今日、人を殺した。
桂はじめ攘夷一派が某所に潜伏と情報を受けて、今日こそは目に物を見せてくれると、真選組隊士の面々は各々の腹の内を抱えて現場へと赴
いた。
踏み込んだ家は既にもぬけの殻、しかしまだ近くに潜んでいる筈と周辺の倉庫や廃屋を、万が一気付かれぬ様に静かに、一つ一つ調べて行
く。
沖田は入り組んだ路地のあるこの場所に目星を付けては見たが、通報があってから既に幾らか時間が経った今、殆ど期待はしていなかった。
土方の野郎は一体何を考えているんだか。こんな事で桂を捕まえられるなら、とっくの昔にあいつは塀の中だ。怪しい建物を見て回りながら
沖田は考える。
惑わされるな。あいつの武器は剣ではない。
狙った最後の一軒まで来た沖田は、戸や板壁の隙間からそっと中を伺った。暗い室内、特に気配は無いようだが、沖田は息を殺し、
ささくれた木の扉をそっと押した。
扉は音も無くぬっと開いた。
土剥き出しの地面、隙間だらけの板壁に外の光が細く射し込む。奥の壁際に積まれた藁、その上に横たわる布切れの様な物に
沖田の目が止まる。
布切れがふわりと動いた。よく見るとそれは青い着物の袖。
そして長い髪が掛かった白い頬、閉じられた瞼に墨で払った様な黒い睫毛。
藁の中に埋もれて、気持ち良さそうにすうすうと寝息を立てて昼寝をするそれは桂小太郎。
彼の頭が小さく動いた。手が顔に掛かる髪を退ける様な仕草、瞼がひくりと動いて、桂はゆっくりと目を開いた。
何度か瞬きをした。眠たげな目が立ち尽くす沖田の上に止まる。
桂はゆっくりと半身を起こす。彼の髪や着物からぱらぱらと藁が落ちる。少しずつ瞳に光が差す。やがて桂は小さく息を飲む。
そして、
「…沖田…」
彼は名を呼んだ。
「あ…ぁ」
息を止めていた沖田の口から知らずに漏れ出た呻きの声。
震える足で沖田は後退り、桂に背を向け、外へ飛び出した。
沖田は一刻も早く路地を抜けようとした。
まだ背中に桂の気配が残っている。走る地面がぐらぐらと波打っている。正面から受ける風と胸の体中に鳴り響く鼓動のせいで、まるで溺れて
しまいそうだ。
彼の静かな瞳が真っ直ぐに自分を見、低く柔らかな声が名を呼んだ。
今、自分は何故ここにいるのだろう。
四年前の十四歳、たった一人の家族である姉を残し、故郷から江戸へと出たのは本物の侍になる為だった。
『自分だけの真の道を選び突き進め』
今ここにいるのは、その意味を分かったふりをしているばかりの、何も持たないただの天涯孤独の未成年だ。
捜査が空振りだった隊士達が少しずつ戻り始めていた。
土方が眉間に皺を寄せて煙草に火を付けると、すぐそこの路地から丁度沖田がふらりと出て来る所だった。
「総悟、」
聞こえていないのか、沖田は歩みを止めず、その目はどこか虚だ。
「おい、どうした?」
その時初めて土方達の存在に気付いたらしく、沖田は立ち止まり、はっと驚いた顔で土方の顔を見上げた。
「何をぼーっとしている。あいつは、桂は見つかったのか」
ぼんやりと土方を見つめてから、沖田はそわそわと目を逸らした。
「……あ……姿は見たんですけど…すいません…取り逃してしまいやした」
そこにいつものふてぶてしさは無い。土方は拍子抜けをする。
「ふん、取り逃した。なぜ俺達を呼ばなかった」
「……すいません」
やけに素直だが、これ以上の質問は受け付けないと言っている風にも見えた。
土方はじろりと沖田を見、そして今しがた彼が出て来た細い路地へと目を移した。
迷路の入り口の様な見えない向こう側。
沖田の話によると、そこに桂がいて、沖田は彼に会い、捕まえもせずに別れた。恐らくほんの数分前の出来事。
ただそれだけだったが、土方の中で薄ら寒い風が吹いた。
沖田はさっさと歩き出していた。
眉間の皺を深くし、前を行く背中から視線を外して、土方は撤収の命令を出した。