◆ 1 ◆「仰木先輩!これ、受け取ってください!」
見知らぬ女子に突然呼び止められ、赤いリボンの付いたピンクの箱を渡された。それをオレの手に押し付けるなり、その子は赤面して走り去ってしまう。
「・・・チョコレートなんか大嫌いだっつーの」
高耶は、手の中の愛らしい箱を見つめがら、このあとの憂鬱な恒例行事を思って、ため息をついた。
今日は、2月14日。オレの一番嫌いな日。
大好きなヤツと、大嫌いなものを食べる日。
「こんばんは、高耶さん。今帰りですか?遅かったんですね」
オレん家の前で、微笑んでいる男がいる。
「ちょうどよかった。今、呼びに来たところだったんです」
「ちょっと・・・ゲーセンよってて遅くなった」
「今日、来るでしょう?」
オレが断らないと、確信した口調で聞いてくる。ここで断ったら、どういう顔をするんだろう。
今年こそ断ろう。毎年そう思って、
「ああ、行く」
毎年同じセリフを言う。
そして、今年も変わらない、この思いを確認するのだった。
----この男が好きだ・・・
「今年もたくさんもらってきましたよ」
そんなオレの気持ちを知らないその男---直江は、手にした大きな紙袋を持ち上げて得意げに言った。中には、綺麗にラッピングされた小箱がすし詰め状態で入っていた。
直江の家は、うちの隣だ。いわゆるお隣さんってやつで、幼馴染みでもある。年の離れたオレを、自分の弟のように可愛がってくれていた。オレも、直江を兄のように、時には父親のように慕っていた。
その頃の『好き』から、今の『好き』に変わったのは、いつだっただろう。
直江の部屋に遊びに行くのに、『理由』がいるようになったのはいつからだっただろう。
久しぶりに訪れた直江の部屋は、相変わらずシンプルで無駄なものがなく、かすかにただよう香水の香りだけが、生活感を感じさせた。
直江が、折りたたみ式のテーブルを出してきて、そこへチョコの入った袋をどさっと置いた。
「サンキュー」
嬉しそうに、それらを物色する。そんなふりをする。
「高耶さんは、本当にチョコレートが好きですね」
「オレの大好物だからな」
本当は大嫌いだ。
「こんなに甘いもの、よく食べれますねぇ」
全く同感だ。こんな甘い菓子よりも、カツ丼やラーメンや肉まんが食いたい。
だけどこれは、お前に思いを寄せる女たちからのチョコレートだから・・・
こめられた思いを壊すように、綺麗に巻かれた包装紙をバリバリと破る。そして、チョコを片っ端からぽいぽい口に放りこんだ。美味しい、旨い、と笑いながら。
オレの腹をゴミ箱に、それらを跡形無く処分する。それが目的だった。・・・そんなこと、こいつは思い付きもしないんだろうな。
微笑ましいといった感じで、オレをながめている直江。そのやさしい視線が心に痛い。
ごめん、オレ、お前が思ってるような綺麗な人間じゃないんだ。
「熱いお茶を入れてきますね」
そう言って、立ち去る直江の背中にあやまる。
ごめん・・・
直江が部屋を出たのを確認し、紙袋の中から、そっとひとつの箱を取り出した。
やっぱり、今年もあった。
ワインレッドの包装紙に金のリボン、そして純白の透かし模様の入った無記名のメッセージカード。
このプレゼントの主は、毎年同じラッピング、同じメッセージカードで贈ってきていた。
それを初めて見たのは5年前だった。そのチョコの箱だけは、ギュウギュウに詰められた他のものとはちがって、袋の一番上に置かれていた。それだけ特別であるかのように。
その時は、気のせいだろうと思った。でも、翌年もその翌年もずっとそこが指定席のように置かれていた。
そんなことに気付かないふりをして、茶化しながらそのメッセージカードを読み上げたこともある。
「『あなたが好きです。この思いは溶けることなく、降り積もるばかりです。』だってよ。あ〜あ、罪な男だよなお前って」
手に汗をかきながら、そんな軽口をたたく。
「でもさ、この人ちょっと怖くねぇ?すんげえマジじゃん。一途過ぎて、ストーカー気質っていうか・・・この女はやめた方がいいと思うぞ?だいたいこんな高級チョコを贈るやつってさ〜付き合ったりしたら絶対金かかるって」
そんな意地の悪いことも言ってみた。
だけど直江は、ただ困った風に笑うだけだった。その曖昧な笑みに、オレは更に不安になる。
それが、オレがチョコを食べる一番の理由だった。直江がこの人のチョコを食べた時、すべてが終わる・・・そんな気がした。
この女性のことを、直江はどう思っているんだろう?知っている人なんだろうか?
