君の瞳、星達の夢

 



 真夜中に近い時刻、銀時は真直ぐ家に帰る気にはならず、ひとりで往来をふらりふらりと歩いていた。

 今日、桂の潜伏先を訪ねた。先日の春雨の事件の際、自分が連れて来られた場所だ。

── 潜伏先の家は、もぬけの殻、近隣の住民に尋ねてみると、三月程前からそこは空き家だという事だった。





 春雨の事件以来、彼とは二度会った。

 一度目は事件から数日程経ったあたりだった。
 仕事の依頼先に向かっていた際、道で偶然後ろ姿を見掛けてスクーターを止めた。聞けば町外れの大きな書店で探し物があると 言う。丁度仕事先への通り道だったので、一緒に送っていくから後ろ乗れと彼に申し出た。桂は、済まない。助かると言って 素直に銀時からヘルメットを受取り、乗り込んだ。
 彼を後ろに乗せて走った5分間。彼は自分の後ろに不思議なほどしっくり収まっていた。
今この瞬間、彼はこの自分の肩を背中を見つめているのだ思うと、治り懸けた体の傷とは違う場所がじくじく痛み出す気がした。


 二度目はそれから更に十日程後の事。

 転生郷による後遺症を防ぐ為の良い薬が医者から手に入った。子供達に飲ませてやって欲しい。治ったようでも後からまた 症状が出て来る場合があるらしいからと、桂の方から万事屋を訪ねて来たのだった。
 丁度新八と神楽は定春の散歩に出掛けていて留守だった。当然客は自分一人で応対することになる。のんびりした午後の事、 依頼など当然無くかなり暇を持て余していた筈なのだが、玄関のガラス戸に映った影が桂のものだと分かった時、銀時は複雑な 気分に陥った。

 こんな薬高いんじゃねぇのと聞いたら、懇意にしている医者だからかなり安く譲ってもらえた。代金の心配は要らぬと言うので、 好意に甘えて有難く受け取る事にした。
お礼に今度一杯驕るわと言ったら、そんな金があるなら子供達に使ってやれと返された。
 いかにも桂らしい生真面目な応酬ではあった。しかしその言葉は次に会う事への遠回しな拒否に取れなくも無い気がした。

 出されたペットボトルの麦茶を飲みながら、その後のふたりの様子などを面倒身の良い彼らしく桂は親身になって色々尋ねて来る。
 変わらない桂が嬉しかった。ただひたすら子供達の心配をする彼が嬉しかった。
 彼は穏やかに静かに、至極当たり前に銀時の前に居た。
 スクーターに二人乗りした時と同じ、さらにずっとずっと昔からそのままで、まるで自分達の間に空白の時間など無かったかの 様に、


・・・・・・勝手に姿を消した自分への恨み言ひとつ言わずに・・・・・・。

・・・・・・過去さえ存在しないかの様に ・・・・・・。


 桂は十分程で腰を上げた。


──── え、もう帰んの

思わず口から出た。

──── 家で色々やらなければならない事がある。暇な貴様とは違うんだ。


玄関に向かう桂の後をスクーターのキーを掴んで急いで追う。
外の階段を一緒に降りてくる銀時に、桂は怪訝な顔をした

──── 俺もコンビニ行くからさ、ついでに送ってやるよ

ガチャガチャとスクーターを引っ張り出しながら、桂にヘルメットを差し出す。
 だが彼は受け取らなかった。

──── いや、いい。一人で帰れる


──── ああん?


銀時は、予想外の言葉に間の抜けた声を上げて振り向いた。


──── 茶をありがとう。子供達によろしく伝えてくれ


 そう言って桂は相手の返事も待たず手を挙げて丁度やって来た駕篭屋を止め、さっさと乗り込んた。
 ドアが閉るや否や走り出す。瞬く間に小さくなる車の後ろ姿を、返されたヘルメット片手に銀時は呆然と眺めるほかなかった。



──── そのまま日本の夜明けへまっしぐらですかコノヤロー





 些細な事ではあったが、この桂の行動には銀時の中に小さなしこりとなって残った。
 自分が運び込まれた家のある場所は、確か遠慮する程の距離では無かった筈だ。急いで帰らねばならぬ理由があったとしても、 何かが心の奥に引っ掛かった。

 ふと考える。彼が万事屋に来てから帰るまでの十分、会話はほとんど途切れる事は無かった。
 彼は何を聞き、話しただろうか
 新八と神楽の様子。銀時の怪我の具合。その後の春雨の動向。

・・・・・・それから、

それだけだった。


桂は自分に関係する事は何一つ話さなかった。攘夷活動に改めて誘う事もしなければ、突然姿を消した事について責める事も無かった。
春雨に関する話だけが、自分達に対する唯一の共通項目だった。




 要するに、かつて一切を捨てたこの自分は、今の桂の生活に何の関係も無いのだった。
現在ふたりを繋ぐものは何も無かったのだ。
自分達にとって、過去は過去でしかなかったのだ。
昔と同じ一体感は、自分に対する彼の諦めの混じった思い遣りだったのかも知れない。


心配した、会いたかったと瞳を潤ませてくれれば良かったのだろうか。
それとも泣いて責めて、ありったけの恨みつらみをぶちまけてくれれば?

