(4)
北から運ばれる乾いた冬の匂いが日一日と濃くなった。木々の葉は散り急ぎ、風に乗って我先にと土へ還ろうとしていた。
あれから二人の間は何も変わらない。というよりも日々慌ただしく擦れ違いを余儀なくされていたので、変わり様が無かった。
そんな中、北部のある拠点を目指すのに隊を二つに分けて進む事が決まった。別々に山地と川沿いを行き、某藩の領地に入った所で合流する
計画だった。
畳の上に広げた地図の周りに主だった者達が顔を突き合わせてから、あれよあれよと話は進み、その中で桂と銀時は別々の部隊に属する事に
なった。
桂が顔を上げると銀時も同時にはっとした表情で顔を上げ、地図を挟んで二人の目が合った。
「おまんら二人離ればなれかー仲良しさんが、こりゃ寂しいのー」
坂本は隣の銀時の腕をばしっと叩き、銀時はいつもの調子でそれを軽く振り払った。
桂は再び地図に目を落とし、
「・・・・では各部隊の具体的な人数なんだが、」
と会議を続けた。
屋敷中の部屋部屋が出発を控えて仕分けられた荷物で溢れていた。
一覧表と照らし合わせながら目の前の荷物を一つ一つ確認していると、
背後の襖から誰かが入って来る気配がした。
桂はさっきまで一緒に作業をしていた仲間が戻って来たと思い、紙から目を離さずに口を開いた。
「さっきの五番の札の箱だがな、あれはやはり貴様が言ってた通り、明日届く荷物と一緒に最後に積んだ方が良いかもしれぬな」
「じゃ、これも一緒に積んでってくれる?」
振り返ると、銀時が抱えていた大きな木箱をどさりと畳の上に置いた。
「こんなの明日中に全部整理出来んのかよ。寝る間も惜しんでなんて俺ぁごめんだからな」
銀時はぐるりと部屋を見渡し、傍の木箱の一つを軽く蹴った。
「・・・・明日の荷物が遅れなければ良いがな」
言いながら桂は紙に再び目を落とす。
「それだけど、大分ぼられたって話だぜ。他に仕入れ先が無いからって足元見やがって」
銀時は畳にごちゃごちゃ置かれた箱や行李を傍らにどんどん脇に積み上げながら近付いて来る。
「おいあまりいじるな。順番が狂うからな」
「どうせほんのひと月後にはおんなじ場所に着くんだぜ」
「僅かの間でも不便な思いはしたくないだろう」
桂は相変わらず荷物の確認を続けながら言った。
「いつも空気読まないうざいお前の顔見なくて済むのが、たったのそれだけなんてな」
「予定通りとは限らんぞ。道中何があるか分からんし、」
手にした紙の上に銀時の影が落ちた。
奥の荷物を調べる振りをして体をそちらに向けると、銀時は素早く桂と荷物の間に割って入った。
銀時が桂の顔を覗き込み、桂がさり気なく俯くと、二人の額がこつんとぶつかった。
「ひと月だってよ、たったの」
「だから予定通りとは・・・・」
二人はぼそぼそと囁き合った。
銀時はその囁き声をすくい取る様に唇を桂のそれに押し付けた。
すぐに目を閉じてしまった自分が、桂は少し悔しかった。
出発の朝は慌ただしい。
ごった返す部屋部屋や庭先で、時折銀時の姿がちらちら見えてはすぐに行き交う仲間や荷物の影に隠れて桂の視界から消えた。
二人はその日別れるまで一言も言葉を交わさず、顔を突き合わせる事も無かった。
皆、道中の無事を祈り合って、部隊は暫しの拠点だった屋敷を離れた。仲間の背中や軍旗に隠れて銀時の姿は見えなかった。
生まれて初めての二人の別離で十一月は始まった。
離れてしまえば却って心が楽になった。今自分がやるべき事は隊を守り、一人も欠ける事無く無事に目的地に辿りつく事だ。
