(9)




 今、桂の前には地味な封筒が一つ。
 その封筒を挟んで桂の正面に座った銀時は、苦虫を噛み潰した様な顔をして、手紙と桂とを何度も見比べている。


 ある日突然万事屋を訪れた山崎を見て、銀時始め新八・神楽はギョッと目を見張った。
顔中絆創膏だらけ、片方の瞼と頬は青黒く腫れあがり、口元も紫色に変色している。更に両目は虚ろ、丸で幽霊に遭遇でもして来たかの様だ。

「や、山崎さんそ、その顔、 ど・・・どうしたんですか」

 思わずどもった新八はずり落ちそうになった眼鏡を押し戻した。

「何かヘマして集団リンチでも喰らったアルか?その様子じゃ、ついでにマワされてバックヴァージン奪われちゃったとかアルな」

「神楽ちゃん、女の子がそんな言葉口にしちゃダメっ。山崎さん、本当にどうしたんですか。また血が出てますよ?待ってて下さい、救急箱 持ってきますから・・・・」

 そう言って駆け出そうとする新八を山崎は、生気無く手をゆらゆらさせて呼び止めた。

「・・・・ああ、御構い無く、新八君・・・・ダイジョブだから・・・・このままで・・・・」


 三人は改めて山崎と向かい合った。そこで彼が出して来たのが桂宛の手紙と云う訳だった。
 銀時はにべなく断った。

「警察がテロリストに手紙ぃ?しかもそれを俺達に届けさせようってか。おいおい、そんな犯罪の片棒担ぐ様な真似しなきゃならん程、俺た ちゃ困ってねーんだよ」

新八と神楽の冷たい視線が両側から突き刺さったが、銀時はお構い無しだ。
山崎は黙ってじっと俯いている。その態度は丸で石の様に頑なで、受けてもらえるまではてこでも動かない様な、異様な意固地さを感じさせ た。
 実際山崎は全く引き下がらなかった。既定の報酬の倍ほども入った袋を差し出し、何を問われても多くを語らず、テーブルに何度も頭を擦り 付けて、ただただ 懇願を繰り返した。
 頑ななのは銀時も同じだった。

「おとり捜査の一環か何かなら余計遠慮したいね。子供らにテロリストとお近づきにさせたくないんで!」

両側から聞こえたハァ?と声を無視して、銀時はソファにふんぞり返って足を組んだ。
山崎の有り様に加えて銀時の奇妙な反応に新八はおろおろする。

「そりゃあ驚きはするけど手紙くらい良いんじゃありませんか。何か深い事情があるみたいだし・・・・」

「そんなに渡したきゃ、自分で探し出して渡しゃあいいんだよ。わざわざウチを巻き込む事もねえだろうがよ」

 途端に山崎はぴたと体を固くし、じとっとした上目遣いをした。

「・・・・良いんですか・・・・」

銀時は思わずソファから落っこちそうになった。


 神楽達にはまったく理解出来無い様子ではあったが、二人の間でしばらく静かな攻防が続いたあと、一度だけと云う条件付きで渋々請け負っ た
のだった。


「・・・・・山崎の怪我の具合はどうであったか・・・・?」

 ぽつりと桂は問うた。

「そりゃあもう絆創膏だらけの顔中腫れあがったオバケみたいな・・・・ってお前、」

銀時は桂の顔を覗き込む様にして座り直した。

「・・・・あいつの怪我に何か思い当たる事があるのか。・・・だいたいどのツラ下げて、あいつ手紙なんか・・・・」

桂は黙っている。銀時の視線は自然と険しくなる。

「まさか、返事を出すなんて言わねーだろうな・・・・」

「それは無い、・・・・・出来ない、もう出来ない」


今から思えば、その桂の答えも、随分意味深な物ではあったけれど。




 だが手紙は一度では終わらなかった。
 万事屋には出向かずに手紙と報酬入りの袋をお登勢に預けると云う形で、彼は強引に依頼を通して来たのだった。
 更に次の週には郵便ポストに入れられており、それが二度続き、先日は神楽が定春を公園に散歩に連れて行った際、ふと定春の姿が消えたと 思うと、植え込みの陰 から大きな口をくっちゃくっちゃさせながらのっそり姿を現して、その首輪には例の同じ封筒と袋が括りつけられていたと云う。

「アイツ、絶対ソーセージで釣ったに違いないネ!って言うか本当に銀ちゃん、なんでそんなに嫌がるアルカ?ウチとヅラの関係を隠したって 今更アル」

 返そうにもこんな時に限って街でちっとも出くわさないし、屯所まで出向こうにもこんな手紙、どんなややこしい事態を引き起こすか分から ない。よって手紙は 宛名の元に届けるしか無く、此処は山崎の陰湿な作戦勝ちである事を、銀時は認めざるを得なかった。


