無情な恋の物語
無数の怒号と砲弾が炸裂する闇夜、土方はじっと息を潜めて目の前の屋根の上を見守っている。
そこには右へ左へゆらゆらと傾ぎながら逃げる背中。足元はふらつき、掠れた息の音さえもまるで耳元で聞こえる様だ。
何度目かの爆発がして、煙に一瞬飲まれた体がゆっくりと傾いて屋根板に沈む。傾斜をずるずると滑り落ちて一つ下の屋根へ、
更に軒へと、ぐにゃりとした人形の様に跳ねながら落ちて行く。
それを見届けた土方は冷えた笑みを浮かべた。
ポケットから煙草を出して火を着け、満足気にふーっと一息煙を吐いてから口の端に咥え、入り組んだ細い道にゆっくりと足を踏み入れた。
煙と埃の霞の中に、長い髪と着物が絡み合って横たわっている。荒い息と痛みに胸と背中を上下させ、時折びくっと動く。
「こりゃ目を覆いたくなる様なザマだな、党首さんよ」
ざっざっと歩いて倒れた体まで近付く。土方の足元で桂の体は痙攣を繰り返す。まるで土方の声も存在も拒否して振り払うかの様に。
一つ煙を吐き捨てて、土方は桂の傍に屈み込んだ。
「今夜限りでお前の自由は終わりだ」
土方は彼の乱れた長い髪を手荒く払いのけ、煙草を口から離してその白い首筋に強く押し付けた。
「・・・・・!!」
声にならない叫びと共に体が跳ね上がる。
「お前がこれから味わう痛みは、こんなもんじゃねえぜ」
「・・・・・狗め・・・・・!」
彼の唇からか細く鋭い声が漏れた。
「・・・・・せいぜい今の内にいたぶって、満足しておくのだな・・・・・安っぽい汚れた狗めが・・・・!」
肌にくっきりとつけられた赤い火傷が、呼吸に合わせてひくひくと動いている。
土方の目の光が刃の先の様にすうっと薄く削がれた。
乱れた襟元を掴み上げた。逃げようとする体を片手だけで抑え込んで、土方は今つけた火傷の跡を剥き出しにして晒し、噛み付く様に強く吸
いついた。
か細い呻き声と共に体が暴れ悶える。
幾らでも抵抗すればいい。だがもう自由にはさせない。この尊大なお尋ね者は、今日から俺の物だ。血が止まるくらいに押さえ付けて、
いたぶって、滅茶苦茶にしてくれる。
その生意気な唇が許しを乞うまで。
興奮にくらくらする頭で、土方は赤い跡を繰り返し繰り返し、舐め上げ吸った。
遠くからスクーターが走る音がこちらに迫って来るのを、折檻に夢中な土方は気付かなかった。
頭の片隅にもそれははっきりと大きくなり、背後でひときわ大きくなった時、ゴワンッという音と共に土方の背中と頭の上に車輪が勢いよく
乗り上げた。
「ふごぉっっ!」
土方の体は横に大きく投げ出された。
キキイッという音と共にUターンしてスクーターが止まる。
「あっれ、もしかして轢いちゃった〜〜?ゴメンゴメン、この辺暗くてよく見えなくってさぁ〜〜あれ、もしかして多串君?
いや、ホントゴメンね〜〜〜」
挑発するかの如く空回りするタイヤと白い着物の裾、くいっとゴーグルを上げた、見たくもない間抜け面と、聞きたくもない声。
「痛っってえぇぇぇ・・・・・」
チカチカと目の前で星が散る。
「多串君もさ、こんな夜の暗い所で這いつくばっていたらそりゃ危ないよ〜〜銀さんばかりが悪いんじゃないからね〜」
神経に障る声に余計頭ががんがん鳴る。背中にタイヤ痕をくっきりとつけた土方は、痛みを堪え起き上ろうとして、はっと気付いた。
桂が居ない。慌てて前を見ると、いつの間にか男の肩の上に細い体がぐったりと担ぎ上げられている。
「おい!!そいつを返し・・・・」
「コンタクトでも落としたの?あっと、俺もちょっと落し物探してた最中だったんだけど、お陰で見つかったわ、ありがとね。
・・・・ほんじゃおやすみ〜〜〜!!」
担いだ体をぐいっと抱え直して、スクーターは急発進する。
「コンタクト、早く見つかるといいね〜〜〜!!」
地面に這いつくばる土方を残し、不愉快なビブラートを聞かせて間抜け声は去って行った。
抱えられてゆらゆら揺れる髪と体が瞬く間に小さくなり見えなくなるのを、土方は遠目に眺めた。そして二、三度ぎりぎりと歯軋りをし、吐
き捨てた。
「・・・・・糞が・・・・・・!!!」
邪気に満ちた叫びは煙ごと夜風に攫われて、すぐに消える。
屋根の向こうで、狙う当ても無いバズーカの砲弾が、土方が打ち沈む地面を虚しく揺るがした。