冬の夜、嘗ての少年達の心は
今年最初の寒波が襲来した。
家に帰る途中立ち飲み屋の看板に誘われた。取り合えずの暖を取ろうと中に飛び込んで、手袋をむしり取りながら店員に焼酎を注文した、その時、カウンター
の隅に桂を見つけた。いや、見つけてしまった。
彼に再会してから数か月、年が明けて間もない一月の夜の事だった。
銀時は、桂が出て行ってくれると良いのにと思っていた。自分に気付く事無く、この一杯の焼酎が飲み干される前に目の前から、更に意識の中からも消えて
欲しいと思っていた。
なのに、彼が店の出口へと歩き始めたのを認めた時、銀時はひしめき合った客の間から思わず身を乗り出し、叫んでいた。
「・・・・・おい・・・!!」
傍の客達が何事かと銀時の方を見る。
遠くの桂がふわりとこちらを向いた。銀時は半分残ったコップをカウンターの上にドンと置いて駆け寄ろうとし、すぐにはっとしていつもの緩慢な動作でゆっ
くりと近付いた。
「貴様、居たのか」
桂は少し驚いた様子でそう言った。
「・・・・・・ああ居たさ。焼酎半分くらい飲み干す位はな」
「残りはいいのか」
「んーもう暖まったし」
桂は不思議そうな顔をしたが、それ以上追及はしなかった。
店の戸を開けるとさっと冷蔵庫に入り込んだかの様な冷気が二人の体に纏わりついた。酒で温まった体はたちまち温度を下げて、二人は身を縮こまらせた。
桂は歩きながらマフラーを髪の上からぐるぐると巻き付けた。
「お前、埋もれてんぞ」
小さな顔が殆どマフラーの下に隠れてしまったのを見て銀時は言った。
桂はマフラーの下でもごもごと口を動かした。
「あん?聞こえねえ」
「・・・・」
「・・・・聞こえねえよ」
銀時は手を伸ばして指でくいとマフラーを押し下げた。
たちまち現れた唇がぷはと息を吐いた。
「凍りそうだ」
そう言って桂は一つ、身ぶるいをした。
この冷気にさっき飲み残した酒を惜しく思ったのは事実だ。桂さえいなければ仕事疲れの体はもっと温まって、ほろ酔いのそこそこ良い気分で家路に就けたの
に違い無い。
酒よりも彼を選んだのには理由があった。何とも癪に障る、ケチ臭い理由だ。
再会してから今日までに、何度か彼と会い、春雨事件で図らずも共に剣を取り合って、そこから万事屋ぐるみで顔を合わせる機会も増えたけれど、回数として
は決して多くは無い。指名手配犯である彼は決まった住処を持たないので、殆ど偶然に家を知る他は尋ねる当ても無い。
距離が縮まったかと思えばまた直ぐに行方をくらます。いつも何食わぬ顔を見せ付ける彼が恨めしい。じりじり悩んで苛ついて、銀時の胸を痛い程に疼かせ
る。
それでも顔を合わせれば、ふとした瞬間に互いの視線がぶつかり合う。軽口の応酬の裏側で、二人の時間が少しずつ巻き戻って行く。
思い過ごしとは言わせない。
少年から青年へ、情熱だけで生きていた二人、
死が二人を分かつまでと信じていた、若い若いあの頃の。
「お前、正月はどうしてたんだよ」
ゆっくり歩き出しながら銀時は尋ねた。
「仲間がお節を持って来てくれてな。江戸に残った者達とで飲んで、まあ形ばかりではあったがそこそこ立派な正月だったぞ」
「お前、年がら年中野郎共と一緒なのな。ちょっと位ホラ、たまにはコンパニオン的なアレとかさ・・・新年くらいちょっと遊びてえとか無いのかよ?
