望みは何かと聞かれたら
万事屋の玄関に着いて桂は呼び鈴を鳴らす。誰も出ないのでもう一度。
硝子の向こうで影がごそごそ動いてガラリと戸が開き、いつもの気怠そうな銀時の顔が覗いた。
「うるせーよ。来る事は分かってんだから一度鳴らして待っときゃいーんだよ」
戸を大きく開けて、銀時はさっさと奥へと戻って行った。その背中は出るのを待たせた割にはどこかいそいそ
としている。桂は玄関を上り、銀時が引っ込んだ居間へ自分も続いた。
すでに銀時はソファにふんぞり返っていた、
「ちょっと来るの遅くない?」
「そうか?ああこれは土産だが…子供達は?」
桂は洋菓子の入った紙袋を手渡しながらきょろきょろと辺りを見渡した。
「新八はアイドルのライブ、神楽はそよ姫の所に泊まるってさ」
早速菓子の包みを破る様に開きながら銀時は答えた。
ああだから今日俺を呼んだのか。仕事も無くパチンコ以外に趣味も無いものだから、俺をわざわざ…子供達のいない日に…
桂はソファに腰を下ろし、自分も個包装の菓子の包みを手に取る。
そう言えば最近中々会えてなかったし…とカステラをぱくつく銀時の姿を眺めて桂の頬は少しづつ熱くなる。
ふと銀時は食べる手を止め、顔を上げてニヤリと笑った。
「今お前何か考えたろ」
「いや別に何も…」
「嘘つけ」
銀時の挑発する様な笑みに釣られて桂の胸は否応なしに高鳴る。
目尻を染めて顔を逸らし、桂は立ち上がった。
「そうだ、お茶を淹れて…」
「いーよ、そんなの後で」
銀時は素早く桂に近づき、無遠慮にその肩を掴む。
「しかし…と言うか、客は俺の方なのだから、お茶を出すのは家の主人が…」
「だから茶は後でってこの家のご主人様が言ってんだよ」
銀時は桂の桜色に染まった頬に手を添え、桂は恥じらいつつ、白旗を掲げる様に震える睫毛を伏せようとした…
その時、呼び鈴が鳴り響いた。
銀時は無視して行為を続けようしたが、再び響く。
「おい、呼び鈴が…」
桂が囁くと、銀時は舌打ちして桂の体を離し、足音を立てて玄関の方に向かって行った。
戸が開く音がし、新聞の勧誘等を断る銀時の声が続くのかと思ったら、何やら女の声が聞こえた。
媚を含んだ様な甘ったるい声音。何かを訴えている様で押し問答らしきやり取りが続いている。
桂はつい居間から顔を出して、玄関の方を見た。
銀時の背中の向こうに化粧の濃い女の顔がチラリと見えて、桂と目が合った。それまで何かを訴えていた女の表情がさっと変わった。
きっと桂を睨んで銀時に何か捨て台詞らしいものを吐くと、派手な着物の裾を勢い良く翻して行ってしまった。
階段を駆け降りて行く音が響く中、銀時はさっさと戸を閉め、廊下を戻って来た。
「今の女子は…」
桂が口を開くと、銀時は頭の後ろを掻きながら邪魔くさそうに答えた。
「あーこの間ちょっと引っ掛けたんだけどね…」
「…良いのか」
「んー」
銀時は桂に手を伸ばす。
「今日はお前が良いんだよ」
抱きしめられた桂はぐるりと考えた。
…今日は…?…今日は…?
…ではもし今日俺がいなかったら…?