あの桂の事だ。両方一生掛かってもしないに違い無い。そんな事は分かっている。

でも過去は確実に現在に繋がっているのだ。
空白の時の間、彼の瞳が、手が、声がこの自分を探していた。そういう事実の断片が欲しかったのだ。

 そうすれば自分達が文字通り一心同体だったという事実を肯定出来るのに。
 魂を分け合う行為に数えきれない程浸った。その理由を今こそ確かめられるのに。



──── 日本の未来を見つめる奴ぁ、過去は華麗にスルーですかそうですか








 そして今。
 なるべく人通りの多い道を選んで銀時は歩いた。

 金曜日の夜はいつもより人出がある。何度か人にぶつかりそうになりながら、冷えた頭で取り留めの無い考えをぐるぐる巡らせている。
酒でも飲んで気を紛わせようと思ったが、酒に頼るには頭と心が冷え過ぎていた。

 居ない。居なくなった。消えた。跡形もなく。何時から?何時まで?永遠に?


──── お前、人の振り見て我が振り直せって言葉知らねーの?


銀時は笑った。笑いながら鼻の奥が僅かに痛かった。

あー俺ってサイテー。



 いつの間にか河原まで来ていた。
 人通りが途切れた吹きさらしのその場所に、銀時はすぐさまUターンして繁華街へ戻ろうとしたが、振り返った先に煌々と光を放つ ターミナルが目に入って、なんとなく気が変わった。
 寒々とした心で見る美しい光のページェント。 街灯の無い河原でもぼんやりと明るい。絶えず闇夜に交差する虹色の光が、 別れてから先日の邂逅までの、自分が知らない彼の複雑な心の軌跡にも見えた。

 あれこれ考えていると、ターミナルの輝きが自分の寂寥感をまざまざと照らし出すだけなのに気付いて、いい加減鬱陶しくなる。
 ここは熱い風呂にざぶんと浸かってさっさと寝るべ。

──── 帰ーえろっと

 無理矢理頭を切り替えてそそくさと橋の方へ足を向けた。



「銀時ではないか」


 突如頭上で掛けられた澄んだ声に足を止めた。顔を上げたそこにはさっきと同じターミナル。その巨大な光の塔を支える様に 闇夜に浮かんで見える、河原を跨ぐ橋。

  その橋桁の丁度真ん中に、人影。

それはターミナルの閃光を真後ろに受けて輝きながら蠢いている。まさに今、決壊し溢れた光からこの世に生まれ出て来たかの様に。

「こんな夜中にどうしたのだ。そんな所で何をやっている」


 ・・・・・・幻覚って虹色だったんだな。



 光の洪水から生まれたその人は、橋を渡り土手を自分の方へ降りて来た。

 長い髪を着物の裾をなびかせて、つまり何の変りも無く至極当たり前の顔をして────。

 近付くに連れて、一足毎に幻たる色を脱ぎ捨てた彼は生身の姿へと変わる。
 土手の坂道を小走りに降りてきたものだから、傍までやって来た時彼は勢いづいて銀時の懐に飛び込まんばかりだった。
 銀時は思わず彼の体を受け止めようとした。しかし彼はちゃんと飛込む手前で止まった。

「お前・・・・・・何で此処に居んの」

 呆然とした銀時の顔つきに不思議そうにしながら桂は、会合の帰りだと答える。


「だって、あの、家ん中空っぽだったから。それで、俺、」

不明瞭な言葉でも桂には理解出来た様で、ああ、と言った顔をした。

「今回の会合は地方だったのでな。尾張の方だったのだが・・・・しばらく江戸を留守にすることになって、あの家は早めに引き払ったのだ」

急な事で、連絡する暇が無かったのだと言葉を続けた。わざわざ訪ねてくれたのなら大変済まない事をしたと。

──── まさか貴様の方から訪ねて来るなんて思わなかったのでな

何でもない独り言の様に続けられた小さな呟き。
桂の瞳の中にターミナルが振りこぼした光の欠片が幾つも煌めいているのを銀時は見た。まるで菓子屋のウインドウの中に並ぶ色とりどりのキャンディーの様 だ。
見惚れた自分の瞳の中にも、今同じ物が映っているのだ。

「その代わりと言っては何だが、これは土産だ。明日の午後にでもそっちに持って行こうと思っていたんだが丁度良かった」

──── 名物のういろうだ

なぜか嬉しそうに笑って、彼は手にぶら下げた紙包みを目の前に掲げて見せた。

桂は笑っている。自分は笑えているだろうか。いや笑えるものか。
笑えるものなら、とっくの昔に泣いている、泣いている。

「ほら、これ持ってもう帰れ。子供らが待ってるぞ」

 そう言って銀時を促し、桂は先に立って歩き始めた。


「・・・・・・ヅラ・・・・・・」


銀時は呆然と呼び掛けた。


「ヅラじゃない・・・・・・!」


・・・・・・桂だ・・・・・・!


訂正しながら振り向いた桂は、驚いて続く言葉を途切れさせる。思いがけず銀時の体は、ぶつかりそうな程の至近距離にあった。


相手が何か行動を起す前に、銀時は桂の体を力一杯抱き締める。

桂の手から土産の紙包みがどさりと地面に落ちた。

驚きのあまり言葉を失い抵抗さえ出来ない彼の唇に、銀時は自分のそれをぶつけた。




 手繰り寄せた過去がふたりの中を鮮やかに滑走し、現実の夢と溶け合って行く。
 光年を経た星々の軌跡が時を経て再び交わる様に。

 ひたと重なる唇の熱、微かに震える彼の吐息が許しだと思っていいだろうか。
 彼の飲み込む息さえそのまま捕まえたい。



 ──── 巡った季節の分だけ、感情が目を覚ます ────。







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