◆ 39 ◆
食堂へ足を踏み入れると、パパパパーンという破裂音と共に、色とりどりのテープが高耶目掛けて飛び散った。
「隊長!お誕生日おめでとうございまーす!」 野太い男たちの声に出迎えられた高耶は、顔をかばうように腕を上げたままの姿勢で、固まってしまっている。 敵の攻撃には脳髄反射で反撃を繰り出す彼だったが、殺傷力ゼロの小さなクラッカーがパンパン可愛らしく鳴るのには、どう反応していいのかわからないようだった。 「……何だこれは」 カラフルなテープを頭にのせながら、高耶は唖然と立ちつくした。その視線の先には信じがたい光景があった。 食堂内は、ひとことで言えば小学校のお楽しみ会のような有様だった。 紙でつくった花やリングが壁を賑やかに飾り、いつも「今日の献立」がかかれあるホワイトボードには、無骨な文字で「仰木隊長お誕生日おめでとう御座います」とカラフルなペンで色づけされて書かれてある。まわりに飛び散っているピンクのいびつな斑点は、ハートマークのつもりなのかもしれない。 茫然とそれらを眺める高耶の首に、どこからもってきたのかハワイアンな花の首飾りがかけられて盛大な拍手を贈られた。どこか別の国にきてしまった気分だ。 ポンと肩を叩かれ、我に返った高耶は勢いよく振り返った。 「嶺次郎」 「なんだか久しぶりじゃのう仰木」 嶺次郎はにやりと笑う。高耶の記憶が戻ったことで安心したのだろう。表情は晴天の空のように明るかった。 「そうだな」 高耶も笑いながら上げられた嶺次郎の手に拳をぶつける。そしてふとその顔を陰らせた。嶺次郎の背後には直江と兵頭の姿がみえる。ふたりは嶺次郎とは対照的に殺気立った雰囲気をかもしだしていた。 高耶は、直江に拷問や罰を受けた様子がないのを見て取って、ほっと息をつく。そして直江の処分の行方を探るように、じっと嶺次郎を見つめ返した。 あの後、唐人駄場の見張りの男から直江の記憶を抜き取り、何事もなかったかのように足摺アジトへと戻った高耶と直江だったが、足摺アジトに戻るやいなや、直江は一連の行動の説明をするよう命じられ、そのまま嶺次郎らに連行されてしまっていた。 高耶は、息を呑んで判決を待つ。 「無罪放免じゃ」 その言葉に肩からどっと力が抜ける。 疑い深い嶺次郎は、これで直江への疑いを解いたりはしないだろうが、直江へ危害を加えることがない結果に、ひとまず安堵の息をついた。 「ところで、これが誕生日ぱーちーっちゅうもんか?」 「あ?ああ」 高耶の肩ごしに食堂のありさまを見た嶺次郎は、ありえない色調に彩られた室内に目を白黒させていた。誕生日パーティーの何たるかもわからない者ばかりだろうが、主役そっちのけで勝手にわいわいと盛り上がっている。 「まあ、最近の伊達騒ぎでアジト内がピリピリしよったし、これを口実に息抜きさせるのもいいじゃろう。つきあってやれ仰木」 そう言って笑った嶺次郎の目の下に不安の名残のようなクマが浮いてみえて、高耶の胸がつきりと痛んだ。上に立つ者の気持ちを身をもってよく知っているだけに、嶺次郎の気苦労はリアルに想像できた。 「迷惑かけて悪かったな」 素直に詫びる高耶に苦笑いを返した嶺次郎は、軽く手を上げて足取り軽く食堂を後にした。 「兵頭」 直江に殺意を込めた一瞥をし、嶺次郎のあとに続こうとした兵頭を高耶が呼び止める。 「おまえにも迷惑かけたな。記憶が無かった間の報告書をまとめといてくれ」 「すべて用意してあります。今晩部屋に持って行きましょうか」 「…………いや、明日受け取る。執務室の机に置いておいてくれ」 一礼して去って行く兵頭の背中を見送ったあと、高耶は直江と視線を結ぶ。