Shot me down


 カーテンの隙間から差し込む灰色の光が、丸テーブルの上に赤ワインのグラスと封の開いたボトルの赤い影を落としている。
良く知られた銘柄の、値段を知れば絶句する様な逸品だが、桂はあまり口が進まない。

 薄暗いビジネスホテルの一室。
 最低限の生活道具しかない殺風景な小さな部屋。桂が腰かけているのは固く糊の効いたシーツで乱れ一つ無く整えられた大きなベッド。
 さっきから坂本は桂に背を向けて机に向かい、そこにハンカチを敷いて何やらかちゃかちゃと機械いじりをしている。 彼の傍には同じワインの入ったグラスが置かれ、それを時折煽りつつふんふんと鼻歌を歌い、時に黙りこくり、 或いはふーん、おや、なるほど、とかの独り言を楽しげに繰り返している。

 今度江戸に行く。半月後、来週、数日後、と電話や電報まで使ってしつこく伝えて来て、今江戸の○○にいる、すぐ来い、 今すぐにと唐突な呼び出しを喰らった昼下がり。指定された場所が裏通りのこの小さなビジネスホテルで、いつも高級な宿を取る坂本にはとて も珍しい事だった。

 最初から彼は上機嫌で、ノックしてドアが開くや否や、ワインの入ったグラス片手に、おお来たか、ヅラ・・・・!と盛大に腕を広げて出迎 えられた。 昼間から酔っぱらっているのかと思えば、不思議と顔色は赤くもない。
 さあさあと部屋に通され、すぐにグラスを持たされ、立った儘いそいそと酒を注がれて、

 ──── こんな所でびっくりしちゅうか。本当に一人になりたい時はこういう所の方が落ち着くんじゃ、誰にも知られず見られる事も無い からな。

そう言って彼は何がおかしいのか一人でけらけらと笑った。そして、

──── すまんがちょっと仕事が残っとってな、おまんは好きなだけ飲んでのんびりしておいてくれるか。

言うが早いか部屋の半分程も占める大きなベッドの上に桂を座らせ、自分はグラス片手に何か作業中の机の前にいそいそと向った。


 二時が二時半、もうすぐ三時になろうとしている。坂本が手を動かす音以外は静かな部屋、耳を澄ますと室外機の微かな音。 テーブルに置かれていた新聞はもう読んでしまい、テレビをつけるのもなぜか躊躇われて、桂はただ楽しげに作業をする彼の背を見つめ続ける しかない。
レースのカーテンが引かれた窓の向こうは、眼前まで迫る幾つものビルとその隙間から僅かに覗く空しか見えず、 地面から遠く離れたこの小さな部屋は、まるでビルの森の真ん中に宙吊りにされている様だ。
 思い出した様にグラスを手にとって酒を口に含んでみる。むせ返りそうに濃厚で、痺れる様なアルコールの刺激。


 突然坂本が立ち上がった。こちらをくるりと振り返って、テーブルの上の殆ど減っていないワインのグラスをちらと見た。


「こっちから呼んでおいてすまんかったな。実はおまんに見せたい物があってな、ちょいと最後の準備に手間取ってしもうた」


「・・・・・見せたい物・・・・・?」


 坂本はごくゆっくりと、後ろに隠していた右手を見せた。

 手の中にあるのは黒々と輝く拳銃。


 銃口は桂の心臓に真っ直ぐに向けられている。桂はふらりと立ち上がった。グラスの中のワインがゆらりと揺れた。

 微動だにしない銃口、それに合わさる表情の見えない黒いガラスの奥の瞳。


 パンッッ・・・・・・・!!


 銃口が火を噴き細長い閃光が飛び出す。
 桂は目を見開く。
 真っ直ぐに狙い撃ちされる心臓。

 胸からじわじわと血が滲み出し、白く細い喉が力無くかくりと仰け反って、・・・・


・・・・・眼前をきらきらした細かい物が舞っている。金銀の紙吹雪。その中を白い小さな物体がぱらぱらと桂の頭の上に肩に落ちて来た。

 銃口から垂れ下がっているのは色とりどりの吹き流し。

 足元やベッドの上に散らばったその白い物体には見覚えがあった。
以前桂が魅かれて欲しがっていたある企業キャラクターの小さなマスコット人形だった。
 紙吹雪を髪や体のあちこちにくっつけて、桂は訳も分からず呆然と立ち尽くしていた。


「驚いたか」

坂本は笑った。

「コレ、おまんが欲しがっていたのを思い出してな、手を尽くしてやっと手に入れたはいいが普通に渡すのも面白くないき。 先だってのおまんの誕生日も一緒に祝えんかったし、せっかくだからここで一発派手に、とな」

「・・・・・はあ・・・・・?」

 長い事机に向かっていたのはこの仕掛けの細工をしていたからだ。
 体から力が抜けた桂は腹の底から息を吐いた。

「全く・・・・数年寿命が縮んだぞ」


坂本はベッドに散らばったマスコットの一つを拾い上げた。

「ほら、可愛かろう」


 指人形になっているそれを人差指に嵌めて、彼はおどける様にくいくいと動かして見せた。
 大きな図体の男と可愛らしいマスコットの組み合わせ。緊張が緩んだ桂は思わず笑いがこみ上げて来て、やがて我慢出来ずに吹き出した。
 坂本は更に楽しそうに指を動かして見せ、二人は向かい合ってころころと笑い転げた。

 笑い過ぎて涙を拭こうとした目の端に、サングラスを外そうとしている坂本の姿が映った。


 と、次に気付いた時には、桂は強い力で坂本に抱き締められていた。

 凍り付いた桂の耳元で彼は熱く囁いた。

「・・・・ようやくわしに抱かれる気になったか。このいつまでもわしを振り回してばかりの薄情もんが」

 そう言って桂の唇を奪った。

 噛み付かれ、繰り返し舐めて、吸われる。その間右手は桂の着物の裾を割り、腿をゆっくりと何度も撫で上げられて、桂は震える声を零し た。

「どうして・・・・・」

 指が長い髪を乱しながら顎にかかり、酔った様な眼で覗きこまれた。


「おまんはなぁ、さっき逃げんかった。わしに撃たれると分かっても、なぁ、おまんは」


 どさりと冷たいシーツの上に押し倒された。
 付け根まで露わになった足が絡め取られ、奥深くまで彼が入り込んで来る。
 抵抗の声は熱い舌に犯されてか細い息になる。



 嘗ての盟友、信頼すべき良き友、良き仲間。

 それらは全て銃声の向こうに。


 昼間の薄暗い小さなホテル。

 愛と欲に撃ち貫かれて、二人の男が血を流す。





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