4年後のバースディ 29




 ◆      29      ◆ 


 糸が切れたように、高耶はどさりとベッドに腰を下ろした。
 あの後、中川の診察を受け、「問題なし」と診断をされた高耶は自室に戻っていた。
 なんだかんだと世話を焼く直江を、ようやく隣室に帰した高耶は、ひとりぼんやりと長い一日を振り返っていた。

 力の暴走……
 仲間を殺しかけたこと……
 自分が換生者であること……
 直江への感情……

「疲れた」
 ため息交じりのつぶやきが、ぽつりと床に落ちる。
 記憶喪失の朝を迎えてからのこの数日、4年間にあったいろんなことが一気に押し寄せてきて、頭がショートしそうだった。
 まるで2時間の物語を3分で紹介する、映画の予告編を観てるようだと高耶は思った。断片的で思わせぶり。肝心なところは隠されている。そんなところもそっくりだった。
 そう、何か肝心なところが隠されている。高耶は直感的に感じていた。
(何かが足りない……)
 高耶はこめかみに指を当て、考える。
 直江が説明してくれた『4年間にあった出来事』に矛盾するところは無いと思う。だけど何かひっかかる。頭では納得しているのに、それを否定する感情があった。
 何か重要なパーツが欠けているような違和感を感じてしかたがなかった。
 
 その違和感のひとつは、直江へ大きく傾く自分の感情だった。
 その感情は、好意を持っているとか、信頼しているとか、そんな生易しいものではない。広場で直江が倒れた時、マグマのように溢れ出した悲しみと怒りの感情は、我ながら狂人の域であったと思う。そこまで暴走してしまった理由が、高耶にはわからなかった。

 そしてもうひとつの違和感は、高耶の仲間たちに対する感情だった。
 人の体を乗っ取る怨霊なんて、憎むべき存在のはずである。
(なのに……)
「譲……」
 高耶は、親友の体を乗っ取られた時の怒りを思い出す。思い出せるのに……今の高耶にそんな感情は浮かんでこない。そればかりか、彼らを利用して四国を制圧するという上杉の任務を実行している自分に――正しくは4年後の自分に、罪悪感すら感じている。
(オレは……いつかあいつらを調伏するのだろうか?4年後の自分は、本当に彼らを利用するためだけに親しくしていたのだろうか?)
 そう考えて悲しくなる自分に、また混乱する。
「あいつらは怨霊じゃねぇか!生きることは許されねぇんだよ!」
 激しく頭をかきむしる。
「許されないんだよ……」
 その言葉は、高耶の心にも突き刺さる。
(オレだって人の命奪って生きてるくせにっ……)
 唯一彼らと違うのは、この世から怨霊をなくすという使命のために、やむなく人の命を奪って生きてきたということだ。ならばその使命を遂行しなければならない。それができなければ自分も怨霊となんら変わらないものになってしまうだろう。
(いつの日か……あいつらを調伏しなければならない……)
 高耶の顔が苦悩にゆがんだ。
 自分を信頼して慕ってくるみんなの顔を……ベッドサイドに山と置かれた見舞いの品々を思い浮かべると、自分の正義がわからなくなってくる。
 拮抗する2つの思いに身が裂けそうだった。
(未来の自分は、どう考えていたのだろうか?彼らを本当に利用価値のある道具としてしか見ていなかったのだろうか?期間限定の仲間だと、本当にそう割り切れていたのだろうか?……4年後の自分を知りたい)
 高耶は瞑想するように目を閉じ、その答えを探そうとした。しかし深い思考に入ろうとすると、何かが邪魔をしてそれ以上踏み入れさせてはくれない。それは、記憶の無い高耶を苦しめないようにと、直江がかけておいた暗示効果であった。
 そんなことを知る由も無い高耶は、大きく徒労のため息をつくと力なく壁にもたれかる。
 降り続く雨音に混じって、シャワーの音がかすかに聞こえた。