そこにはもう希望を打ち砕かれた男の顔はなかった。失った希望をまた植えつけて育てようとする、飽くなき挑戦者の目をしていた。 「少し顔色が悪いな。兵頭にこってり絞られたんだろ」 「あなたは顔色がいいですね。あれから休めましたか?」 「ついさっきまで意識失って爆睡してた」 直江は申し訳なさそうな色を顔に浮かべる。 暴れ出ようとする高耶の記憶を、何度も何度も力技で押し込めた結果、高耶の精神と肉体に大きな負担をかけることになった。その時の疲労が原因なのは一目瞭然だった。 そんな直江に、高耶はにっと笑う。 直江は目を見開いた。また記憶を失ったのだろうかと錯覚しそうな無邪気な顔だった。 「今からオレの誕生日パーティーだってさ。おまえも招待してやるよ」 親指でくいっと背後を指し、高耶は楽しげに直江を誘った。 「……ありがとうございます」 「おうぎぃー」 いつまでたっても入り口から動かない高耶に焦れた潮が走ってきた。 「武藤?」 その格好を見て高耶は絶句する。白い三角巾と白い割烹着を身に着けた潮は、給食のおばちゃんならぬおじちゃんだ。 「なっ……おまえいつから調理斑になったんだよ!」 「調理斑のやつら、ケーキ作ったことないっていうからオレが指導してたんだって」 そう言って潮は、ホイップのチューブ片手に胸を張ってみせた。 潮の意外な特技に高耶は驚く。 「おまえケーキなんて作れたんだ」 「作れたみたいだ」 感心して言った高耶のつぶやきに、不安な回答が返ってきた。聞けば、食べたことはあるけど作ったことなど一度もないと言う。 「ケーキ作りの本を取り寄せるとこからスタートしてさ、苦労したのなんの。そりゃもう汗と涙の結晶ってやつだ。といってもしょっぱくはないから安心しろよ」 「たりめーだ」 しばらく4年前に戻っていたせいか、感情表現が素直になった気がする。わははと笑う潮に高耶もついつられて笑ってしまう。 今はこうして笑っている潮だが、昨夜突然姿を消した高耶に、潮はかつてないくらいに怒っていた。宿毛へ一緒に行くと言ってたのに置いていかれたと思った彼は、裏切られた気持ちになっていたらしい。 幸いなことに、人のいい潮は、高耶の記憶が戻ったことを知って、あれは記憶の混乱状態による行動だという良心的解釈をしてくれ、すぐに許してくれたのだったが。 「おまえ、朝から寝っぱなしで何も食ってないんだろ?他のやつらはもう夕飯済んでるから好きなだけ食え。おまえの好物ばかりだぞ」 それに返事をするように高耶のお腹が悲しげに鳴いた。それみろと言わんばかりに潮が鼻の下をこすりながら笑う。 「さあさ、2名様ご案内〜」 潮に腕を引っ張られ、直江にさりげなくエスコートされながら案内されたテーブルには、医務室のカーテンを剥ぎ取ってきたと思われる白い布がかけられていた。これがテーブルクロスがわりらしい。わきに置かれた大きな花瓶には野趣あふれる草花が豪快に生けられている。 誕生日パーティらしくしようという、不器用な男たちの熱い気迫だけはひしひしと伝わってきた。 「ほら座れ。ここが主賓席だ」 高耶が座った隣の椅子には、当然のように直江が座った。高耶が席につくと、それを合図のようにグラスが一斉に掲げられる。 「それじゃあ、仰木隊長の誕生日を祝して!」 「カンパーイ!!」 あちこちで、グラスがぶつから硬質の高い音が響く。高耶と直江のグラスもカチンとぶつかった。 「どんどん食えよ仰木」 乾杯が終ると、今度は間髪入れず待ってましたとばかりに高耶の前に次々と皿が運ばれてくる。海の幸と山の幸をふんだんに取り入れた料理がてんこ盛りだ。 「うわっすっげー旨そう!オレ朝も昼も飲まず食わずで死にそうだったんだ。