明日を夢見る
天の川の流れに沿い、気の遠くなる程果てしない宇宙空間を何か月もかけて一周した後、快援隊は新たな商談と暫しの休息の為に、故郷の星
地球へと降り立った。
最後に地球を出発してからほぼ半年ぶりの事である。
「次の出発は三日後か。その間酒と女づくし、という訳だな」
桂は目の前で上機嫌に杯を重ねる坂本を眺めた。店に入って十分も経たぬのに、テーブルの上にはもうあらゆる酒ととりどりの肴がが並び、
華やかなことこの上ない。
「アーハッハハ!んな事ねーぜよ。合間合間に商談の方もふたつみっつって所じゃ。ほれ、おんしももっと飲まんと」
カラカラと笑って坂本は桂の杯に勢いよく酒を注ぎ足した。 溢れそうなそれに桂は急いで唇をつける。
「浮かれるのは結構だが、陸奥殿の心労を思うと、俺は諸手を挙げて賛成はしかねるな」
「アーハッハハ!心配無い心配無い。わしがヅラに会う為に帰って来たっちゅうのは、あいつも解っちょるきー」
「は?」
「おー金時が来たぜよ!!おーいこっちじゃあー!!」
坂本は店の入り口に現れた人物に向かって、大きな手を盛大に振った。
彼の声と大きな身振りに、客たちは一斉にこちらのテーブルに注目した。
銀時は腹の辺りを掻きながら、うんざりした顔で近づいて来る。
「オメー馬鹿でけー声でうっせーよ。恥ずかしーんだよコラ」
「悪いな。先に始めさせてもらった」
「コイツなんなの。出来上がんの早過ぎ」
坂本の方に顎をしゃくって銀時は桂の隣に座を占めた。
「また宇宙に出る前に、出来るだけ楽しみを味わっておこうという魂胆なのだろう」
桂が銀時の杯に酒をついでやりながら言った。銀時は日頃よりも豪華な酒の肴に早速箸を伸ばしている。坂本の奢りと解っているから遠慮は
無い。
「そうちゃ。人生楽しんだ者勝ちじゃ」
坂本はしれっと笑いながら桂の皿に料理をひょいひょいと取り分けてやっている。
「あ、貴様の分が・・・」
桂が慌てて止めても坂本は意に介さない。
「構わん構わん。おんしがおいしそうに食べる顔が見たいんじゃ」
銀時は鰹の叩きを憮然と飲み込んだ。
「おい辰馬、俺には取り分けてくんねーの」
「お前はもう自分でさっさと取っておるだろう。少しは遠慮というものをせんか」
ぴしゃりと桂が言ってのけると、坂本はまた豪勢に笑った。
「アーハッハ!ええちゃ、ええちゃ。今夜は盛大に食べて飲もうぜよ。さあ、乾杯じゃ!」
久々の集いに話は尽きない。普段愛嬌というものを何処かに置き忘れている桂も、今夜ばかりは表情が柔らかい。坂本の語る未知なる宇宙の
話に、身を乗り出す
様にして聞き入っている。美味い酒にほんのり目元を染め、めったに見せない微笑みを振りこぼすその姿には、例えようも無い艶があるのだっ
た。
宴も終盤になった頃、仲間の所に電話を入れて来ると言って、桂は席を外した。
「ヅラは会う度に別嬪の度合が増して行くのー」
桂の後姿をとろんと目尻を下げた顔で追いながら、坂本は呟いた。
「それに昔よりもずっと色っぽくなったと思いはせんか」
「・・・そうか?電波の度合は確かに増して行ってるがな」
いつもの盛大な笑いが帰って来ると思ったら、相手はサングラスの中から上目遣いにじっとこちらを見遣っている。
「・・・なんだよ」
「ちいっと位理由を教えてくれてもバチは当たらんと思うがのー」
「は?ンなもん俺ぁ関係ねーし」
素っ気なく切り返す銀時に、坂本はガラスの奥の目を見開いた。
「なんじゃ。おんしらまだ『より』を戻しとらんのけ」
