(8)




  開いた窓からひんやりした風が吹き込む、薄暗い店の中は雨の匂いに満ちていた。
窓際の四人掛けの席、のんびりとわらび餅などを味わっているのは、間違い無く桂小太郎。

 ああ、やはり本当だったんだ・・・

ふにゃりと顔が緩みかけたところで慌てて引き締めた。桂が楊枝を皿に置いてこちらを見たので、緊張しいしいおずおずと席に近づいた。


「呼び出してすまなかった」


前に立った山崎に、桂は一言静かにそう言った。
山崎はカチコチの姿勢のまま、ぶんぶんと首を振った。

「そん・・・・そんな・・・俺の方こそ・・・」

桂はごく自然な動作で山崎に座るよう促した。

  ぎくしゃくと山崎が向かいの席についた時、奥からゴトゴトと音がして、ステテコ姿の老人が盆に茶を乗せてぬっと現れた。しわくちゃの顔で腰を曲げ、暗い中 から こちらへ下駄の音を引きずりのっそり歩いて来る姿はまるで黄泉の国からの使いに見えた。
 桂は山崎の方に二つ折りのメニューを押しやった。

「何か頼むといい。さびれた店だが意外と美味い」

「あ・・・えっと、じゃ、じゃあ俺もわらび餅を・・・」

何も喉を通らぬ心持だったが、取り合えず相手と同じ物を注文する事にした。テーブルに山崎の分の茶を置いた老人は機械の様に無言でゆっく り頷くと、また下駄の 音をひきずってのっそりのっそり戻って行った。


 老人が去ってしまうと、山崎は改めて緊張した。自分が隊服のままなのを呪った。とても着替える時間なんて無かったのだ。彼は気を悪くし ただろうか。 合わせて自分のかつての行いも改めてまざまざと思いだされ、甦る恍惚と気まずさに山崎はもう貧血を起こしそうだった。

 いやいやいや、びくびくしている場合じゃない!

山崎は自身を奮い立たせようと、取り合えず目の前の茶を一口飲んだ。
濃い目のほうじ茶は程よく熱く、体に力がみなぎる様だった。

山崎はトンッと湯呑を置いた。

「あ・・・あのっ」

「山崎」

桂の澄んだ声が山崎の勢いをかき消した。

「突然手紙なんぞ来てさぞ驚いた事だろうな」

「ええ、だから俺・・・!」

「まあ俺もどうかとは思ったが、この際色々きちんとしておいた方が良かろうと、そう思ってな」

これには山崎も全く同意だったので頷いた。

「・・・・・とにかく、わざわざ呼び出して済まなかった」

 衣擦れの音をさせて桂は小さく座り直した。

「さて、何から始めたら良いものか・・・、まず、貴様には随分驚かされたが、・・・・あれは貴様の本心だと思って良いのだな?」

 山崎は半分ぼんやりして頷いた。

「なるほど。・・・で、手紙など出した本当の訳だが、そうだな、貴様の気持ちと云うか、心理が知りたくてな」

「心理って・・・・」

そんな事わざわざ説明させてどうするつもりだ。恋心とそれに伴う行動について、一つ一つ注釈をつけて見せよと云うのかこの人は。
桂は少し考える様子で付け加えた。

 「いや、ちょっと違うな。俺は話してみたかったのだ。顔に似合わず向こう見ずで破天荒な貴様と、話してみたかったのだ」

「・・・・それは俺に興味を持ってくれたと云う事ですか」

「まあそう言っても良いだろうな」

嬉しい事を言われたのに、小さな失望の矢が山崎の心の隅をチクリと刺した。桂の目には山崎に対する一切の咎めは感じられない。ただ穏やか な色が浮かんでいる だけだ。あの時自分がした事は無礼千万どころか、狂気の沙汰だった。崖っぷちから荒れ狂う海に身を投げたも同然、山崎にとっては死の恐怖 をも飛び越えた 一瞬だったのだ。
 そんな熱情は、彼の中に少しも衝撃の跡を残す事は無かったと云うのか。胸にぞくりとした悪寒がせり上がって、山崎は湯呑を強く握り締め た。

