早春談義
三月、作り物の様に蒼く小振りな三日月が夜空に掛る、午後十時。
鬱蒼と茂る木々と濃い闇とに紛れて、人目を避ける様に厳かにその門はあった。
街の中心から程近い場所である。振り返れば向こうの方で賑やかな明かりやネオンの光がぼんやりした霧の様に夜空の元に燻っている。
銀時は前もって教えられた通り、門柱にあるインターフォンのボタンを二回、更にもう一回押して待った。やがてすっと門扉が開いて、
そこに男が一人立っていた。
「・・・・・坂田様、お待ち申しておりました」
歳は自分と同じ位だろうか、上品ながら目付き鋭く、声は丁寧で穏やかながらもどこかひんやりとして、更に銀時を招き入れる仕草の隙の無
さと言ったら、
まるで自分の目の前の人物以外は虫一匹、風一つすらこの門を潜らせないとでも言う様であった。
艶やかな椿の並木に彩られ、しっとりと打ち水された石畳の道を抜ける。こじんまりとした玄関の前に、年格好もばらばらな男達が三人ずつ
両側に整列しており、
深々と頭を下げて慇懃に銀時を出迎えた。
玄関を一足入ると目に入るのは高そうな壺に活けられた白梅の見事な一枝。背後で男達の鋭く見張る視線を感じながら銀時は靴を脱ぎ、
磨き抜かれ黒光りする板の間に上がった。
優雅に鯉が泳ぐ池を傍目に長い廊下を案内され、ようやく座敷の一間に通される。
分厚い座布団に腰を下ろすと同時に目の前に塗りの膳が運ばれ、男の一人がさっと銀時の傍に膝を突いて、酒器を持ち上げた。
「どうぞ」
「あ、ああ、ども」
銀時がぎくしゃくと持ち上げた盃に酒はてきぱきと注がれる。
「主人は直ぐに参ります」
さっと一礼し、男は下がった。
ほどなく廊下に衣擦れの音がして、のんびりと桂が入って来た。
「銀時、よく来てくれたな」
後に控えていた先程と同じ男が、席に着いた桂の盃にも素早く酒を注ぐ。桂は至極慣れた調子でそれを受け入れていた。
「ありがとう。また何かあったら呼ぶから」
男は無駄の無い動作で畳をすすっと下がり、
「ではどうぞごゆるりと・・・・・」
一礼しながら上目遣いに銀時と目が合う。そこからは特に何の感情も読み取れず、さらさらと障子は閉じられた。
銀時はふーっと息を吐いた。
「おいおい、お前どこぞの御大臣様だ。主人とか言われてどういう事?こんな立派なお屋敷だなんて聞いてねえぞ。
門入ってから此処に来るまでに、俺もう肩バキバキに凝っちまったわ」
気だるくぐるぐると肩を回して見せる銀時に、桂は苦笑した。
「いや、俺も最初は吃驚したのだ。この屋敷はある銀行頭取の別宅だったらしくてな。仲間の伝手で紹介してもらったのだが、
有り難く申し出を受けて来て見れば、こんな具合だ。攘夷派の熱烈な支援者だと聞いてはいたのだが。
主人というのは、ここにいる間は俺をそう扱えと言われているのだろう」
「しかも綺麗どころの一人もいないどころか、あの人達一体何?あの目付きと隙の無さったら怖えーよ。ありゃ使用人の目じゃねーよ。
スナイパーの目だよ」
「ああ、彼らはただの使用人じゃないぞ。皆要人警護の特殊訓練を受けたつわもの達だ。所謂えすぴーというやつだな。
貴様ももし彼らの前で妙な真似などしたら、即、脳天に風穴が空くぞ」
「ちょ、俺単に友達んとこに飲みに来ただけなんですけど。俺までテロリストの仲間に仕立て上げないでくんない。・・・
・しかもさあ、こんなお屋敷で何でポッキー?つか三本だけ?」
うどやたらの芽、ほたるいかの酢味噌和えなど、豪華な酒の肴の脇に品良く添えられているのは三本のポッキー。
桂は自慢気な顔で胸を張った。