そしてもう一つ、坂本の誕生日が迫っている事も忘れなかった。
以前何かの店でおまけとして貰った黒地に白い雪花紋の美しい手拭が、まだ新品の儘で置いてあった。
色々考えた挙句、それで巾着袋を作って贈り物にしよういう算段で、今回皆が寝静まった時間など、行軍の合間を縫っては針と糸を手にし
た。
高価な品を準備する事が状況的にも金銭的にもやはり不可能だったからだが、細々とした物を纏めておけるこういった巾着の類は特に移動の
多い生活では何かと便利な物だし、
それに先月の銀時の誕生日の贈り物がどうやら上手くいったらしいと、小さな自信をつけての事でもあった。
四方を縫い、口に組紐を通して出来あがり。
仕上げを終え、両手で高く掲げて一人完成を祝った桂だったが、その儘の姿勢で眺めている内に、
自信と喜びが空気の抜けた風船の様に見る見る萎んでいくのを感じた。
一部職人の手が入っていた例の小帷子とは違い、いかにも素人が間に合わせで作りましたと言わんばかりの、ただの手拭を縫い合わせただけ
の代物。
子供の夏休みの宿題じゃあるまいし、こんな物を贈ろうだなんて、馬鹿げているにも程がある。形が単純な分荒ばかりが目立って、
これじゃあ元の手拭をその儘贈り物にした方がまだましというものだ。
桂は項垂れたが、代わりの物を用意するにはもう時間が無かった。
ではどうするかと悩んでいたある日、立ち寄った朝市で、煙草売りが店を出しているのに出くわした。
坂本が喫煙者である事を桂は知っていた。なぜかこの自分の前ではそんな素振りを見せず、彼が吸っている所に桂が姿を見せると、
いつもすぐに消してしまうのだが。他の仲間と一緒に、或る時は一人でぼんやりと吸っている場面を見掛けるのは、特に珍しい事ではなかっ
た。
台に並んだあらゆる種類の煙草は、多くは労働者向けの安物だったが、名前くらいは桂も知っている高級な部類の銘柄もぽつぽつと並んでお
り、
その中の一つを指さして幾らかと尋ねてみた。
年配の店主が無愛想に答えた価格はやはりそこそこ高価で、一瞬悩みはしたものの他に良い物が見つかりそうにもないし、
多少足元を見られているとは思いながらも、思い切って三箱購入した。
仕上がった巾着を煙草袋という事にして買った煙草を中に入れ、ちゃんと燐寸も揃えておく。
後は開き直って十一月の十五日を待つ事にした。
山越えの隊列は冬へ冬へと深く分け入って行く。草木はかさかさと乾き、北風は薄灰色の雲を引っ切り無しに運んで、
十一月の空を更なる真冬の色に染め変えようとする。
山奥を進むにつれて泊まれる民家はほとんど無くなってしまい、否応無しに野宿が続く中、その夜桂の隊は岩肌に出来た洞穴で一夜を過ごし
ていた。
山に入ってほぼ七日、皆さすがに疲れていた。白湯が配られ、奥の岩陰で各々毛布に包まってじっとしている仲間は皆言葉少なだった。
夜中、日付けを越えてかなり経った頃、洞穴の入り口で見張りに立っていた坂本は、中の岩陰からそっと姿を現した桂を見て言った。
「あーまだ暫く寝ておけ。わしゃ何でかあまり眠れそうにないんでの」
「それは困る。まだ先は長いのだから、休める内に休んでおかんとな」
桂は坂本に近寄り、窓枠の様に開いた岩棚に並んで凭れ、外を覗いた。
すると坂本は、
「いや、やっぱり休みたくはないな。こうしておまんと二人きりになるのは久しぶりじゃ。暫く話でもせんか」
「では雑談のお共にこれはどうだ」
桂は隠し持っていた例の巾着袋を出してそっと手渡した。