毎年、さりげなく趣向を凝らしたセンスのいいチョコレートを選ぶ人だった。メッセージカードひとつとっても控えめながらも高級感があってこだわりを感じる。その筆跡は、丁寧で品の良さを感じた。きっとこの人は高いブランド品も嫌味なくさらりと着こなす、そんな素敵な女性なんだろう。
オレが勝手にイメージしたその女性は、悲しいくらい直江にお似合いだった。
そっと、シールで箱に留められているカードをはがす。
このメッセージカードが、直江の手に届いたことはない。直江の目に触れないよう、毎年オレがこっそりと抜き取って処分してるからだ。まあ、他のチョコについているカードも同じく、抜き取って捨てちゃってたりする訳なんだけどさ・・・『連絡まってますv』とかいう携帯番号付きのカードよりも、こっちの方がオレにとって脅威だった。
・・・そこに書かれているメッセージはいつも、胸に痛いほどその気持ちを伝えるものだったから。
あなたが好きです。
一年に一度だけ、今日のこの日に、あなたへの思いを伝えることを許してください。
これが、いちばん最初のメッセージだった。
それから毎年この日に、彼女はメッセージを贈る。1年分の思いを、この小さなカードにこめて・・・
握りつぶして捨てたはずのそのメッセージは、今もオレの頭にこびり付いて離れなかった。
あなたが好きです。
この思いは溶けることなく、降り積もるばかりです・・・
ひっそりと、あなたを思うことを、どうか許してください。
2年目のメッセージ。
直江の反応を見たくて、読み上げた。最後の一行はわざと声にしなかった。
あなたが好きです。
どうか流れ去る風のように、そっと受け流してください。
できればその風が、春風のようであればと願います。
3年目のメッセージ。
詩人きどりなクサい文章だと、笑ってやりたいのに・・・胸が痛くて笑えなかった。
あなたが好きです。
この気持ちが、私をどれだけ幸せにすることでしょう。
ありがとう。
感謝をこめて。
そして、去年のメッセージ。
罪悪感に囚われる前に、急いでゴミ箱に捨てた。
そして・・・・
すーーっと、息を吸い込んで深呼吸する。
今年のカードを、そっと開いた。
今年もあなたが、笑顔でいられますように。
それしか書かれていなかった。
顔も知らないこの人の笑顔が、紙面に浮かんで見えた。
直江の笑顔を思い浮かべながら、幸せそうに微笑んでいる・・・それは、とても綺麗な笑顔だった。
彼女の見返りを求めない思いが、痛かった。
彼女の気持ちは、オレの思いと同じものだったから。
そして、とても可哀想だった。
その思いは、直江に届くことなく捨てられてしまうから。オレの手によって。
ポタッと涙が落ちた。
「ごめん・・・ごめん・・・」
もう、そのカードを捨てることはできなかった。
小さく何度も謝りながら、それをテーブルの上に置く。・・・直江の目に触れるように。
もう、終わりにしよう・・・今度こそ、終わらせる。
人の思いを踏みにじって、妨害して・・・どんどん汚い人間になっていくオレ。直江への思いがあふれるほど、オレはオレが嫌いになる。
思いを告げる勇気もないくせに・・・あきらめたはずなのに・・・
片思いでいいと言いながら、オレは直江が誰かを愛すことを許せない。
今のこの状態が、ずっと一生続けばいい。そんなむなしい夢を見ている。
もう、やめよう。
膝に置いた手を、ぎゅっと握り締めた。
2005.2.17 up (←え?)1話読みきりのSSのはずが・・・ダイエットに失敗。全2話になりました。