(7)
真選組屯所には毎日大量の郵便物が届く。
幕府や大使館からの重要書類に始まり、細々とした請求書、各個人宛ての便りや荷物、ダイレクトメールの類に至るまでその種類は多岐に渡
る。
それらの郵便物は一旦別室に集められ、危険物の有無を外側から簡単に検査された後、当番の者が仕分けをして隊長から上のクラス分の物は各
部屋に直接、平隊士の分は玄関脇にある各自の郵便受けにそれぞれ配達される。
個人宛の郵便物の内容は、各隊士毎回だいたい同じだった。ラブレターらしき物でしょっちゅう郵便受けを一杯にする者がいるかと思えば、
私用携帯電話の明細書くらいな者も居る。
山崎はたまに故郷の両親からの便りが来る他は、もちろん後者の方だった。明らかに女の筆跡で書かれた意味有り気な封筒が他の隊士の郵便
受けから覗いているのを見ると、羨しくは思うがまるで自分には起こり得ない事なので、特に妬ましいなどは思わなかった。
山崎が珍しく幾らかの平静を取り戻していたその日、自分の郵便受けの中に、ごちゃごちゃとしたダイレクトメールの束に揉まれて、一輪の
華が咲いているの
を山崎は見つけた。
透かし模様の入った淡い水色の和紙封筒に流麗な墨文字。
差出人の名は無い。表にはっきりと屯所の住所と自分の名前が書かれているから、誤配達でない事は確かだった。
山崎は訝った。
男文字だからラブレターでない事は一目瞭然だったが、その封筒は今までお目に掛った事の無い高尚さを醸し出していて、この自分にも、むさ
苦しい屯所の玄関にもまるで不釣り合いな代物だった。
新手の詐欺狙いかあるいは不幸の手紙か。とにかく中を見てみない事にはと、その場で山崎は軽い気持ちで封筒の端をちぎった。
つまらぬ悪戯の類なら、すぐに破って傍の屑籠に放り込んでしまうつもりだった。
封筒と揃いの便箋がはらりと手の中に滑り込んで来る。山崎は郵便受けの列にもたれ、一種の好奇心でもって文面を辿り始めた。
──── ええっとなになに 『前略 山崎 退様・・・』
二行目で山崎の目が大きく見開かれた。ふらりと倒れ込んだ郵便受けに背中をぶつけて、ガコンと音がした。
三行目で手が震えそれでも夢中で言葉を追い、
最後に書き記された差出人の名を確認すると、もうが山崎はガクガクする足でやっと立っている有様だった。
山崎はその手紙を三度繰り返して読んだ。
三度目に読み終わると、祈りを込める様な面持ちで手紙を凝視してからきゅっと顔を上げた。
手紙を丁寧に封筒にしまい、 きょろきょろと辺りを見回すと、猛スピードで山崎は走り出した。
──── 手紙曰く、
・・・・ 我々には少々話し合う必要があると考えている。そちらが良ければ是非会いたい。
二丁目の薬局の角に祠がある。そこに都合の良い日時を書いた返事を入れて置いてもらいたい。後日場所と日時を書いた紙を入れてお
く・・・・
・・・桂小太郎・・・
・・・・『是非会いたい』
・・・・『是非会いたい』
・・・・『是非会いたい』
・・・・『桂小太郎』
・・・・『桂小太郎』
・・・・『桂小太郎』
屯所の中で山崎は風になった。
すれ違う仲間達が振り返る。またザキの発作が始まった。仲間達に特に驚きの色は無い。山崎のキツネ憑きキャラも既に飽きられつつあっ
た。
屯所のほぼ中心に、「居間」と呼ばれている広間がある。普段そこは隊士達の休憩室として使用され、非番や休憩中の隊士達がテレビを観た
り雑談したりと思い思いに寛いでいる。
自室への近道をとろうと山崎は居間に飛込んだ。
風の如く部屋を突っ切ろうとする山崎の前に、いきなり靴下を履いた足がちょいと突き出された。
避けるのも間に合わず当然山崎は派手につまづき、見事顔面からズザアアァァァッッッと畳へスライディングした。
「い、痛、痛っ!!それに熱っ!!今猛烈に顔面が燃えたァァァ!!」