坂本はきょとんとした顔をして、
「これは?」
「んと、中を見てくれ」
紐を解き、出て来た三箱の煙草を見て更に戸惑った顔をする相手に桂はやや躊躇いがちに説明した。
「今日は貴様の誕生日だろう。それで・・・・あの、おめでとう」
坂本は目を見開き、そして一瞬少しばつの悪そうな顔をした。と、おもむろに巾着を目の高さまで上げてまじまじと見つめた。
「これ、もしかしておまんが作ったか」
桂がぎくしゃくと頷くと、暗がりのなかで坂本の顔に微かに泣き笑いに似た表情が走り、彼はぎゅむと桂を抱き締めた。
「ありがとうな・・・・・最高のぷれぜんとじゃ」
何を贈っても彼はきっと同じ様に喜んでくれるのだろう。桂は少し安心して、吸ってみるかと尋ねた。
「ええがか」
「勿論。その為に用意したのだ。ほら、これも」
桂は巾着を探って燐寸を取り出して見せた。
燐寸の明かりが二人の顔をぼんやり照らしながら、桂の指先から坂本の口元の煙草へと灯された。
坂本は深呼吸でもする様に深々と吸い込み、外に向けて白い煙をゆっくりと吐いた。
「美味いぜよ」
「そうか」
「これはまっこと高級品じゃ。おまんも吸ってみるか」
好奇心で頷くと、坂本が新しく一本箱から出そうとしたので桂は止めた。
「いや、それは勿体ない。貴様のを一口貰えればそれで充分だから、」
坂本は自分の口から煙草を離し、そっと桂に咥えさせた。
吸い込んでふーっと煙を吐く様子が意外と堂に入っているので、
「おや、いける口だったか」
「遊びで何度か吸った事があ、」
言葉の途中でけふっと咳き込んだ。
「・・・・あるのだが、これはちょっときついな」
顔を顰めながら返して来る煙草を坂本は笑って受け取った。
坂本はゆっくり煙を吐き続け、桂は傍に並んで冷たい岩肌に寄り掛かり、二人は冷たく暗いばかりの夜空を眺めた。
「・・・・まさか誕生日を覚えてくれとったとは思わなんだぜよ」
「そうか?あんな高価な物を貰っておいて忘れる程俺は薄情ではないぞ」
「そうじゃのうて、ほら今はこんな状況だし、おまんは金時と離ればなれで人の誕生日など頭から飛んどったんじゃないかと」
「・・・・銀時・・・・・?」
「何でもおまんらがこんなに長く離れるのは生れて初めてとか」
あいつがそう言ったのだろうか。ちょっと大袈裟な物言いだと思ったが、確かに出会ってからは殆ど毎日顔を見ていた間柄だ。
「・・・・まあ心配じゃないと言えば嘘になるな。奇襲を受けるかもしれないし、高杉とつまらん喧嘩をしたりして皆の迷惑になっていやし
ないかとか・・・・でも、考えればきりが無い。命を落とさずに元気でやってくれればそれでいい。たったのひと月ばかりの事だ。互いに無事
だったらの話だがな」
「うん・・・・」
坂本は小さくゆっくり相槌を打ってから、
「・・・・うん・・・・」
少し間を開けてもう一度呟いて、そっと灰を落とした。
暫くして坂本は、手の中の巾着を持ち上げた。
「これ、大切にするからな」
いやそんな代物じゃないと桂は言い掛けたが、嬉しい様な恥ずかしい様な気持ちが溢れてしまい、
「うん・・・・」
とだけしか答えられなかった。
煙草の煙と二人の静かな語らいの夜。同じ様な夜はこれまでも、これからもあるだろうとは思っても、
次の十一月十五日が戦が終わった平和な時であったとしても、後に真っ先に思い出すのはやはり今夜に違いない。
さっと吹き込んだ冷たい北風に同時に寒っと声を上げて、二人は顔を見合わせて笑った。