追い詰めたのはあなた


 待ち合わせの時間には少々早かった。
その狭い簡素な部屋に足を踏み入れて、土方は一先ず隊服の上着を脱ぎ捨て、隅の座布団を引き寄せて、 それを枕に古びた畳の上にごろりと横になった。
 落ち着かずに煙草を出して火を点ける。電灯の紐がぶら下がった茶色い天井を見上げてゆっくりと煙を吐き出し、 そっと首を動かして部屋の奥を見た。
開かれた襖の向こうの次の間は、殺風景なこちらの部屋とは対照的に、 褪せた金屏風と緋色の夜具が行灯の仄かな明かりに照らされて浮かび上がっていた。

 もう一度煙を吐いてから目を閉じた。
窓から差し込む淡い昼の光が瞼の裏に透けて、鮮やかな血潮が目の前に迸った。




 数か月前からその男と攘夷に絡んだある事件の解決に向けて、双方の利害の為に何度かの対話の機会を持っていた。
 互いの立場上腹を割ってとまではいかずとも、真剣な議論を交わして来た。組織を率いる者同士の共感があり、 彼は不遜ではあったが誠実であった。
 話し合いの他に自然と交わす雑談の、その時間が少しづつ長くなって来た頃、彼と会った後には大きな心の高揚を感じる事に 土方は気づいた。
その後には決まって深いメランコリーに陥ってしまう事も。
 自分の中で一体何が起こっているのか、不思議な事に彼が自分と同じ男であればある程に土方の心は疼き、 奇妙な色彩でどんどん塗り潰されていった。

 ある日急な用件で路地奥で慌ただしく話をした。話し合いの後そそくさとまるで逃げ出すように去ろうとする 彼のその腕を掴んで引き寄せた。

 土方は所謂敵であるその人の唇を知った。




 外から小さな音がして、廊下に面した襖がからりと開いた。

「もう来ていたのか。待たせてすまない」

土方は身を起こした。
桂は部屋に入って襖を閉める。

「ここは分かりにくい場所だな。少々迷ってしまった」

煙草の灰を落とし、土方は気怠く頭の後ろを掻いた。

「前と同じ所でも良かったんだが、ほら、あれだ・・・・改装で暫く休みになるっていうからよ」

そうか、と言って軽やかに畳を踏む彼の、半月ぶりに見る姿を土方は目で追う。
此処は所謂連れ込み宿だ。誰にも見られないとなると、どうしてもそんな場所になり、 今までも何度か使って来たが、今回は今までと背景が異なる事を分かっているのだろうか。

「昨日の夕刊は見たか?この前言ってた件が載っていただろう」

そう言いながら桂は、まるで時計でも見る様な、ごく自然な動作で次の間に続く襖を閉めた。


部屋はただの質素な箱となった。
桂は土方と向かい合って腰を下ろし、懐から地図を取り出した。

「それで例の搬入経路をもう一度洗い直してみたのだが、」

それを広げ、おもむろに説明を始める。


「・・・・おい聞いているのか?」

 真っすぐな声が飛び込んで来て、土方は慌てて虚ろに開いた口からだらりとぶら下がった煙草を咥え直し、 地図に目を落とした。
 相手が語るそれは土方にとっても大きな興味を持つ内容だった。土方はすぐに引き込まれ、二人は頭を突き合わせて 真剣に話を始めた。

「こっちの調べではその日の荷揚げの記録は無かったが・・・・もしかして帳簿がすり替えられていたのか」

「その可能性が高いな。その日の倉庫番の証言では・・・・」




「・・・・だから東のルートを取れば十時の出航にはぎりぎり間に合う。あいつらはそこから武器を送ったのだろう」

「だったら次もそこからだな」

 話し合いが一段落しようとしていた。
桂は地図を見つめながらぶつぶつと呟いて思案をしている。
土方は胡坐をかいた膝に片肘を突き、煙草を咥えて時々思いついた様に口の端から煙を吐いた。
 桂は土方の視線に気づいた様にふと顔を上げた。 と、慌てた様子ですぐに地図に視線を戻した。


「一度船を待機させておいたとなると、その場所は?」

土方は質問した。

「・・・・恐らくこの第二水門の辺りだろうな。番所の屋根で陰になって都合が良い 」

桂は指で地図の上の水色の部分を指した。

土方は頷き、今度は水門の上の場所に指を落した。

「だがこの橋の下という可能性は?」

「それも考えられるが、河がここで大きく蛇行しているから、」

 桂の白い指が地図の道路の上をすっと滑り、土方のそれとぶつかりそうになって一瞬止まる。

「・・・・蛇行しているから、北側の道路から見渡しやすくなってしまって、だったらここから一つ先の・・・・」

 さり気なく河の部分をなぞりながら離れていく桂のその手を、土方は捕まえた。

 微かに身を震わせ、桂は恐る恐る顔を上げる。
土方は手を掴んだまま煙草を素早く灰皿に押し付けて消し、溶けて行く煙の中から怯む彼の瞳を真っすぐに見た。

 彼の戸惑いや驚きが細い手から痛いほどに伝わって来る。

 残された道を探って見開いた四つの目が鏡の様に互いを映し合う。

 沈黙が破られるまでの一瞬を、互いの息遣いが密やかに、刻々と数えていた。




-Powered by HTML DWARF-