「そんな考え込まんでくれ。何も貴様を悩ませたい訳では無い。ただ話がしてみたい、それだけではダメか?」

 澄んだ瞳で覗き込む様に見つめられて、山崎の頭はほぼパーンッ!となった。涙と鼻水が一気に溢れそうになる。

「ダメも何も・・・・」

  そこへ再び奥からゴトゴトと音がして、先程の老人が盆を携えて現れた。山崎は鼻を啜って取り繕った。老人は山崎の前にわらび餅の皿を置き、また下駄を引き ずってのっそりのっそりと去っていった。

「まあ先ずは食べろ。なかなか美味いから」

 桂は軽い調子で勧めた。山崎は様子を窺いながら遠慮がちに楊枝を手に取り、ぎごちない手付きで一切れ切り取って一気に口の中に放り込ん だ。
 桂の言った通りだった。わらび餅は無茶苦茶美味しかった。山崎の目が輝いたのを見た桂は微笑んだ。

「美味いだろう?流行らんのが不思議なくらいでな。俺も初めて食べた時は吃驚したものだ」

そう言って桂は自分も楊枝を手に取り、残っていた自分の分の餅を一切れ口にした。二人はしばらく黙って菓子の甘さを味わった。黴臭い雨の 匂いは菓子の風味に 溶けて気にならなくなった。
傍らの格子窓のすぐ向こうで、軒先から滴る雫が砂時計の様に単調に、二人過ごす午後の時を刻んでいた。


「貴様が混乱するのも無理は無い。敵方を呼び出して一緒にお茶するなんて、常識外れもいいところだ。だが、本当に俺は貴様と話がしてみた かった。・・・・・貴様を見ていると、或る男の、嘗ては仲間だった男の事を思い出してな」

 山崎は楊枝を握った手をぴたりと止めた。

「情に厚い、向こう見ずな所もかなりあったが、本当に良い仲間だった。だが、お互い若く未熟で、更に明日の命をも分からぬ戦場と云う環境 で、俺は奴の気持ちを 受け止めてやれる余裕がなかった。気付いた時にはもう遅かった。・・・・俺達は永久に道を違えてしまったのだ。いずれ避けられぬ事だった にせよ、今から思えば、 俺は友として、仲間として、何かしら力になれた筈ではないかと今でも悔やんでいるのだ。俺は子供の頃からいつも傍に居ながら、あいつの心 の三分の一も理解して やれなかった・・・・」

「・・・・俺と似ているんですか。その人は」

「似てはいない。ただ思い出すのだ。きっと根本の精神は同じなのだろうな。一つの道を迷わず突き進む様な・・・・。そこに惹かれると云え ばそうかもしれぬ。 俺は迷ってばかりで、ここまで来たから」

 迷ってばかりでここまで来た。戦場をくぐり抜け、今尚その名を日本中に轟かせているこの人が?
攘夷と云う信念の影で、迷いの中で失った物、自ら捨てた物への悲しみの気持ちが、今、ここで敵である山崎へ示す情と云う形で表れているの かもしれない。
 桂の言う嘗ての仲間の男は、きっと今の山崎と同じ様に、彼を愛したのに違いない。山崎はその男の気持ちが痛い程分かる気がした。山崎は 桂を巡るあらゆる男の 顔を思い浮かべる。
彼らの愛に愛で応える事が桂にはあるのだろうか。


「・・・・その人の事を・・・・少しは愛してはいたのですか」

問われて、桂は少し驚いた表情をした。

「・・・・分からぬ。俺は自分なりにそいつを大切な仲間だと思ってはいたが・・・・どうやらそいつが俺に求めていた物とは少し違っていた 様だ」

「それが今の俺と云う訳ですね」

山崎は真っ直ぐに桂を見つめた。

「あなたは本当なら無視しておいてもいいはずの俺と関わる事で、嘗て自分を愛してくれた人に対して償いをしているんです。きっと俺が初め てじゃない。前も、 その前も・・・・。あなたはずっと償いをしてきたんです。今はその相手が俺と云うだけ。そうでしょう」