「そのまま真っ白に燃え尽きちゃいなよザキィ」
「隊長ヒドイっ !!」
悪びれず足をぶらぶらさせているのは、折り畳んだ座布団を枕に昼寝をしていた沖田だ。
山崎は剥けて赤くなった鼻を摩りながら抗議しようとしたが、それどころではない事を思い出して急いで立ち上がった。
「何か落ちたぜィ」
沖田が例の封筒をひらひらさせている。山崎はぎょっとして奪い返そうと手を伸ばした。だが沖田は手紙を高く持ち上げて、山崎の手は空しく
宙を掴んだ。
「ちょ、返してくださいよ!」
「そんな必死な顔して、ラブレターかい?あ、でもこりゃ男文字か。つまんねーの。女からだったら原本は保管の上コピーして屯所の廊下に貼
り出してやろうと思ったんだけどなぁ」
「何その女子高が舞台の八十年代少女マンガみたいな嫌がらせ!!アンタどんだけ腹ん中ねちっこいんですかァ!!」
興味本位で中身を読まれでもしたら堪らない。山崎はいじめっ子の如く封筒を高々と掲げて眺めている沖田に掴みかかったが、沖田はひらりと身をかわし、山崎
は再度畳にダイブした。
「隊長おおぉぉ!!!」
額に畳の跡をくっきりと付け、埃を舞い上がらせながら必死にどたばたと追いかける山崎を、沖田は小馬鹿にした様な顔と所作でひょいひょい
とかわしていく。
山崎は今一度死に物狂いで猫の様に相手に躍りかかった。それを避けようと体を反らせた沖田の手から手紙が落ちた。
「おおっと」
「オメーらうるせえええぇぇぇぇぇぇ!!!!」
怒号と共にスパーンッと襖が開け放たれた。
乾いた音を立てて手紙は敷居の傍まで畳の上を滑り、仁王立ちで部屋の中を睨みつける人物の足の下まで来て止まった。
「あ、土方さん」
「オメーらうるせえんだよ。ここは休憩所であって学校のグラウンドじゃねえ」
銜え煙草の土方はギロリと沖田と山崎を一睨みする。山崎はそっと四つん這いで目立たぬ様に土方の足元に近付き、手紙に手を伸ばした。
だが指が届く寸前で土方に拾い上げられた。
「ああん?何だこれ。手紙か?」
「聞いて下さいよ土方さん。ザキのヤローが不幸の手紙ってバレバレなのにラブレターだって必死に主張するんでさぁ。もうここまで来るとイ
タイどころか俺もう哀れで・・・」
「隊長、勝手に話を作らないでください!!」
言いながら山崎は気が気でない。土方は無関心そうに封筒の表書きを眺め、さらにひっくり返して裏を一瞥した。
「差出人の名前が無いなんて、俺ん中じゃ確かに不幸の手紙しか有り得ねえがな」
「すぐに見抜くなんて、さっすが土方さん不幸の手紙受取り回数江戸NO.1のお人は違いまさぁ」
「ありゃ総悟、全部お前が書いたんだろォォォがァァァー!!!」
ああ手紙はいつ俺の元に帰って来るのか・・・山崎は顔では何とか平静を装っていたが、心の中では泣き叫んでいた。もし土方が桂の筆跡を
知っていたらどうしようと、さっきからそればかりが頭の中をぐるぐる回っている。
「だいたい男文字だってすぐに分かるんだから、ラブレターだと主張する方が無理あるだろ」
そう言って土方は足元に縮こまっている山崎に手紙をぽいと投げ落した。
山崎は慌ててそれをキャッチし、また取り上げられては堪らないと急いで懐に押し込んだ。
そしてこれ以上の詮索を避けるべく、立ち上がってさっさと出口へ移動する。
その時沖田がのんびりした声を上げた。
「あーでも男へのラブレターは常に女からとは限りませんぜィ。世の中には粋狂な輩が居るもんでさ。ま、凡人の俺には想像もつきませんが
ね・・・」
くつくつ笑いながら、沖田は再び座布団を枕にゴロリと畳に寝そべった。
山崎は雨の中出先から走って屯所に戻り、大急ぎでしたためた報告書を土方不在を良い事に障子の隙間から副長室へ投げ込むと、傘を掴んで