お前んとこ意外と羽振り良いじゃん。何かヘリとか持ってたし」
「ヘリは・・・・あーレンタルだ」
「レンタルぅ?何だそれ攘夷志士向けのレンタルサービスなんてあんのか。ちょ、世の中便利過ぎて、俺時々付いて行けねーわ。つかレンタルっつってもヘリ一
機借りれる位の余裕、やっぱあるんじゃん」
「ああ余裕のよっちゃんだ、と言いたい所だが、まあ・・・貴様も知っていようが、攘夷志士と云うのは、ホラ、意外と金持ちのボンボンてのが多いだろう、
ああいう大きな出費の時は結構・・・その、そう、日本の夜明けの為に我が身我が私財を進んで投げ打ってくれるのだ!何と崇高な行いである事か!」
「いや、何か却ってアヤシク聞こえるよ?」
二人の吐く息はもやもやと白くなって散っていった。
暗くなった街に通りの店先から明かりが無数に落ちて、行きかう人々が影絵の様に揺れていた。
あれやこれやの話題でぎゃんぎゃん遣り合っていた二人だが、繁華街を通り抜けるに従ってそのいまいち中身の無い話題も尽き始めた。
こぽこぽと低い水音が聞こえて来て、いつの間にか町外れへと続く水路べりまで来ていた事に銀時は気付いた。
家に帰る筈だったのだが、もう家がどの方向にあるのか、歩きながら銀時の頭の中から抜け落ちていた。桂の今の住まいは何処なのだろう。
歩道は水路に沿って徐々に狭まって、時折互いの袖が触れ合った。
弱弱しい北風に揺れる柳並木が、蛇行しながら目の前のそのまた向こうまで続いて闇に消えていた。
四つ辻に差し掛かった時、桂がぽつりと言った。
「・・・・じゃあ銀時、俺は此処で・・・」
下の水路で、ゴミでも打ち上げられたのかちゃぽんという音がした。
道の向こうから車のライトが近付いて来る。それがパトカーだと分かって、銀時は桂を庇う仕草で直ぐ傍の路地に連れ込んだ。
パトカーのライトは二人の着物の端を一瞬照らし、速いスピードで去って行った。
遠ざかる車の音に耳をそばだてて二人はじっと寄り添っていた。
ようやく音が去ると、桂はそっと顔を上げた。
「もう、いい・・・・」
そう言い掛けた桂は、銀時の視線にぶつかって、言葉を飲み込んだ。
互いの間近な視線が柔らかく、でもしっかりと絡み合った。
夜の灯りを受けて揺れる四つの瞳は穏やかで深く、少しばかり悲しそうだった。
昔から良く知り尽くした、互いを見つめる時だけの表情だった。
水路からは冷たい水音が延々と続いて、二人の胸に響いていた。
小さな北風が柳の枝葉をさやさやと鳴らした。
路地に流れ込んだ冷たい空気に、二人の体は一層寄り添い、前髪が触れ合った。その時、
「にゃあ」
間の抜けた鳴き声が足元から聞こえた。
二人は思わず固まった。
そろそろと目だけを下へ動かすと、一匹の白い野良猫が、二人の着物の裾の間を悠々と擦り抜けて行く所だった。
猫はふわりとした尻尾をくねらせて、歩道の方へぴょんと飛び出し、瞬く間に消えた。
二人はそれを黙って見送り、やがて茫然と目を見交した。
ふと二人の表情が崩れる。見る見る内に笑いがこみ上げる。
そして堪え切れずに、同時に噴き出した。
何だか全てが馬鹿馬鹿しくなって、やたら真剣で身構えた自分達がおかしくて、笑って、笑って、笑う内に体は一層寄り添い、
ぎゅっと抱きあって、一度キス、
まだ笑いながら少し離れてもう一度、
そして三度目にひたと重なり合って、
二度と離れまいとする様に、強く強く抱き合った。
時は戻らない。あの頃の様に若く無分別でも無い。
二人は互いに知らぬ内に大人になり、世界は大きく隔たった今、
永遠も約束も、意味が無いと知って、それでも再び情熱を確かめようとする愚かさに今は感謝したいと、
嘗て少年だった二人は今夜、心から思うのだ。