「・・・はぁ?意味わかんね。よるもよらねえも、初めっからンなもんねーよ」
銀時はそっぽを向いて、宙に浮いて止まっていた杯を再び持ち上げる。坂本は椅子の背にどさりともたれ掛かって、銀時をまじまじと見つめ
た。
「へぇ・・・そうけぇ・・・。おんしらの様子だともうとっくに元鞘かと思っとったんじゃが」
いやぁわしはてっきり・・・と心底驚いた様子で、坂本はいつまでもぶつぶつ呟いている。
鬱陶しい。途端に酒がぬるくなった気がして、銀時は顔を顰めた。
「じゃあわしは特に遠慮することは無いんじゃな」
ハァ?と聞き返した丁度その時、桂が戻って来た。
「のうヅラ、わしを今夜おんしの所に泊めてくれんかのー」
銀時は内心でぎょっとする。
いきなりの言葉に桂が「ん?」と坂本に目を向ける。
腹の立つ程わくわくした顔で坂本は桂の顔を見上げている。桂は何と答えるのか。
「駄目だ」
「ええ〜!なんでじゃ〜?一晩位頼むぜよ〜!」
きっぱり言い放った桂に、坂本は情けない声を上げて抗議する。
桂は冷たくふんと鼻を鳴らした。
「実は今日陸奥殿から電話があったのだ。恐らく貴様は我儘を言って船に帰りたがらないだろうから、その時は尻を蹴っ飛ばしてでも追い出し
て欲しいとな。
明日は朝から大事な商談があるそうではないか。準備のすべてを陸奥殿に任せるなんて事はもってのほかであろう」
「あちゃ〜先回りされたか〜」
坂本はしおしおと肩を落とし、銀時は皿に残っていた最後の唐揚げをぽいと口に放り込む。
「やっぱおんしらと飲む酒は格別じゃきー」
ぬるい夜風の中、機嫌良く下駄をカラカラ言わせながら坂本は、ぐっと桂の肩に腕を回した。坂本のそんな行動には昔から慣れているから桂
も特に抵抗は
しない。
銀時はふたりの半歩後ろをだらだらと歩いていた。
「またお別れかと思うとわしは寂しゅうて堪らん。おんしら二人はいつも一緒じゃからええけんど、のう、金時」
桂の肩越しに振り返って、坂本はニヤッと銀時に笑って見せた。
「・・・銀だっつーの・・・」
「寂しいのは俺たちも同じなのだぞ。もっとお前が帰って来てくれればいいのにと思っている」
「ヅラぁ・・・」
坂本はほろりとなって桂を熱く見つめる。桂は『ヅラじゃない』と切り返しながらも、優しく笑った。
ターミナルへ続く曲がり角での別れ際の事だった。急に坂本は桂に背を向け、銀時の肩にぎゅっと腕を回して引き寄せ、囁いた。
「何も言わんならおんしはもう『降りた』と見なすが、良いか」
銀時が目を見開いた時には、彼はもう桂の方へ向き直り、まるで今にも彼を攫って行きそうな勢いで、盛大に別れを惜しんでいた。
坂本が居なくなると、途端に夜が深くなった。
桂は背後で輝くターミナルを振り返った。
「・・・あいつが帰っちまって寂しい?」
「友と別れた後はいつだって寂しいものだ。恋人なら次に会う約束も出来ようが、友相手ではそれもなかなか叶わん。それでなくてもあいつは
忙しい男なのだから」
「つまり、いつでも会える俺はよっぽど暇な男だって言いたいワケ?つか恋人じゃなきゃ次の約束をしちゃダメなんて決まりないだろ」
「そういう意味では無い。俺達は今、抱えているものがそれぞれに違う。過去よりも今の生活の方が大事なのは当然だろう?だがそうして昔の
情を忘れ、
約束の回数も減っていく。自然な事だと解っていてもやはり寂しい、そういう事なのだ」
盛り場は遠ざかり、ふたりは点々と街燈が連なる静かな住宅街に差し掛かっていた。
「銀時」