再び屯所を飛び出して行った。
薄煙色をした空から柔らかな雨が降る少し肌寒い午後、約束の午後二時にぎりぎりの時間だった。
雨は朝から一定のリズムで絶え間なく下界に降り注ぎ、街をしっとりと濡らし続けている。湿気と冷気で息が白い。雨粒が隊服に纏わり付
き、走る足が水溜りを
跳ね上げてズボンの裾を濡らした。
今日は本当なら朝から丸一日非番の筈だった。それが、急な仕事の命令で午後からの半休に半ば無理やり変えさせられ、山崎は仕事の間中や
きもきする羽目になった。
更に雨とはついていない。朝起きて外を覗いた時はそう思ったが、今冷たい空気と雨粒に火照った頬を晒してして走っていると雨も悪くないか
もしれないと思った。
雨粒は歩く姿をぼやかし、傘は顔を隠してくれる。人目を忍ぶ者達に雨は案外優しい。
手紙を受け取ってから数日間、山崎は仕事の時以外、文字通り机に張り付く生活を送った。
ここは汚名返上の機会と、あれやこれや言葉を捻くりまわすも、私的な手紙なんて子供の頃寺子屋で書かされた母の日に贈る『お母さんへ感
謝の手紙』以来。
ラブレターらしきものは書いたことはあるにはあったが、出せず仕舞いに終わって結局自分で焼き捨てる羽目になった情けない過去を持つ自分
の事。
書いては消し書いては消しの繰り返し、気の利いた文句ひとつ捻り出せず、結局は非番の日時とイニシャルYをしたためただけ、色気のいの字
も無い何とも無粋な便りの出来上がりと相成った。
山崎とて、桂本人からの手紙なんて、直ぐに一点の曇りも無く信じ込んだ訳では無い。質の悪い悪戯かはたまた罠、更に土方の策略ではない
かと考えたりもした。
だが自分と桂との繋がりを知る者ほぼいない筈だし、筆跡も土方のものとは明らかに違う。そして居間での遣り取りから見て、土方が関与し
ているとは考え難かった。
山崎は桂を信じたかった。あの日去り際にわざわざ鞘を投げて寄越した行為に、何か彼なりの気持ちを汲み取りたかった。
この手紙は桂本人が真摯な気持ちでしたためたのだ。
元々危い橋を渡って彼に近付いたのは自分の方だ。疑念を上回る情熱と覚悟が山崎の中にはあった。
夜に紛れて祈るような気持で指示通りに祠に返事を置いた。まるで子供の遊びの様な遣り取り、こんな方法で本当に彼に会えるのだろうかと
懸念したが、次の日に確かめてみると、ちゃんと手紙は無くなっていた。
それから三日後、返事を待って何十回と覗き込んだその祠の中に、真新しい封筒が置かれていたのを見つけた時の喜びと言ったら・・・!
浮かれた心持ではいるものの、これがデートだという考えは初めから持たないようにはしている。話し合う内容も言葉も考えるまでも無い。
しかし『会いたい』と連絡をとって来たのは向うだ。問題にしていないのならただ放っておけば良いだけの話。何らかの期待は持っていても
責められるべき事では無いと思う。
何ともおめでたい。全く持って自分はおめでたい人間だと、山崎は垂れ込めた空を眺めて自嘲した。
表通りから一本奥に入った細い道。閑散とした裏界隈に、手紙で指定された店はひっそりと『甘味処』の古びた看板を掲げていた。
煤けた『氷』の暖簾は雨に濡れてぐったりと垂れ下がり、引き戸のガラスは割れた一部をガムテープで留めてある。
こんな所にこんな店がと、二、三度周囲を見回してから引き戸に手を掛け、一度は引っ込め、唾を飲み込み、ぐっと胸を張って、一種の決意
と共にカラカラと
戸を開けた。
小さく薄暗い店内、黄色く変色した紙に書き出されたところ天、みつ豆などの壁の品書き、全体的にくすんで古びた空気で、お世辞にもオ
シャレデートスポットとは言い難い。
緊張と共にしんと静まり返った店内を怖々見回した山崎の目に、その時、一番奥の席にちんまり収まっている桂の姿が飛び込んで来た。