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「アルバイトをしませんか?」
12月23日、本屋でバイト情報誌を立ち読みしていた高耶に、こんな声がかけられた。高耶は紙面から顔を上げて声の主を見る。瞬殺で追い払おうと向けた険しい視線が思わずゆるんだ。並んでいるファッション雑誌のモデルが霞むような、やたら整った容姿の男だった。
「明日24日、アルバイトをしませんか?」
男は困ったような微笑を浮かべたまま、再度申し入れる。
「ああ、突然すみません。私、橘不動産に勤務している直江信綱というものです」
じろじろと観察する高耶に、男は名刺を差し出す。そこにプリントされている不動産会社のロゴマークに、高耶の警戒心がやや和らぐ。見たことのある会社だった。
(でもなんでオレに?)
その心を読んだように、直江は高耶の手元に視線をやる。表紙に大きく「いまからでも間に合うクリスマスアルバイト特集」と書かれていた。
「・・・何のバイト?」
いつもの高耶なら、相手にしなかっただろう。だが、バイト先の会社が倒産し、稼ぎ時のクリスマスに突然穴があいてしまった高耶は、急いで次のバイトを決めたかった。こんな場所で声をかけるくらいだから、相手は切羽詰っているにちがいない。時給は、かなり期待できそうだ。そんな打算が働いた。
「今度売り出す新築マンションのモデルルームで仕事をしてくれる人を探しているんです。突然決まったことなので募集をかけることもできなくて、こうしてバイト情報誌を見てる人に声をかけているんですよ」
怪しい人でしょう?と言って直江は笑った。
「こんな怪しいナンパは、あなたで最後にしたいのですが、いかがですか?仕事内容は簡単な雑用で、日給は・・・この倍を払いますよ?」
高耶が見ていた、高額バイトの特集ページを指差して言う。
「・・・・・」
プレゼントを貰って喜ぶ妹の姿と、新品のメットと、ジュ―ジュ―音を立てる焼肉が脳裏に浮かんだ。
「やる」
力強く答えた高耶に、直江は満面の笑みを返した。
「明日9時に、ここのマンションの701号室へ来てください。持ち物はいりません。服装も自由です。それでは明日、お待ちしています」
高耶にメモを渡すと、男は本屋を出て行った。高耶は、メモを握り締めた手で思わずガッツポーズをした。
翌日、高耶がマンションを訪れると、そこには昨日の男がひとり、洒落たモデルルームの中にたたずんでいた。できすぎたその光景は、そのまま広告に使えそうだ。
「ああ、いらっしゃい。場所はすぐわかりましたか?」
高耶は、なんだかどこかの家に招かれたような気分になった。
「大丈夫です。今日はよろしくお願いします」
高耶は、ぺこりと頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ええと・・・名前聞いてませんでしたね」
「あっ!すみません。仰木高耶です」
「大学生?」
「そうです」
名前も身上も知らない人間をよく採用したなと、今更ながら高耶は思う。
「えーと、今日は、何をすればいいんだ・・・でしょうか?」
「敬語でなくて結構ですよ。いつもどおりに話してください」
くすりと、直江が笑う。
「今日は、ここを自分の家と思ってくつろいでください。私のことは家族とでも思ってもらえれば嬉しいのですが」
「・・・は?」
「モニタを頼みたいんです。あなたに。あとでこの家の感想を書いていただければ結構ですので」
「それだけ?」
「そうです。今日1日、私と一緒にここで生活してください。たとえば買い物に行ったり、洗濯したり、掃除したり、お風呂に入ったり、ごはんを食べたり・・・料理はできますか?」
「いつもやってる」
「それはよかった。ここはいわゆるデザイナーズマンションというもので、若い年齢層をターゲットにしているんです。これからも展開してゆく予定なので、1日体験してみて、いろんな意見を聞かせてもらいたいんです」
不動産屋がそんな仕事までするのか?と、一瞬疑問が過ぎったが、高耶は素直にうなずいた。他に無い美味しいバイトに、内心小躍りしていた。
「わかった。じゃあ・・・洗濯してから、昼メシの材料でも買いに行って来る」
洗濯機の上にはちゃんと、汚れたタオルなどが積まれていた。
「じゃあ、私も手伝います」
「いいから、そこのソファーででも休んでろ・・・てください」
あの時給をもらっておいて、そんな楽はできない。そういうところは律儀な高耶だった。
「でも、私はあなたの家族という設定ですし。言葉使いも直さなくていいですよ」
「じゃあ、直江さんは毎日仕事に追われている旦那の役だ。今日は、たまの休みの日でのんびりしてるところ」
びしっと有無を言わせぬ口調で言い張った。
「では、あなたは働き者のやさしい奥さん役といったところですね」
「うっ、まあ・・・そんなところ。家事は得意だからまかせておけ」
そう言ってテキパキ働き出す高耶の姿を直江は、微笑ましい気持ちで見つめる。だけど高耶は、それを監視されていると誤解したようだ。
「・・・テレビでも見て適当にくつろいどけよ。何も壊したりとか変なことしないからさ」
お茶を入れてきた高耶は、ガラスのソファーテーブルにそれを置いた。
「うちのオヤジなんか、休みの日は、リモコン片手で1日中ゴロゴロしてるぞ」
「新婚なので、愛しい新妻の姿しか目に入らないんですよ」
「・・・はぁ?新婚?勝手に設定していくんじゃねぇ!」
怒る高耶を尻目に、直江は「いただきます」と湯のみに手をのばす。
「・・・美味しいです。高耶さんは、気が利きますね」
突然名前で呼ばれて、高耶は、少しどきりとする。
「こんな奥さんなら、結婚もいいかもしれないな」
「お前は、結婚してねぇの?」
ええ、と言って左手を見せる。
「でも、もてるだろ。相手なんてよりどりみどりなんじゃねぇの?」
「嫉妬ですか?」
「なっ!!」
「怒らないでください。これも全部ふくめて、今日のあなたの仕事なんですから」
クッションをぶつけようとする高耶を直江がもっともらしく諭す。
「う・・・」
なにか違うと思いながらも、直江の顔を諭吉に置き換えた高耶は、おとなしく家事の続きに戻った。