 シャワーを浴び終えた直江が、ドアを開けるとそこに以外な人物がいた。
「高耶さん?」
 高耶の手は、今しもバスルームのドアをノックしようというところで固まっていた。
「どうしたんですか?眠れないのですか?」
 やさしく問う直江に、高耶は怒ったような口調で答えた。
「シャワーの音が聞こえたから。お前、怪我してるのにお湯浴びて大丈夫なのかって思っ……」
 高耶は言葉をとぎらせた。
 その目は大きく見開かれ、羽織っただけのシャツから覗く直江のたくましい胸板に注がれていた。
 ハッとした直江は、さり気ない仕草で素早くシャツの前を合わせる。
「……それは何だ?」
 しかしすでに遅かった。
「その胸の傷跡は何だ!」
 高耶は瞬きもせず、目を大きく開いてシャツに隠された左胸を凝視している。
 直江は己のミスに臍をかむ。
 今も左胸に残る、この尋常でない傷跡を見れば、高耶が何を思うのか。それは容易に想像できることだった。だから隠すようにしていた直江だったのだが、高耶の無事を確認したことで気を緩めてしまったらしい。
「昔の傷です。心配いりません。怨霊調伏には危険がつきものですから」
「直江!」
 高耶の瞳は、まっすぐにぶつかってくる。その目は、直江のやさしい言い訳に誤魔化されてはくれなかった。
「正直に答えろ。それは……その傷は、オレのせいなんだな?」
「違います!」
「オレを守った時のものだろう!じゃなきゃ胸の真ん中にそんな傷をお前が受けるはずが無い!そんな無抵抗でやられるような状況なんて……オレをかばったからだ!」
「それはあなたのせいではありません!」
 直江も声を張り上げて否定する。しかし、むきになって声を荒げるその態度は、高耶に確信をもたらせただけだった。
「やっぱりそうなんだな?」
 高耶が悲愴な声で言った。
「オレのせいで……」
 今日の広場でのように、この男は血まみれになりながら自分を守ってくれたのだろう。
 高耶は唇をかみしめる。
「高耶さん。私はあなたを守ります。どんなことがあろうとも……例え、憎まれたとしても」
 直江の手が高耶の頬に触れた。
「あなたが傷つくのを見たくないのです。これは私のエゴです。だからそんな悲しそうな目をしないで」
「オレに傷を負わせないためだ?」
 頬に伸ばされた直江の手を、高耶はパシリとはね除けた。そして、直江のシャツに手をかけると左右に思い切り引き裂いた。飛び散ったボタンがカツンカツンと床に転がる。
「なんだよこれ……」
 目の前に現れた左胸の凄惨な傷跡に、高耶の顔は苦しげに歪められる。
「なんなんだよこれは!」
 今ここに直江が生きていることが奇跡だと高耶は思った。
「オレを傷つけたくないからだ?オレを傷つけてるのはお前なんだよ!お前がオレを守って傷だらけになるたびに、オレも傷ついてんだよ!!」
「高耶さん……」
「バカヤロウ……こんなことしやがって……!!」
 シャツを握り締めながら、高耶はうめく様に言った。
 自分をかばい、胸から血を流すその光景を想像するだけで全身が恐怖に震える。
「バカヤロウ……」
 目の前にある生々しい傷跡に震える指をのばす。かすかに触れる指先から命のぬくもりが伝わってくる。
「直江……」
(自分が今ここにあるために、どれだけの傷を直江に与えたのだろうか?)
「脱げ」
 高耶が言った。
 直江は目を見開く。
「体にある傷を見せてみろ!」
 見なければならないと、高耶は思った。
「全部見せるんだ直江!」
「……わかりました」
 もどかしげに直江のシャツを剥ぎ取ろうとしていた高耶の手を直江は制した。そして高耶の目の前で、一枚ずつゆっくりと己の身を纏うものたちを床に落としてゆく。
 露になってゆく肌に高耶の視線が絡みついてくる。エアコンの冷気に晒された素肌は冷えるどころか、その視線に焼かれそうだった。
「それもだ」
 上も下も脱ぎ去り、インナーだけになった直江に高耶が命じた。
 直江は最後の衣を脱ぎさった。
「っ……!」
 現れた直江の雄に、高耶は息を呑んだ。
 皮膚の表面が、酸を浴びたように爛れている。一体なぜこんな状態になったのか……
 目を逸らしそうになる自分を叱咤し、高耶は、直江の体を上から下までくまなく視線を這わせる。直江の体に刻まれた多くの傷跡を、ひとつ残らず胸に焼き付けてゆく。
「後ろを向け」
 向けられた広い背には、高耶の知っている傷があった。割れた校舎の窓ガラスから、この背を盾にして高耶を守ってくれた時のものだった。
(きっとこの男は、こんな風にいつもオレを守ってきてくれたんだろう……)
 高耶は、その懐かしい傷跡にそっと触れてみた。
 傷跡をたどって、上から下へと指が流れる。
 それは高耶の流す涙のようだと直江は思った。
 直江は後ろ手に高耶を抱きしめる。
「高耶さん……あなたが悲しむことは何もないんですよ。私はこの体が好きなんです。この傷は誇りなんです」
「お前みたいな馬鹿野郎知らねぇよ」
「ひどい言い草ですね」
「大馬鹿野郎でも褒めすぎだ!」
 そんな憎まれ口とは裏腹に、高耶は背中から直江を抱き返して、その背に頬を擦りつける。
「高耶さんっ……」
 直江は向き直ると、高耶をその腕に力いっぱい抱きしめた。
 高耶の体が直江の熱と匂いに包まれる。その瞬間、ドクンと高耶の心臓が跳ねあがった。
「な、直江!」
 直江の匂いが高耶の官能を呼び起こさせる。あの晩の愛撫を体は思い出していた。吐息が乱れ、下半身に熱が集まり出す。
 焦った高耶は直江の腕から逃れようともがくが、腕力で敵うはずがなかった。
「なおえっ……」
 どうしていいかわからず顔を上げると、真摯な瞳に射抜かれた。
「あなたを……愛している」
 高耶の呼吸が止まった。
「愛している……」
 噛み締めるように、直江は何度も繰り返す。
 その言葉は、砂漠が水を吸い込むように、高耶の心に深く染み渡ってゆく。
 ドクンと再び鼓動が跳ねた。性欲だけではない熱い衝動が、高耶の体を這い上がる。
 ああ、そうなのかと、高耶は思った。
「直江……」
 高耶は、直江を真っ直ぐに見上げる。
「あなたを愛している……」
 囁きとともに唇が落ちてきた。
 高耶は目を閉じる。
 4年後のふたりの関係が、今、やっとわかった。






や、やっとここまでこぎつけました。
次話は、高耶さんバースデイにUPを目指します。
計算してたわけではないのですが、まあ、ちょうどいいところにあたってよかったです。(誕生日にこんな内容でいいのか?)
もちろん、完結できればそれが一番よかったんですが……orz

次の30話は裏になります。(直江スタンバイOKだし)
これにともなって、裏口の仕掛けもリニューアルします。裏のURLも変更します。
でもご安心を。高耶さん誕生日&当サイト2周年(実はそうだった)の感謝をこめて、次の仕掛けは、思い切り親切に分かりやすくしておきます。
今の仕掛けは、一部の方にご苦労をおかけしたようです。(見つけられなかった人もいるのかな?)でも次は『入り口ココ』と矢印付きで案内しときますので、入り口はどこにあるの?なんて言わせません。(笑)
※注意書きをちゃんと読んで入室くださいね〜


2006.07.20 up


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