もう食っていいか?」 目の前の料理に、高耶は目を輝かす。その様子は昨日と何も変わらない仰木高耶だった。 「かつおの叩きはねぇの?あれ食いたい。え?ある?やった!」 わがままを言って、嬉しいことには素直に喜ぶ。 高耶の意図を知った直江は、ひっそりと微笑んだ。高耶の記憶が戻ったことをまわりの者はまだ誰も気づいていないようだった。まだ一部の人間にしか知らせていないのだろう。嶺次郎にしては粋な計らいだった。 ―――つきあってやれ、仰木。 これは、彼なりの誕生日プレゼントなのかもしれない。 「高耶さん、空腹にどか食いしたら、またこの前みたいに胃薬の世話になるはめになりますよ」 心配する直江を、高耶はちらりと横目で見るが、箸を止める気はないようだ。 「高耶さんって」 「空腹に好物ほど旨いもんはねぇんだよ」 口を尖らせてそんなことを言う。 「そう言いながら、明日になったら「なんで止めなかった」と私に怒るのはやめてください」 「そんなことオレいつ言った?」 「9日前です」 眉をひそめ「根に持つ男は嫌われるぞ」と反撃してくる高耶に、直江はため息をつく。 「せめて火の通った消化のいいものから食べてください」 胃に優しく、高耶の味の好みにあいそうなものを小皿に取って、直江はせっせと高耶に給仕した。それを高耶は嬉しそうに受け取る。その笑顔で礼は十分だった。 わがままを言う高耶を、直江は叱って、そしてめいいっぱい甘やかした。日付が変わるまでの夢の時間だった。 食堂内では、大宴会が繰り広げられていた。目的は違っても行き着くところは同じらしい。結局いつもの酒飲み会だ。 宴が多いに盛り上がる頃、「隊長ー!」と聞きなれた声が食堂に響いた。 高耶が声の方へ目をやると、食堂の入り口から楢崎が叫んでいるのが見えた。右手で何か布のようなものを一生懸命引っ張っては押し戻され、なにやら四苦八苦しているようだった。 「なんだ楢崎?遅せえじゃねぇか早くこいよ」 高耶が声をかけても、楢崎はその場から動こうとしない。いや、動けないようだった。高耶はしょうがないなと席を立って楢崎に近づく。 「何やってんだおまえ」 「た、隊長ー!こ、これ、誕生日プレゼントっす!受け取ってください!……ったく、いい加減に観念しやがれっ!!」 楢崎は、えいやっと力いっぱいに何かを高耶に投げ飛ばした。 どすんという音とは不似合いな、紺色のひらひらしたものが高耶の足元に転がった。その物体が何なのか認知した瞬間、高耶の顔がひくりと痙攣する。 その何かは、どう見てもセーラー服を着た髪の長い女の子のようにしか見えない。 「楢崎てめぇ……どういう意味だこれはぁ!」 「へ?いやっ、そのっ、あのっ、へ、変な意味じゃないっす!」 楢崎は震え上がる。高耶も怖いが、その背後で怒りのオーラを漂わす直江はもっと恐ろしいものがあった。 「大丈夫か?」 うつ伏せに倒れたままの少女に手を差し伸べた高耶は、その時、 「仰木さん……」 消え入りそうな声をひろった。どこかで聞いた声だった。 彼女は、ばがっと顔を上げた。 「仰木さぁーん!」 高耶の目が驚きに見開かれる。 「……卯太郎?!」 セーラー服を身にまとい、ロングヘアのカツラを被せられ、ほんのりナチュラルメイクをほどこされた卯太郎がそこにいた。 「これがオレたちからのプレゼントっす」と言い張る楢崎に、高耶は小首をかしげる。頭の中ではクエッションマークが飛び回っていた。 高耶はもう一度卯太郎をまじまじと眺める。女装した卯太郎は、それなりに可愛かったが、これを「プレゼント」だという意味がよくわからない。これの何がプレゼントなのだろう? 首をひねる高耶に、卯太郎は「すみませんでしたー!」