「んー?」
「宇宙は美しかったか?」
桂は唐突にそんな事を言った。以前福引で当てたチケットで万事屋三人が宇宙旅行をした事を言っているのだろう。
「んー確かにキレイだったけど、なんつーか広すぎて落ち着かねえって言うか・・・不時着した星もただ干乾びてばっかで面白い事なんか何ー
んも無かったし、
つかテロリストと乗り合わせるわ辰馬は滅茶苦茶やらかすわで楽しむどころじゃ無かったし・・・ま、結局の所俺には地球が一番相に合って
るってこった。・・・
何、お前今日あいつから宇宙の話を聞いてついて行きたくなったの?」
「ついて行きたい訳じゃない。攘夷を捨てる事は出来んからな。俺はあいつが・・・あいつがどれだけ宇宙を好きか、いつも手に取る様に解
る。だがこうして
毎回帰って来るのも、宇宙と同じくらい地球を愛しているからだ。俺にはそれが痛いほど解るのだ・・・。だから、・・・だから俺は」
そこで突然言葉が切れた。桂は僅かにきゅっと眉間に皺をよせ、唇を引き結んでいる。何かに耐えている様に見えた。
だがすぐに桂は雪が溶ける様にひとりでゆっくり微笑んで、そっと首を振った。
「俺にとって宇宙は遠過ぎる。坂本の話を聞いて楽しむくらいが丁度いい。天上の夢はあいつに任せて、俺は此処で地上の夢の実現を目指すこ
とにしよう。お前と見る地上の夢も悪くなかろうよ」
「・・・おいおい、どさくさ紛れに攘夷への勧誘ですかぁ?」
ころころと桂は笑った。いつもなら、ここで攘夷の崇高さをとうとうと説き始めるところだろうに。
桂は笑いながら、じゃあな、寄り道するんじゃないぞと言葉をかけ、そのまま機嫌よく角を曲がって行ってしまった。
既に日付を超えた街はずぶずぶと闇に沈んでいく最中にあった。
道端に一人取り残された銀時は、ゆっくりと万事屋の方向へと歩き出した。
周囲には人っ子一人居なくて、申し訳程度の数の星達が放つ光は哀れな程弱々しく、そのせいで
夜空は余計に暗く、冷たく見えた。
今自分が居る寒々と暗いこの場所は、宇宙の果てと一体どれ程の違いがあるというのだろう。
『・・・おんしはもう降りたと見なすが、良いか』
『宇宙は美しかったか?』
交わったかと思えばすれ違う心。坂本も、桂も、そして自分も、永遠に夢を見ながら、宇宙程に息苦しい闇の中を漂い続けているのだ。
だが自分が見た宇宙はこの何十倍も広く、荒涼としていた。
あの時唯一心から美しいと思ったのは、シャトルの窓から眺めた地球だ。
『・・・お前と見る地上の夢も悪くなかろうよ』
銀時は立ち止まり、今来たばかりの後ろを振り返った。桂と別れた曲がり角は既に真黒に塗りつぶされ識別出来なくなっていた。
切れかかり不規則な点滅を繰り返す街燈の下、乱れた青白い光の波長に合わせて、銀時の心は静かに波打った。
ここは地球で、江戸で、かぶき町だった。さっきまですぐ傍に桂が居て、彼は無邪気に笑っていた。子供時代の記憶の断片でもなく、別離の
間の浅い眠りの途中に
差し挟まれた幻でもない。現実の、生身の桂の笑顔。
踵を返し、銀時は今しがた潜って来たばかりの闇の塊に向かって一目散に走り出した。
桂を捕まえる為に。彼を抱き締めて、共に未来への夢を見る為に。
過去は宇宙よりも遠くにある。余りにも遠過ぎて、すべては夢だったのだと言われてもきっと否定の術さえ見当たらない。
けれど未来への夢に向かってなら、幾らでも生きていける。
それが地上でなら、尚更。
天は慈愛の心で地を見つめ、地は希望の光を天に見る。