 桂はじっと耳を傾けていた。勢いに乗った山崎は更に続ける。

「そんなの、俺は構いません。元々有り得ない関係なんですから・・・・。ただ、攘夷の名の元に、心からあなたを想う人の言葉にもずっと背 を向けて 生き続けるのなら、俺は、とてもつらいんです。そう、或る人が言ってました、あなたが今尚頑なに攘夷の道を突き進むのは、罪の意識から だって。それさえ 無ければ、あなたは自由に生きられるって・・・・!」


 大胆過ぎる言葉だった。何を知った様な口でとなじられるのを山崎は待った。
 だが桂は少し意外そうな顔をして見せたものの動じず、口の端で小さく笑った。

「罪の意識?それがなければ俺は自由だと?なかなか面白い見解ではあるが・・・・一体誰がその様な事を?」


「──── うちの副長です」


 今度は桂は目に見えて絶句した。

 以前桂一派と高杉晋助率いる鬼兵隊との抗争事件の直後の事。土方に命を受けた山崎が土方に事件について、最後の調査報告をした時だっ た。
背後に謎の妖刀・紅桜を巡る陰謀らしきものがあった事、その他はまるで不明な奇怪な事件だった事。
 無言で煙草を咥えてじっと報告を聞いていた土方は、終っても何も言わなかった。
 退出して良いものかどうか山崎が悩み始めた頃、ゆっくり煙を吐きだしてぽつりとただ一言、そう言ったのだ。

 まるで意味が分からず、ずっと忘れていたこの言葉を今思い出して、あまつさえ桂その人に伝える事になろうとは。


「土方が・・・・その様な事を」


 雨の音が大きくなった気がした。相変わらず店には誰も入って来ない。奥の暗がりからテレビの野球中継らしい音声が微かに聞こえて来る。
 山崎は気まずい気持ちでそっと湯呑の茶を口に含んだ。少しぬるくなった茶の味はもう分からなかった。

 しばらくして桂はふっと笑いを零した。

「貴様達は・・・・・意外と鋭いな。俺は少し混乱してしまった。だがまあ、」

 桂は残りのわらび餅を口に放り込んだ。

「だがまあ、あいつの話は聞き流しておけ。貴様にこんな事を言うのもあれだが、あいつはかなり視野の狭い男だ」

口をもぐもぐさせて、桂は唇の端に付いた黄粉を親指でくいと拭った。その仕草を山崎は心から可愛いと思い、この自分が拭ってやる場面を妄 想した。 年上の、それも男に対して可愛いも何もあったものでは無いが、それでも本当に可愛いと思うのだ。


「あなたは副長とも・・・・こうして話をしてみたいと思ったのですか」

 餅をこくりと飲み込んで、桂は山崎を見据えた。恐らく何をどこまで知っているのか推し量ったのだろう。心中では驚いただろうが、彼は 顔に出す事は無かった。

「確かに・・・・思わなくは無かった。思わなくは無かったが、あいつは人を纏め、率いて行く立場の人間だ。そして俺も同じ様な立場だから こそ、そんな事 はいけないと、間違っているとすぐに気付いた。あいつと貴様とでは大きく話が違う。あいつは駄目だ。絶対にいけない。あ、スンマセー ン!!
お茶のお代わり下さーいッッ!!」」

奥に向かっていきなり声を張り上げられ、山崎はビクゥッ!とした。またゴトゴトと音がして、さっきの老人が、今度は大きなヤカンを手に姿 を現した。まるで糸で 操られた人形の様に機械的に二人の湯呑に茶を注いで、また去って行く。