「ああ、それは俺が特別にリクエストしておいたのだ。今夜は貴様が来てくれると言うのでな。貴様ポッキー好きだろう?」
「そりゃまあ好きですケド・・・・・」
明らかに場違いなのにも関わらず、晴れてセレブの仲間入りとばかりに澄まし顔な彼らを詰まみ上げて、銀時は頭からがじがじと齧った。
桂はおっとり寛いだ様子で盃に口をつけた。
「まあ、○○町のテロ以来厳戒態勢で日常生活にも支障をきたしておったのだが、こうして匿ってもらえて有り難い事だ。
だがあくまでも一時の仮の宿、この環境に慣れん様にせんとな。おや、ちょっと失礼」
すみません桂さんちょっと、と障子の向こうから声が掛り、桂は立ち上がって廊下に出て行った。
俺としたら一生此処に住みたいくらいだがねえ、とほたるいかの酢味噌和えを箸でぽいと口に放り込みながら銀時は独りごちる。
って言うか別宅って、あいつ本当は此処で囲われているんじゃ・・・・・いやいや、と慌てていかをもう一切れ口に押し込んで打ち消した。
口をもぐもぐさせていると、ふと部屋の奥の閉じられた襖が目に付いた。
なぜか気になった銀時は、酒を一口喉に流し込んで廊下の方に目を遣る。桂は男に何かを指示をしていた。銀時は四つん這いにささっと襖に
近付き、
隙間を一センチ程開けてそっと中を覗き込んだ。
「すまなかったな。・・・・・おや、どうした?」
戻って来た桂は、四つん這いに襖を覗く銀時の奇妙な行動に不思議そうに声を掛けた。
目を離さずに銀時はちょいちょいと手招きした。桂は訝しげに襖に近付き、銀時に習って隙間から隣室を覗き見た。
「こ、これは・・・・・っ」
襖の向こうにあるのは、ふっくらとした蒲団が一組。そこに枕が二つ。
行灯の明かりも艶かしく、それは正に初夜の為の床と言っても差支えなかった。
桂は真っ赤になって勢い良く目を離した。
「い、いや、俺は何も・・・・確かに、今夜は貴様が来るからと客用の床の用意を頼んではおいたが・・・・・まさかこんな・・
・・・違う、これは何かの誤解だ・・・・っ」
あたふたと懸命に弁解する桂を銀時はニヤニヤと眺めた。
「ふーん」
あの男達の目付きの半分はこういう訳だったのかと合点がいった。
「俺が指示したのでは断じてないぞ。か、彼らが勝手に・・・・!」
「まあでもさ、」
銀時は焦り続ける桂の肩を掴んだ。
「折角用意してくれたんだから、ここは期待にお応えするのが筋ってもんだろ」
「はあ?貴様何を言って・・・・正気か?皆に知られたら、ほ、ほら、脳天に穴が空くと・・・・・」
「ほうほう、今夜は一発脳天にがつんと来る奴をお願いしますって?きゃーやらしー・・・・」
桂の体をやわやわと抱き寄せ、わざとらしく耳元で囁く。
「ばっ・・・・貴様下品な・・・・・」
「どのみちそのつもりだったんだろ」
戸惑う桂の唇をちゅっと奪った。
「そんな事・・・・・」
また一つ奪う。
ちゅっちゅっと何度も繰り返すにつれて桂の抵抗は弱くなり、頬が色づき始める。
目元が潤み、仰け反った白い喉からか細い吐息が漏れた。
「あ・・・・・」
桂の羽織の中に両手を差し込むと、それは柔らかい音をさせて二人の足元にしどけなく落ちた。
酒のお代わりを運んで来た男は、声を掛けても返事が無いのでそっと小さく障子を開けた。
誰も居ない部屋。半分も手がつけられていない二つの膳。
閉じられた奥の襖の前には、くたりと横たわる一枚の羽織。
無表情な男の目の奥が誰にも分からないくらいに小さく光ったが、それはすぐに消え、中に盆をすっと差し入れると、
再び音も無く障子は閉められた。