 その五通目の手紙が、今二人の間に置かれている封筒に他ならない。

「あのね、俺は郵便屋さんでも白ヤギさんでもねーんだよ。何なんだお前らは、ペンフレンドか?時代遅れも甚だしいわ!」

いつものツッコミが真剣味を帯びてしまっている事を銀時は自覚せざるを得ない。

「・・・・・お前、まさか、あいつを色で釣ろうとか云う腹じゃねえだろうな」

 我ながら冷えた声だったと思う。だが桂は無言で封筒を見つめているきりだった。

 やおら立ち上がって桂は隅の文机の方へ向かった。

「済まぬが、しばらく待っていてくれぬか」

「おい、まさか返事を書くとか言うんじゃ・・・・」

「しばらく静かにしてくれ。ああほら、台所の棚にポテチあるから」

「ポテチじゃねーよ!お前、自分が何しようとしているか、分かってんのか」

動揺して立ち上がろうとした所で、つい封筒を踏み付けた足がずるっと滑った。圧し掛かって来そうになった体を桂は咄嗟に腕を回して支え た。
桂の首筋に顔がぶつかった。黒髪の一房が銀時の顔を舐める様に纏わりついた、その一瞬、銀時の心に以前あるの記憶が蘇った。

そう言えば・・・・そう言えば・・・・
山崎の怪我。・・・・以前蕎麦屋の前で桂と一緒に彼に出くわした時、その時彼の目に何となく異様な物を感じたものだったが・・・・その時 は単に、
お尋ね者を目の前にした一種の興奮によるものと片づけて来たが・・・・確かその時も、彼の頬には傷があった様に思う・・・・。

もやもやした偶然の一致の鍵が、次々と疑惑を炙りだして行く。

ただ一度きりの事件の筈ではなかったのか?
お前はどんな顔であいつの口づけを受けたのだ?
なぜ、なぜ、お前は山崎如きなんかに・・・・。

この黒髪ごと手で細い首を捉えて、揺さぶって全てを吐かせられたら。

「銀時」

静かな声が耳に直接流れ込んで来る。

「お前が考えている通り、あいつの怪我はほとんどが俺のせいだ。だから俺は手紙に応えなければならない。これまで返事を出さなかったの は、
これ以上あいつを巻き込むまいとした為だ。・・・・心配してくれるな。これは俺自身の問題だから」

淡々と説明する様子は丸で自分に言い聞かせているかの様であり、またこれ以上の詮索は受付けないと、銀時に宣言するかの様でもあった。
銀時は憎かった。十分の一も語らない彼が憎かった。

「銀時、お願いだ」

困った様な悲しげな彼の声までもが、本当に、憎かった。






 目の前にずらり並んだ五つの手紙。
 江戸の真ん中、真選組屯所から放たれた封筒が、白い鳩の様に空を翔け、自分の所に次々と舞い降りて来る情景を桂は想像する。
 内容は四番目の手紙だけ気違いじみた殴り書きになっている他は、内容は五つのどれも大差は無い。

 手紙を開く度、自分を見つめて来る眼差し、目立たぬ容貌の中にあって熾火の様に燻ぶるあの眼差しが、桂の心を突いたり締めつけたりす る。
 その眼差しの奥に桂はある男の面影を見る。
 


 高杉晋助。幼馴染、弟、大切な仲間。


 武装解除の令が届いた次の日の夜だった。燭台一つ灯った暗い部屋の中、桂は彼と向かい合っていた。
 やつれこけた頬、落ち窪んだ瞼の中にただ一つの瞳が静かに輝いて、まるで黒い太陽の様だった。
 今後の再軍備についての自分なりの計画を淡々と高杉は話して聞かせた。
 一緒に京に行こうと彼は桂を誘った。それに対して自分がどんな返事をしたか、桂は今でははっきり覚えてはいない。恐らく彼の心に沿う言 葉では無かったの だろう、彼は黙りこくってしまった。しばらく経って彼は静かに言った。

ヅラ、俺を見ろ。

桂が上目遣いで見遣ると高杉の目の太陽が歪んだ。彼は桂の両肩を掴んだ。

いつまでそんな顔をしているつもりだ。そんなに銀時が恋しいか。あいつは攘夷どころか、結局お前までも捨てて行った、ただの裏切り者じゃ ねえか。

力を込めて高杉は桂の肩を揺さぶった。

俺を見ろ。見てくれ、小太郎。

 なぜ彼がこんな事を言うのか分からなかった。そんな桂の表情を見た高杉はぐっと息を飲み込み、いきなり桂を抱き締めた。
骨が折れてしまいそうな力と体の熱さに桂はたじろいだ。

もうあいつは居ない。小太郎、今お前の傍に居るのは、俺なんだよ。そう、これからもずっと、俺は・・・・。

桂の耳元で彼は押し殺した声で囁くのだった。

待て、落ち着け。

 凄まじい相手の勢いに押されて、桂はようやくそれだけを口に出来た。
 だが高杉は一向に力を緩めず、冷たい畳の上に桂を押し倒した。
 驚く暇無く唇が奪われた。桂はもがいて抵抗した。高杉は怯まずに舌を押し込んだ。更に首筋を吸い、荒い息を吐いて裾を割った。
 桂は渾身の力で腕を振り解き、高杉を殴りつけた。

 高杉は凍りついた。彼の下から何とか這い出し、桂は息を切らして後ずさりする。肉の落ちた肱が畳で擦れてひりひりした。
 茫然とする高杉の唇の端が小さく切れて血が滲んでいた。見るに堪えず、桂は胸元を覚束ない手付きで直しながら背を向けた。

小太郎・・・・!