と泣き出してしまった。 「仰木さんの妹の代わりなんて、こがな大それたことわし出来ないってゆうたがやき、楢崎のやつが無理やりっ……」 楢崎の顔色が変わる。 「隊長のためなら何でもするっつったのは誰だよ!おまえが逃げ回るからパーティーに乗り遅れたじゃねぇか!」 このセリフを言い終わる前に、楢崎は高耶の鉄拳に倒されていた。 高耶は泣いてる卯太郎を立ち上がらせ、服のほこりを払ってやると「ありがとうな」と、はにかみながら礼を言った。 妹に会いたいと言った高耶の望みを聞いて、何かしたいと思ってくれたんだろう。卯太郎と高耶の記憶の中の美弥の歳が同じころだと聞いて、楢崎が考え出したプレゼントなんだろう。 「ありがとう」 足元に伸びた楢崎にも礼を言う。 「隊長ぉ……」 じゃあなぜ殴ったんですか?という素朴な疑問は横に置いて、楢崎は感無量の想いにひたる。 高耶は、卯太郎の涙を拭いてやり、頭をポンポンと叩いた。泣いている美弥にいつもするように。 (美弥……) 今頃美弥も泣いているのかもしれない。帰らぬ兄のバースディケーキにロウソクを灯して、鳴らぬ電話の前でひざ小僧を抱えて、泣いているのかもしれない。 「美弥……」 高耶は卯太郎を抱きしめる。会うことの叶わない妹への想いをこめて、ぎゅっと強く抱きしめる。 「ごめんな、美弥」 ごめんな……と高耶は小さな声で何度もつぶやく。美弥のそばに、誰か支えになってくれる人がいるようにと、彼女の悲しみを堪えた笑顔をわかってくれる人がそばにいるようにと、高耶は強く願う。 この先もきっと自分は美弥に会えないだろうから…… これから自分がしようとしていることを思えば、とても会うことなどできなかった。 「仰木……さん」 心配そうな顔で卯太郎が見上げていた。 それを見て、愛しいと思う。生き人でない彼であっても。 「仰木ー!ケーキの登場だぜ!」 厨房から潮が、大きなケーキをワゴンに乗せて運んできた。 スポンジケーキに生クリームのデコレーションがほどこされたオーソドックスなケーキだった。円の淵を、イチゴやキュウイやオレンジなどのフルーツが涼しげに彩り、中央の真っ白なクリームの上には、チョコレートで「Happy Birthday to 仰木高耶」の文字が書かれていた。 初めて目にするケーキという物体に、まわりから歓声があがる。群がる人間を押しのけて潮はチャッカマンでロウソクに点火した。 「おっし、全部火付けたぞ。電気消せ電気」 真っ暗闇の中で、21本のロウソクがゆらめく。そのオレンジの光に照らされて、たくさんの笑顔が浮かび上がった。 「こらこらまて、鼻息で消すなバカヤロウ」 潮は群がる隊士らを下がらせ、高耶をケーキの前に呼んだ。 「一気に吹き消せよ仰木」 「隊長の肺活量なら、これくらい軽いっしょ」 「仰木さん、お願いごとは何にするんですか?全部のロウソクの火を一気に消したら願い事が叶うんですよ」 潮と楢崎に教えてもらった誕生日のジンクスを思い出して、卯太郎が聞いた。その顔には、妹さんに会えるようにお願いしたらどうかと書かれてある。 高耶はかすかに笑みを浮かべて首を振った。 そして、自分を囲む男たちを見る。ここで共に生きるのだと、仲間に望んだ男たちの顔を。 最後に行き着いた鳶色の瞳を挑むように見つめ、高耶は言った。 「じゃあ、明日、記憶が戻るように……」 ロウソクの炎は、ひとつ残らず消え去った。 (完) |
終った……長かった…… あとがきは後日。 2007.07.22 up |
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