「だったら、俺となら、これからも会ってもいいと云う事ですね」

「・・・・はぁ?」

ゆっくりと茶を啜っていた桂は、さすがに驚いて目を見開いた。

「副長とは違うんでしょう。俺とは会ってみたいと思い、実際にこうして会った。だから、」

「ま、まあちょっと待て、その・・・・貴様の気持ちは分かった。が、それとこれとは話が違う。分かるな?」

「ええ分かっています。だけどソレとコレとは話が違うんです!だって、」

桂は手を伸ばして山崎を押しとどめた。

「ちょ、待て、落ち着け。そもそも今日俺達が会った一番の目的は、最初に言った様に、今後の事をきちんとしておく為ではないか。色々話を して互いの考え方と 立場を確認し、後腐れ無く円満に別れるのが俺達のなすべき事でだな、」

「そんな事分かってます。分かってますって。でもダメなんです。俺はもうダメなんです、桂さん。ええ、俺だって最初はそのつもりでした。 あなたがあっさり 受け入れてくれるなんて、さすがにそんな事思っちゃいません。でも・・・・、あなたは俺との間に何があったか、まさか忘れてはいないで しょう。俺の事を向こう 見ずで破天荒だと知っているなら尚更、もうそんな次元じゃないってあなただって分かっているんでしょう。もう遅いんです。桂さん、もう遅 いんです」

山崎は言いながら鼻の奥がつんと痛くなって来た。

「だから俺の事を嫌いなら嫌いって言って下さい。今日呼び出したのは俺の事を軽蔑して罵倒する為だったって言って下さい。そうして此処か ら今雨の中へ蹴り飛ばして、泥だらけになって情けない俺の姿を背後から嘲笑ってやって下さい。そしたらこれ以上あなたに迷惑掛ける事も無 い・・・・筈ですから・・・」

 心底頭が痛いと云う風に、桂は指をこめかみに指を当てて何度も首を振った。

「上司が上司なら部下も部下か・・・・!いやその上司の上司が元々アレか・・・・」

やがてひとつ溜息を吐くと、椅子の背凭れにどさりと背を預けた。

「・・・・・貴様は、貴様達は直ぐに答えを求めようとし過ぎる。その真っ直ぐな所が貴様達の長所なのかもしれぬが、山崎、・・・・・ 貴様はあいつの、土方の様にはなってはいけない」


 山崎は何も言えなかった。妙に冷えた頭に静けさががんがん響いた。

 桂はそっと壁の時計を見上げた。

「さあ、少し長居をし過ぎた様だな。いつ他の客が入って来るかも分からん。名残惜しいが、そろそろお開きにしなくては」

 桂の言葉が矢の様に胸に刺さった。縋る気持ちで見た桂はさっさとおしぼりで手を拭いて、今正に立ち上がらんとしていた。

「これ・・・・」

山崎は懐からそっとあの短刀を取り出した。桂もそれが何かすぐ分かった様だった。

「・・・・これ、返すつもりでした。でもやっぱり俺が持っていていいですか・・・・」

「まあ別に大した品では無いから、好きにすれば良いが・・・・」

そんな物どうするのかと言った体だったが、山崎は再び懐にしっかりと押し込んだ。

「親父、勘定を頼む!」

伝票に手を伸ばしながら桂は奥に向かって声を張り上げる。山崎はその手の下から素早くそれを抜き取った。

「待て、呼び出したのは俺の方だ」

 桂は取り戻そうとしたが、悟った様子ですぐ引き下がった。

「・・・・では、有り難く御馳走になっておこう。済まないな」


 さっきの老人に会計を済ます。彼は自分達の奇妙な会話を聞いただろうか。だがしわくちゃの顔で表情すら曖昧な顔は何も分からない。或る 意味スパイにお誂え 向きだった。桂はこの店に何度か通った事があるらしかったが、この老人も実は嘗ての攘夷志士なのではないか。だったら俺は最初から最後ま で彼らの手中にあった かもしれない。背筋の寒くなる様な想像だったが、今の山崎にはもうどうでも良かった。