低く迸る様な声と共に、高杉は後ろから桂に縋りついた。

好きだ。愛している。お前の為なら手足をもぎ取られたって構わない。この残った片目だってくれてやる。だから、小太郎、傍に居てくれ。俺 の傍に居てくれ・・・・!

 耳元で繰り返し囁かれた声は涙に震え、体に回された腕も震えていた。



 二人して暗い暗い穴の中へ落ちて行く様な感覚、掠れた声、痩せた腕の信じられない力強さ、もう既に色褪せたと思っていた。情熱だけで生 きていた あの頃の切なさが、今になって桂の心の奥底を揺さぶって止まない。

 これが罪だと云うのか、この罪の為に自分は剣を捨てられず、挙句の果てに敵の男達に愛される羽目になったと云うのだろうか。
 決して愛し、愛されてはならぬ。それがこの身に課された咎めだと思い知る為に?

 いや・・・・。小さく首を振って桂は手紙を畳んで仕舞った。

 もうそんな事はどうでもいい。高杉、あの紅桜の事件の折、あんな時でもお前は最後まで俺に刃を向けようとはしなかった。

 だから俺はお前がどう思おうと今でもお前を仲間だと思っている。まあかなり愛想は尽かしたが。

 ただ今この瞬間に苦しくて堪らないのは、
敵の中にお前に良く似た男が居た、

 その未熟で純粋な魂が愛に見捨てられるその瞬間を、俺はもう一度目にしなくてはならない、そんな事実故なのだ。







 桂から手紙を預かって五日、公園沿いの遊歩道を歩いていた銀時は、公園の入り口の傍に真選組のパトカーが止まっているのを見つけた。

 歩く速度を緩めながら木立の間からそっと覗くと、運転席のドアの傍で丁度こちらを向いてぼーっと突っ立つ山崎と、少し離れた場所の自動 販売機の前に、 脱いだ上着を肩に引っ掛けた土方の後ろ姿。

 銀時は密かに山崎の視界に入るべく、木の陰に隠れて懐から封筒を取り出し、辺りを見回してから山崎に向かってそっと振った。
 何度か振って見せてようやく山崎はこちらに気付いた。銀時の姿を見るなり山崎は息を呑む様な顔をした。顔の腫れや傷はどうやらかなり治 まっている様だが、 それでもまだ目に痛々しい。
 辺りを窺いつつ、銀時は居心地悪い思いでちょいちょいと人差指を動かした。山崎はちらりと後ろを振り返ってから、足音を潜めて、 それでも大急ぎでこちらに向かって走って来た。

「もうこれっきりだからな。あとこれ、貰い過ぎた分」

山崎が傍に来るなり、銀時はあさっての方向を向きながらくいと封筒を二つ押し付けた。

「勿論分かっています。旦那、有難うございました!」

 息を弾ませ、喜びの余りか半分引き攣った傷跡だらけの顔で山崎は勢いよく一礼し、踵を返して急いで去って行った。小さくなる背中に悲壮 的とも言える 無邪気さを背負って。
 銀時は心の中で呟いた。

・・・・お前もどえらい相手に恋しちまったもんだ。この先ずっと、その顔中の傷よりももっともっと沢山の痛みにお前は耐えて行かなきゃな らんのだぜ。 その覚悟がお前にはあるか・・・・・。




 缶コーヒーを飲みながら土方がこちらを見ている。山崎はさっさと運転席に乗り込んでエンジンを掛けた。
 土方は缶を屑籠に放り込み、木立の向こうに目を走らせてから、のっそりと助手席に乗り込んだ。

 直ぐにアクセルを踏んで山崎は車を発進させる。タイヤが軋み、体が前後にガクンと大きく揺れる中で土方はもう一度後ろを振り返った。

「さっきの万事屋じゃねえのか」

 車はどんどん加速し、瞬く間に公園の並木道は遥か後ろへと遠ざかって行った。


「そうですよ」


「あいつお前なんぞに一体何の用があるんだ」


山崎はぐいとハンドルを傾けて、軽やかに車がカーブを切った。

「この前スーパーに行った時、財布を持って来るのを忘れちゃいましてね。そこに偶然旦那が居合わせて、五百円ばかし貸してもらったんで す。それをようやく 今返せたって訳で」

 前方を向いた儘山崎は淀み無く答えた。横目で相手の頬の痣と傷跡を確認する様にちらりと見て、土方はポケットから煙草を出して火を着け た。 風が開いた窓から火さえ掻き消す勢いで入り込み、吐き出す煙を瞬く間に奪って行った。

「あいつ人に貸す金なんか持ってやがったのか。お前もよく借りてやろうなんて思ったな」


 はは、と山崎は笑った。

 土方の目の前で薄青い痣が怪物の様にぐにゃりと歪んだ。





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