桂はぐいと両手で銀時を引き離した。
「え?」
「今日はって何だ、今日はって。俺は何だ、日替わりランチか。大体あの女子にも失礼だとは思わんのか」
「え、ちょ、ちょっと待って。意味わかんない。何言ってんの」
「帰る」
「いや、何でよ。何でそうなるんだよ」
銀時の手を振り解き、桂は慌ただしく草履を引っ掛けた。
声を遮る様に戸をピシャリと閉め、さっきの女と同じ様に裾を翻しながら階段を駆け降りる。
先程来たばかりの道を早足で戻る。ちらと後ろを見ると、階段を駆け降りて来る銀時の頭が見えた。
桂は素早く横道に逸れた。
馬鹿め。俺はお前が思う程お人好しではないのだ。
匂い立ちそうな白粉、艶やかな着物から覗くきめ細かな肌、耳元をくすぐる色めいた甘い声。
そんな物が欲しいのなら、幾らでも手に入れるが良い。
その代わり、この俺はお前の傍から消えて居なくなる。
それが道理という物だ。
「俺はっ…分かってた筈なのに…何やってるんだか…っなんだかいきなり腹が立って…っ、そんな自分がもう嫌で嫌で…」
ぐすぐすと啜り泣き、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、桂は何度もティッシュで拭った。
賑わう居酒屋の小上がり口の席で、桂は既に何杯かグラスを空にし、傍にくしゃくしゃになったティッシュと紙ナプキンが
散らばっている。
向かい合う坂本は一杯の酒にちびちび口をつけながらそれらを眺めていた。
「何で今更こんな事で悩んでいるのか…男同士で幼馴染で、あいつは勿論この俺だって普通の男でっ…そりゃ結婚なんて出来ないし、別にお互
いだけなんて約束した訳でもないし、あ、あ、あいつが女子とナニしようと関係ないって…承知の上だった筈なのに…」
「うんうん」
坂本は何度も頷いた。
桂は真っ赤になった鼻を何度も拭っては同じ様な台詞を繰り返し、また合間に何度もこんな事聞かせてすまないと、
涙に掠れた声で詫びの言葉を入れる。
坂本は桂に新しい紙ナプキンを手渡し、
「まあ、あいつの方もやり方が不味かったな。何ちゅうか、もっと上手い事、」
「そうだろう!」
桂は両の拳でテーブルをダンっと叩いた。
「あいつもあいつで、ちゃんと分からない様にしてくれれば、俺だって…こんな…っ…情けなくて…っ…
良い笑い者じゃないか…っ…こんな馬鹿な俺はお前の目にどう映っている事だろうな……っ」
そう言って桂は再びけたたましく鼻を噛んだ。
「まあまあ、今回は色々タイミングが悪かったの。好きなだけ吐き出せばええ。そうすれば少しはスッキリするだろう」
優しく、そしてありきたりの言葉を掛けると、桂の顔はまた悲しく歪み、ティッシュを目に当ててはまたはらはらと涙を零すのだった。
店はそろそろ閉店時間だった。カウンター席の椅子は上げられ、客はポツポツ帰り始めてまばらになっている。
ちり紙が散らばった中、泣き疲れた桂は坂本の上着を掛けて畳の上で丸くなって眠っている。
坂本は残ってぬるくなったビールをグラスに空け、口に含んで飲み干すと、ポケットから桂の前では吸わないと
決めていた煙草を取り出し火を付けた。
何度かふっと煙を吐き出してから、坂本はゆっくりと携帯電話を取り出した。
厨房で洗い物が始まり、店員が床にモップとバケツを準備始めた頃、店の扉が開く音がした。
すんませーん、もう終わりなんですけどーという店員の声。坂本は手で申し訳ないという空気を出してそれを静止し、
「来たか」
と、入って来た銀時を見上げた。
銀時は坂本と傍で丸くなって眠る桂を交互に眺めた。
「疲れとる様でな、すっかり寝込んでしまった」
坂本は灰皿に煙草を押し付けた。
「で、俺を呼び出した訳?」
と言って、
「お前、煙草…」
と呟いた。
「わしに感謝するんじゃな。こっちだって、何も考えなかった訳じゃないきに」
銀時は一瞬に面白くなさそうな表情をしたが、自分の立場は弱いとさすがに分かっているらしい。
銀時は桂の傍に寄り、その体を揺り起こした。
「おい、ヅラ、帰るぞ」
桂はうぅーんと唸り、乱れた髪に腫れた瞼を重そうに開けて、何度か瞬きをした。
「…はれ…?ぎんとき…?何でここに…?」
「何でもいーよ。早く起きろ」
「ぬぁにを言っておるのだおまふぇは…俺は忘れふぇないぞ…おまふぇは…この…」
呂律の回らない舌で食ってかかろうとする桂をさっさと銀時は担ぎ上げた。
出口の方へ行こうとして坂本の方を振り返る。
「手間掛けて悪かったな」
坂本はやれやれという風に姿勢を崩して、
「わしが選んでやった事だ。おまんが選ばんかった事を、引き受ける奴は他にもおるぜよ」
そして続けた。
「幼馴染とはそんなええもんか」
銀時は黙って桂の体を担ぎ直す。
「どこへ行くんら、俺はまだ…」
駄々を捏ねて脚をばたつかせる桂と共に銀時は出て行った。
さっきまで桂が被っていた上着を手に取り、もう一本煙草に火を付ける。
それを咥えて直に坂本は店を後にした。
燻る火の先に、夜空に凍りついた星がある。それに向かって坂本は、特に美味い訳でも無いぬるい煙を吐き出した。