 外に出ると雨は止んでいたが、灰色の厚い雲は垂れ込めた儘で、また直ぐに泣き出しそうな空だった。

自分と同じ方向に歩き出す山崎を見て桂は言った。

「此処で別れた方がよくはないか」

「この道が終るまでは・・・・・」

往生際の悪い奴だと思われただろうが、そんな事に構っては居られなかった。ほんの数十メートル先にもう別れが見えているのだ。
彼と午後のお茶をして、肩を並べて往来を歩く。そんな夢の様な状況に嘘でも良いから出来る限り酔っていたかった。桂も桂なりに理解してく れたのであろう、 危険は承知だろうに何も言わなかった。


「山崎」

「はい・・・・」

「貴様、死ぬところだったぞ」

「はい・・・・」

 裏道の終わりの四つ角が少しずつ迫る。表通りを走る車の音が大きくなる。
終わりが近くなる。


 桂はいきなり足を止めた。すっと目が鋭くなり、建物と建物の間に見える向こうの表通りを覗き込む。と思うといきなり山崎の腕を取って、 傍の建物の中へと 山崎を誘い押し込んだ。
 古びた雑居ビルの階段の踊り場だった。桂は隅の壁に山崎の体を押し付け、顔だけ外に覗かせて、辺りを窺った。

「何か・・・・」

「いや、今・・・・」

彼の髪が山崎の鼻を掠めた。

 「今、向こうの通りにパトカーらしき車が通るのが見えた。ここら辺に貴様の仲間がうろついている可能性がある」

桂は口早に言いながら振り向く。

「此処で別れよう。俺が先に出る。貴様はしばらく此処で様子を見ている方が、・・・・!」

言葉が途切れる。肩と腕を掴まれ、たちまち桂は体を冷たい壁に押し付けられた。

「や、山崎、」

 桂は焦ってもがいた。

「貴様はまだこんな事を・・・・!」

息を潜めて懸命に桂は叫ぶ。真選組がうろついているかもしれないこの場所で、大声は出し難い。

「桂さん・・・・!」

 山崎は掠れた声を振り絞る。あの日へと記憶が一気に巻き戻る。

「だからもう遅いって言ったじゃないですか。この儘別れるなんて、俺には出来ません。・・・・あなただって、本当に人を好きなるとはどう 云う事か、
知っている筈だ・・・・・!」


