落雷
小うるさい幕府の狗ども。
眼下で打ち騒ぐ集団に桂小太郎が屋根の上からふてぶてしい視線を投げつけた時、彼はそこから突如飛び出した一人の影が
斉藤終である事を認めると、ぎょっとした。
きっと計算外の事が起こる。以前の一件から学んだ唯一の教訓。
計算外、計算外。
さっさと逃げ足を早め、桂は再び屋根の上を駆け始めた。
が、影は灰色の旋風になって、あっという間に桂の背後まで迫った。
頭上から雷の様に落ちて来た一撃を桂は振り向いてしっかりと受け止めた。
勢い良く離れまた一撃、更にもう一撃。
以前も感じた事だが、斉藤の振るう刃は重い。一つ受け止める度に体に痺れが走る。
負けじと自分も旋風になって応戦しながら、桂は不思議に思う。
力任せと言う訳でも無い、軽やかに見えてまるで雷の様な刃。
一太刀一太刀が鋭い電撃になって、体を打ち貫こうとする。
あちこちの屋根や屋上を飛び移ってはぶつかり合う、一つの嵐になった二人を、幕府の狗達は地上からやんやと打ち騒いだり
固唾を呑んだりしながら見守っていた。
その時、膠着した戦いに焦れたのか、地上のどこかから発射されたバズーカの弾が集団の頭上を越え、二人の居る方向へと飛んで行った。
皆はぎゃあと悲鳴を上げ、真っ青になった。
「沖田隊長ぉぉぉぉー!!」
「総悟、てめぇぇぇぇー!!」
爆発音と共に吹き飛ばされる二人の体が煙の間からちらりと見えた。一気に地上まで爆風が押し寄せて、それが空から新しく吹き付ける風に流
されて散った時には、二人の姿は忽然と消えていた。
頭の血がくらっと傾いで、桂ははっと目を覚ました。
煙と砂埃の混じったむっとした匂い、体に感じる重みと不自然な温かみ。そしてすぐ真上から見降ろす鋭い二つの瞳に気付いて思わず息を飲
んだ。
と、素早く口に手の平が押し当てられて、むぐと桂は呻いた。
口を塞がれながら桂は目玉をあちこちに動かした。
自分に覆い被さってるいるのは紛れも無い斉藤の体であり、頭上には崩れた屋根板を始めとする瓦礫の山、その間を交差して
昼間の光が差し込んでいる。
そうだ。打ち合っている時に突然爆発があって、空に放り出された。
体が浮いた瞬間に、こちらに向けて一気に迫った斉藤の姿が目の端に映った。何かに絡め取られ、包まれる様な感じがして、それか
ら・・・・・
自分達は壊れた家屋の下敷きになったのだ。
斉藤の背中に阻まれて、桂に瓦礫の重みや衝撃は感じない。
だが覆い被さる体の温みと近過ぎる視線が何とも居心地悪く、桂が身じろぎすると、それを宥める様に斉藤はそっと人差指を
桂の唇に押し当てた。
大勢がばたばたと走って来る音がする。
「おいあいつら何処へ行った!」
「あの分じゃもっと遠くまで吹き飛ばされたんじゃないか!」
前髪が縺れ合いそうな距離、少し荒い息遣いに重なった胸が上下している。指はまだ唇を退かない。
乾いた指をしている。射抜いて来る二つの瞳も乾いていた。
声と足音は自分達の周囲を何度かぐるぐると廻り、その間も二人は重なった儘身を潜めていた。
自分でもなぜそんな事をしたのか後々まで分からなかったのだが、桂はそっと手を伸ばして、躊躇いがちに目の前の覆面に触れた。
斉藤はびくっと体を震わせ、目を見開いて固まった。その反応に桂もびくっとした。
だが止めずに桂の指は這う様に布の上を辿って行った。
相手はされるが儘になってただ固まり、乾いた瞳はどんどん見開かれて行った。
指が布の端にかかった。少し躊躇ってから、ゆっくりと布を引き下げていった。
自分達を探す声と足音が徐々に遠ざかるのを耳の奥に聞きながら、少しずつ少しずつ、桂の手で斉藤の顔が露わになっていった。
唇の端が覗いた。
急に斉藤は桂の手を引っ掴んだ。
彼の両目は稲妻の様に血走っていた。
ぎりぎりと音がしそうな力で締め上げて桂の手に電流に似た衝撃が走り、桂が思わず恐怖を感じた瞬間に彼は緩めて離した。
足音は既に聞こえなかった。
斉藤はゆっくりと身を起こした。
がらがらと瓦礫が崩れ、白い空間が二人の周囲にぽっかりと開いた。
斉藤は膝立ちになって桂を見降ろした。小さく捲れた覆面を、彼は直そうともしなかった。
隊士達の声が再びざわざわと近付いて来た。斉藤は勢い良く立ち上がり、背中を向けて走り出した。と思えば立ち止まり、
なぜかもう一度振り返った。
彼が何か言葉を発するのではないかと桂は思った。
斉藤は小さくぺこりと会釈をして見せた。
そしてあっという間に瓦礫を飛び越して消えた。
桂も反対の方向へと走り出した。
走りながら桂は胃が痛い。何が正解なのか分からない。
これから彼と顔を合わせる度に、答えを探し続けなければならないと思うと、本当に胃が痛かった。
斉藤、貴様が言葉を口にせぬなら、俺はいつも貴様の前から逃げよう。
重い刃の落雷の如き一撃が、言葉を交わす以上の計算外などにならぬ様に、俺は貴様から逃げよう。