僕達の時間
「桂さん、憐れな党首様」
もう時間は散々無駄にした。
沖田が振り上げた刀は、峰で背中に、腿に、容赦なく振り下ろされた。
全身がびくっと撓り、電流を流された様にびくびくと小刻みに震えてから、か細い呻き声が漏れ、再び動かなくなる。
まるで鞭打ちの様で、その刑罰に彼は値している。
黒い色をした闇にひたひたと沈む街の片隅、錠の下りた倉庫の中、此処は夜の中の夜。
「こうしていればいつかは助けが来ると・・・・・?その助けってのは一体誰なのかねぇ・・・・」
長い髪と着物が乱れ縺れ合う水死体の様な姿。それを瞬きもせずに見つめ続ける。
息は押し殺してもせり上がり、手にした抜き身の刀の柄は汗で湿っている。
沖田は一歩進踏み出し、見せつける様にゆっくりと刀をかざした。
「だけど、いつまでも思い通りにはさせない」
居合の様な素早い一太刀、彼の着物の背が乾いた音を立てて切り裂かれた。
白い皮膚が斜めに覗く。それが闇に浮かぶ虫の様に、沖田の目の前で、沖田の呼吸に合わせて蠢いた。
更にもう一度、交差する形で背の裂け目が開く。
二歩、三歩、荒い息遣いとずるずるっと体が後ずさるのに合わせて、しゅぱっ、しゅぱっと剣が風を切る度に着物が裂かれる。
「あんたのせいで真選組は滅茶苦茶だ」
右から左から、切っ先を避けて仰向けになり腹這いになり、細い指が地面を引っ掻く。肩、胸、腹、腿、一滴も血は流れぬのに、
あらゆる白い肌が覗いた。
「土方さんも、あいつも・・・・あいつも・・・・みぃんなあんたにイカレちまった」
声が掠れた。いつの間にか沖田の目から涙が溢れていた。
「土方さんを返せ。真選組を返せ」
涙の膜の向こうで彼は震える腕を宙に伸ばし、裸足の足が白い枝の様に曲がって、まるでこの期に及んで尚、前に進もうとして見える。
唇を噛み締めて、沖田は剣を力任せに振るい、心に纏わりつく物を薙ぎ払う。
「もう潮時なのだ、幕府の狗よ・・・・・!!」
彼が声を振り絞り叫んだ。乱れた髪の隙間から震えて覗く唇。
枯れていても真っ直ぐな声。
「たかが一人の男の為に組織が滅ぶ・・・・その程度なら、田舎の芋侍として一生を送る事が貴様達の幸せだった・・・・そうして守って来た
物に殉ずる覚悟も器も無いのだから・・・・・!!」
ガシャンッ!!
力任せに両手で振り下ろされた刃が、彼の首のすぐ傍を打った。
静まり返った中に激しい二人の息遣いが重なっていた。
五秒、十秒、流れ続ける涙が時を刻んだ。
「おい、居るのか!総悟・・・・!!」
突然の叫び、ドンドンッと扉を激しく叩く音に沖田は我に返った。
次いでミシミシと何か大きな物を使って扉を押し開けようとする気配。
「今すぐ開けろ!!桂、そこに居るのか、桂・・・・・!!!!」
板が割れる耳を劈く様な音、錠がちぎれ曲がる不気味な音に耳を塞ぎたくなる。建物全体が埃を立ててミシミシと揺れる。
沖田は自分の体を掴まれ揺さぶられている様に感じる。
「沖田・・・・・」
がくがくする頭の中に彼の声がぽつりと響いた。
木の葉から真下の泥水に、透き通った雨露が零れ落ちる様に。
大きくなった扉の隙間から外の明かりが長く床に伸び、徐々に幅広くなる。
「桂!!桂・・・・!!」
一層声が近くなる。もう結界は突破されようとしている。
剣を投げ捨て、沖田は桂に縋りついた。
心の中に張られていた薄い硝子が砕け散る。
涙に濡れる頬を寄せて声にならない叫びが迸る。
間違った事なんて何一つ無かったのに。
美しい夢に惹かれ、光輝く高い階段を無邪気に駆け昇ってみただけだったのに。
めりめりと板が割れ、二人を覆っていた闇が剥がれ落ちる。
最後の恋の語らいと命乞いを、一秒でもこの手の中に。
長く伸びる夜の光の中、涙に濡れて沖田は、重ねる唇に祈りを込めた。