首を左右に振って桂は近づく顔を懸命に避ける。湿気で濡れた壁に桂の髪と衣の端がくっついて乱れる。

 山崎は桂を抱き竦める。否応無しに顔が近付き、唇が触れ合おうとしていた。










 水溜りの泥を派手に跳ね上げさせて、パトカーは滑り込む様に赤信号で止まった。

「ん・・・・・?」

 助手席の窓を開け放して煙を吐いていた土方は、歩道の際の建物の方向へ一瞬目を凝らした。

「おい総吾」

「なんですかい。マヨの特売なら昨日までですぜい」

「違げーよ!・・・・山崎の奴、今日の仕事はなんだったけか」

「ん〜〜と確か例の反幕府デモの首謀者の潜伏先の確認だか何だかって急に土方さんが言い出して・・・・んで午後からの非番になったんじゃ ないですかねえ」

「・・・・ああそうか、そうだったな・・・・」

 土方は煙を物憂げに吐き出した。歩行者側の青信号が点滅して赤に変わった。

再び車は走り出す。と、急に土方は煙草を灰皿に押し付け、むしり取る様にシートベルトを外した。

「おい、止めろ」

沖田はあからさまに嫌そうな顔をした。

「え〜〜道草食ってたら、ドラマの再放送間に合いませんぜ」

「いいから止めろっつってんだよ!」

渋々沖田はウインカーを出して歩道に車を寄せた。

 土方はドアを蹴飛ばす様にして開け、外に飛び出す。振り返って顔だけ中に突っ込んで叫んだ。

「いいか、このまま待ってろ!」

 言い残すや否や、裏道の方へと弾丸の様に飛んで行く。


「・・・・・やれやれ」


 殺気に満ちた異様な後ろ姿を眺めながら、だるそうにハンドルにもたれて沖田は呟いた。









 暗くじめじめした白昼、通りから死角になるその狭い空間で二人の男が揉み合う。
 声を殺し、息を潜めての抵抗は迫力が無い。


「お願いです・・・・もう少し一度・・・もう少し一緒に、こうして居させて下さい・・・」

 山崎は愛しい人を掻き抱く。互いの荒い息が溶け合う。


「・・・・俺は、あなたと・・・・・!」



 ぬっと黒い影が目の端に映る。次の瞬間凄まじい衝撃と共に山崎の体が吹っ飛ぶ。
奥の壁に無様に叩き付けられ、床にずり落ちたかと思うと間髪入れず腹に固い物が一発、二発直撃する。
げふっと咳き込んで、朦朧とした目に入った黒いブーツ、黒い足、黒い上着。背後に驚愕した表情の桂。


「山崎、貴様、てめぇ・・・・・」


地を這う様な唸り声、青白い炎の燃える瞳、般若の如き土方の顔。

「・・・・何だかかんだかコソコソコソコソゴキブリみたいにうろつきやがって・・・・、キツネ憑きだぁ?・・・・」

ポケットに両手を突っ込んで山崎の足先を払い、土方は更に一歩踏み出す。

「・・・・全く大したモンだ。俺ぁまんまと騙されてたよ。・・・・・今此処でその真っ黒な腹掻っ捌いて嬲り殺してやろうか、あ あ?!!!」

腹に強過ぎる一撃が飛んだ。

「やめろ!!土方・・・・!!」

遠くで桂の叫び声が聞こえる。

「それとも自分で首括って昇天すんのを見せてくれんのか、この雑魚のカス野郎が!!!!」

足が勢いよく宙を斬り、固い踵が山崎の顔を斜めに激しく蹴り上げた。
鮮血が鼻から噴き出す。 山崎の体はくの字に人形の様にしなり、ぐにゃりと濡れた床に沈もうとする所で土方はもう一度、今度は逆方向から蹴り上げようとした。


「やめろ・・・・・!!」

手を広げ、膝で滑り込むようにして桂が二人の間に割って入った。

「やめろ、土方!山崎は悪くない、呼び出したのはこの俺だ・・・!だから・・・!!」

「・・・・お前が呼び出した・・・・?」

土方は鋭い目で桂に視線を移した。

「そうだ。俺が呼び出したのだ。俺が山崎と話したかったのだ。貴様に山崎を責める事は出来ない!!」

 息の詰まった山崎はぜいぜいと喘ぎ、まともな声が出せない。霞んだ目に外からの光が滲みる。土方と対峙する桂の後ろ姿と、桂を見つめ続 ける土方の青白い顔が ちかちかと点滅して見えた。

 土方は桂と床に伸びる山崎をとくと見比べる。氷の様な悪夢の時間が過ぎて行く。

「・・・・お前が何を言っているのか俺ぁてんで分からねえが、」

土方は桂の肩をぐいと掴み、乱暴に押し退けた。

「俺がこいつを責めているのは、局中法度第十三条・被疑者、被疑団体への任務外無断接触を禁ず。その他もろもろを堂々と破りやがったから だ」


 土方は今一度山崎の足を踏み付けてから腕を掴み上げた。山崎はされるがままになって引っ張られ、、点々と血の跡を残しながら、ずるずる と床を引き摺られて 行った。


「か・・・・かつらさ・・・・」


切れて血の滴る山崎の唇がうわ言の様に動いた。土方の足が再び頭を蹴り上げ、山崎の体は屍の様に動かなくなった。







 パトカーの後部座席に弛緩した体が突き飛ばされる。
ダッシュボードに両足を乗せてのんびり休憩を決め込んでいた沖田は、後ろをちらと振り返ってひゅーと低く口笛を吹いた。
 助手席に土方がどすんと乗り込み車体が大きく傾ぐ。

「おら、出せ」

「へいへい・・・・・」

 沖田は呟いてギアを入れる。


 雨粒が再びぱらぱらと降り始めた。走り出す車の窓ガラスにぶつかった雫が壊れて流れ、涙の様な道筋を何本も作った。




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