、それから俺と一緒に居る時だけだ!!!』
・・・・・・・・・・・・・・・・???
・・・・・・ハアアァァァ・・・・・・・・???・・・・・・・・・???
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「・・・まったく、見知らぬ奴に堂々と裸を見せるなど、羞恥心の欠片もない、言語道断もいい所。そもそもお前は自分の恋人がこの俺だと云う自覚が少し足り
ないんじゃないか?だいたい002にだってしょっちゅう平気で体を触らせるしだな・・・」
えらそうに仁王立ちになって、次々畳み掛ける様に責める相手に、009は理不尽な思いでむかむか腹が立って来た。
「今日の事は偶然だろ!それに『平気で体を触らせる』って誤解を招く様な言い方しないでよ!だいたい何でここで002が出て来るのさっっ。彼のは僕ら仲間
内の、単なるふざけ合いじゃないか!」
「それが言語道断なんだ!!」
さらに続けてくどくど『罪状』を並べ立てる相手に、『今はそんな事関係ないじゃないか・・』と言い返したいのをぐっとこらえて、代わりに009は深い深
い溜め息をついた。論点がズレまくってしまっている彼に何を言っても仕方がないのだ。もともと器の大きく、それでいていつも傍観者的な冷めた態度で大人の
余裕を漂わしている004ではあるが、実は時折恐ろしく自分本位で嫉妬深い事を009はよく知っていた。
けれどまさか、こんな時までとは・・・
さっきまでの右手のマシンガンさえ火を噴きそうな殺気は、すっかりネチネチした執拗さに変わってしまっている。
「あーもう、判ったよ!今日の事は僕が不注意だった!反省してる!・・・っって、これでもういいだろ!僕は寝るからね!おやすみ!」
半ばやけになって叫ぶと009はドアに向かってくるりと踵を返し、ずかずかと出て行こうとした。
「おい、話はまだ終わってないぞ!!」
「・・・もう明日にして!!!
ドアの直前で、背後からものすごい力で抱き竦められた。
「 ・・・ちょっと何、004!」
009は振り払おうとした。
相手は何も言わない。代わりに廻した腕の力を強くし、009はそこから相手のあるひとつの意思を敏感に感じ取って、体を強張らせ戦慄した。
なぜこんな時にこんな事を・・・!
今夜の004はどうかしている。
「な・・・やめ・・・」
髪に唇が押し当てられ、そこからこめかみをすべり、ゆっくり耳へと移っていく。
耳の形通りに正しくなぞられ、耳朶へ辿り着くと、そこでいったん動きが止まった。震える体に鞭打って、腕から逃れようと身を捩る。
「・・・ジョー・・・」
熱い吐息と共に、名前を呼ばれた。
「・・・ジョー・・・」
もう一度、今度はもっと掠れた声で。耳朶を唇で擦られて熱くなった所で舌が耳の奥にさし込まれた。
(・・・あっっ・・・)
湿った唾液の音をさせて乱暴にかき回され同時に熱い息を吹き掛けられる感覚に、声にならない叫びを上げた。
鋼鉄の片手でマフラーが器用に解かれ、それは螺旋の形にはらりと床に落ちる。露になった白い項に唇が強く押し当てられ、執拗に這い回った。
「 は・・・あぁ・・・」
必死で堪えていたのに遂に声が漏れて、009は自分で愕然とした。喉が、体が震えてのけぞる。
ふっと背中が涼しくなったかと思うと、防護服のジッパーが降ろされており、項からそのまま下に降りて裸の背中にくちづけられ、舌が、唇が背骨に沿って這
わされた。
「・・・閉じ込められた空間に、手を伸ばせばすぐ届く所にいつもお前が居るのに触れられないなんて、俺にとっちゃ生き地獄そのものだ・・・」
くぐもった声が背中の皮膚を震わせた
「 あぁ・・・ん・・・アルベルト・・・お願い、駄目、駄目だよ・・・ここは・・・今・・は・・!」
必死で息を継ぎながら、切れ切れに懇願する。が、おかまいなしに愛撫は続けられる。
もともとドルフィン号内やミッション中は常にお互い仲間としての節度を保っており、偶然ふたりきりになるような事があれば軽いキス程度はかわすことはあ
るものの、それ以上の事は決してしなかった。特に話し合って決めた訳ではなかったが、お互いの性格の固く融通の効かない真面目な部分が自然とそうさせてい
たのだ。
それなのに。
長いこと触れられていなかった体は、こんな僅かな愛撫で恥ずかしくなる位すぐに熱を上げてしまった。
「ねえ、・・・誰かに見られたら・・・!」
もし見られたら、声を聞かれたら。
ドルフィン号内の各自の部屋には、強固な防音設備が備えられているからそんな心配は必要無いのだが、それでも009は気が気でない。ついさっきまでの言い
合いの時は、そんな事全く思いつかなかったのに。
くらくらと血が昇る頭の隅で009は思い出した。
自分だけでなく、004も今夜の月を見ていた事を。
体が反転して、背中を乱暴にドアに押し付けられた。
「見知らぬ奴にさらし、月にさらし、お前さんは裸を見せるのが好きじゃなかったのか?」
脚が、宙にぶらぶら揺れる感覚に意識を持って行かれそうなのがつらくて、009は恋人の腰にぎゅっと巻き付けた。
今自分は壁と恋人の腰にしっかり挟まれて持ち上げられ、宙に浮いて揺さぶられているのだ。
自身の重みが直接掛かって、相手の熱を深く深く銜え込む。初めての体位に最初は羞恥と戸惑いがあったものの、粘膜同士が激しく擦れ合い、奥の奥まで掻き
回される快感に、すぐに酔ってしまった。カラダでは到底逆らえない事を、恋人は知っている。
009は相手の首に縋り付いて、声が枯れるまで何度もか細い悲鳴をあげた。
ゆらゆら揺れる体。
奇妙な浮遊感。
水の中を自由に漂った時に感じた物と全く同じ。
裸の体を隅々まで撫でていった冷たい水と白い光。今、喘ぐ自分の恥ずかしい姿を熱を帯びて見つめる恋人の瞳は、あの時全身を隈無く照らした鏡色の月。それ
が突然ぴしりと割れて夜空に飛び散り、鋭く尖った欠片が自分に向かって高速で放たれ、一瞬で脚先から頭の先まで貫いて、体の中にひりひりと焼けつく痛みと
衝撃を残して行った。
確かに見た。自分に向けて一瞬光った、夜空の様に暗く、鋭く輝く瞳の色を。
あの時は冷たい水で今は肉の熱で剥き出しになった細胞の、ひとつひとつの感覚。
羞恥と快感。背筋の凍る恐怖と沸点寸前の体温。
焼けた鉄の様に熱く、冷たい。
朦朧とした頭の中で、何もかもがすべてどろどろに溶け合う。
さらに影は。
揺れる度に自分の体を引き裂き,ばらばらにして。
血が溢れて、滴る。
・・・月に誘われたのは、お前だけじゃない・・・
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