(15)
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「そうか」
気が進まないながらも銀時が万事屋での山崎との一件を教えた時、正座してせっせと洗濯物を畳んでいた桂は、その手を止めもせずに、
人形の様に無表情な顔でそれだけを言った。
「・・・・・そんだけ?」
「それだけも何も、結局依頼は成立しなかったのであろう?だったら俺としても、貴様に何か教えなきゃならん義務も無かろうよ」
この胸の中は常時一点の曇りも無し、いつもの様に彼の顔にはそう書いてある。
だがよくもまあこの期に及んでさえそんな様子でしゃあしゃあと自分の前に出て来られたものだ・・・・正確にはこちらから
押し掛けたのだけれど・・・・・
銀時はしばらく黙って、胡坐をかいていた足を崩して行儀悪く投げ出した。
「そう言えばさあ、昨日ちらっと聞いたんだけど、多串君何者かに刺されて病院送りになったんだって。犯人はまだ見つからずだとさ」
桂は洗濯物の山から襦袢を引き寄せてひらりと広げた。
「多串・・・・・?ああ土方か。さすがに友達が真選組の奴は情報が早いな。言っとくが刺したのは俺ではない・・・・・」
急に言葉が途切れた。
桂は手の中の襦袢のある一部分を見つめていた。そこには洗濯で落とし切れなかったのか、不規則な形のごく薄く茶色っぽい染みがある。
銀時の目にも血の跡である事は一目瞭然だった。
「お前怪我なんてしてたっけ」
「・・・・・いや前にちょっとな。何度も洗ったのだが」
桂はさっさと襦袢を丸めて脇へと押しやった。すぐに何事も無かった様に洗濯物を畳む作業を続行したが、あの一瞬、
桂の顔は確かに凍りついていた。
銀時の頭の中で、ぼんやりとした幾つもの点と点が、ごちゃごちゃの図形を描きながら細い線で結ばれていった。
銀時は畳の上をすいと移動した。
次の洗濯物に手を伸ばそうとする桂の手首を捕まえた。
「な・・・・・に・・・・・!」
不自然な程に桂は驚いた。
「お前今何考えた?」
半ば予想外の反応に銀時も密かに動揺した。それを隠そうとして彼を拘束する手に無意識に力が篭った。
「痛っ!・・・・・」
「何考えた?あれは誰の血だ?土方か?山崎か?」
肩を掴んで揺さぶった。彼が抵抗するから自分も乱暴にならざるを得ない。
「貴様が・・・・・一体何を言っているのか・・・・・」
「俺もお前が分かんねえよ。敵の男に言い寄られてキスまでされて、ややこしい事になってもずっと平気な顔でいられるお前がな。
・・・・・自分はおろか相手の命までも危うくしておいて、弄ぶみたいにダラダラダラダラ、そんな図太い神経でのうのうと
生きていられるってのがな!!」
桂は強く絡みつく腕を乱暴に振り払った。間髪入れず銀時はそれを再び捉え、二人は勢い余って洗濯物の上に倒れ込んだ。
「そんな事して楽しいか!!いい加減目を覚ませ!!ヅラ!!」
銀時は桂の両手首を押さえてのし掛かった。
「違う・・・・・・!!」
桂は叫んだ。はっきりと傷ついた瞳をしていた
「あん、何が違うってんだ」
「貴様には・・・・・分からないのだ・・・・・」
「だから・・・・!!」
此処で状況が変わらなければ、殴っていたかもしれない。
「あいして・・・・・」
「・・・・・あい・・・・・?」
桂の瞳の中の氷がじわじわと溶け始める。
問い返しながら銀時の胸は水底に引き込まれる様にすうっと冷たくなる。
「『愛している』と・・・・・俺の事を好きだと、愛していると、そう言ってくれた」
溶けた氷が柔らかく歪み、一つ二つの輝く雫になって、銀時の目の前で瞳から零れ落ちて行った。
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「貴様、銀時の所に行ったらしいな。俺に会わせてくれと」
山崎は目を見開いた。
「・・・・・旦那が言ったんですか?」
「悪く思わんでやってくれ。あいつなりに貴様を案じての事なのだ。俺はあいつに散々叱られたが、それも当然だ。
自分がいかに愚かだったかを改めて思い知った。俺は貴様に甘えてしまっていたのだろう。傲慢にも、人を、貴様を
教え導ける様な立場のつもりでいた。貴様に会うたびにこれが最後と思いながらな・・・・・」
「甘えたからってそれが何です?」
山崎は膝で一歩畳の上をずいと詰め寄った。
「自分を好きでいてくれる人に甘えて何が悪いんですか?旦那が何を言ったか知りませんけど、そもそもあなたは俺の気持ちを
利用する事さえしなかったんですよ」
「それは・・・・・貴様にそんな事は出来ないと・・・」
「そうです。でも・・・でも・・・・俺としたら、ねえ、桂さん、あなたが俺に何も求めないなんて事はとても悲しくて
つらい事なんですよ。俺には何の価値も無いって最初から切り捨てられている様なものじゃないですか。情報を流すのでも何でもいい、
俺はあなたに求められ、必要とされたい、甘えられたいんです。それで幕府や真選組がどうなろうと、俺が死のうと生きようと・・・・・」
「ちょ、待て」
桂は慌てて遮った。
「冷静になれ。貴様自分が何を言っているか分かっているのか?真選組を潰すのか?仲間を裏切るのか?自分が死ぬかもしれないのに?」
「そうじゃない、好きな人に甘えられ、それに応えたいと思うのは自然な事だと言いたいんです。あなたが何も求めないから、
危険と迷惑を承知で俺はあなたに付き纏い、手紙だって何度も書いたんです。そんな人としての当たり前の感情さえ、
あなたは罪と名付けようとするから、あなたはこうして迷い、悩み、・・・・・俺は副長を刺してまで・・・・・!」
そっと桂が自分の口に人差指を当てて見せた。アパートの何処かすぐ近くで数人の足音がバタバタと聞こえた。
山崎は喉にせり上がった熱い物をぐっと飲み込んだ。
足音が通り過ぎると、桂は静かな水面をすっと撫でる様な柔らかな声で言った。
「・・・・もう何も言うな。落ち着いて少し休め。仲間を裏切るなんて結局出来ないのは、何よりも貴様自身が知っているだろうから
な・・・・」
桂の言葉が終わる前に山崎はゆらりと吐く。
「・・・・それはその時の、未来の俺が決める事です・・・・・でもねえ・・・・桂さん・・・・・何が悲しいって、あなたがあなたでいる限
り、
そんな未来は永遠に来ないって、今此処ではっきり分かっているって事ですよ・・・・」
山崎の体がぐらりと桂の方に傾いた。
はっと息を飲んだ桂を山崎は強い力で抱き締めた。
「・・・・っ・・・・待っ・・・」
「静かに・・・・・!」
鋭い声で山崎は囁いた。同時に向こうから再び幾人かの足音が聞こえて段々近付き、部屋の窓の直ぐ向こうにあるトタン屋根を踏む音が大き
く響いた。
彼を抱いた体を反転させて、山崎は自分が上になり傍らの蒲団に伏せた。
トタンを踏んで駆けるけたたましい音と共に、抜き身の刀を手に走り過ぎる男達の影がカーテンに大写しになって、
重なる二人の上にも次々と落ちて行った。
やがて足音は遠ざかり静かになったが、二人は起き上れない。山崎がそれを許さない。
深く彼の唇を重ねて奪い、二人で暗い夜の淵に身を投げようとしていたからだった。