深志大学付属高等学校



(問1) 晴天のヘキレキ


 壁についた染みのような錆びて赤茶けたドア。その向こう側に小さなオアシスがあった。

 久しぶりの晴天だったから。
 そんな理由で高耶は今日もその場所へ向かった。
 階段の終点の先にあるガラクタ置き場を突き抜け、最奥に現れる古びたドアに、高耶はいつものように軽く蹴りを入れて軋ませてから、ぎぃっとその重い扉を開けた。
 牽制するようにドアの隙間から勢いよく吹き込んだ風が、高耶の髪やブレザーの裾を巻き上げる。まだ春浅い4月の風は、空調完備の校内で暖められていた高耶の身を凍えさせ、かったるい授業の余韻を一瞬にして吹き飛ばしていった。
 回れ右してすぐさま引き返したくなるようなその寒さに、高耶は後悔よりも安堵する。 たとえこの場所を誰かが見つけたとしても、こんなに寒い場所に好き好んで居座る物好きなどいないだろう。ましてや過保護なほど大事に育てられた良家のご子息ご令嬢ならなおさらだ。
 今日も守れただろう己のテリトリーを思って、高耶は、ほっと白い息をつきながら扉をくぐった。
 そこは、旧校舎の上の空間だった。
 創立当時からありそうな年代ものの大きな給水タンクやボイラー、入り組んだパイプなどの雑多な機械類で埋め尽くされた屋上に、水溜りにようにできたそのささやかな場所は、この息詰まる校舎の中で唯一の彼の憩いの場だ。
 だがしかし、予想に反してその日そこには意外な先客の姿があった。
 高耶は足を止め、目を瞠る。
 そこに人がいたのも意外だが、その人物というのも意外で、なおかつその人物の口に銜えられた小さな炎の存在に気づいた高耶は、更に驚愕に目を見開いた。
 そんな高耶に対して先客は驚くでも焦るでもなく、ゆっくりともたれていた壁から身を起こすと、慣れたしぐさでタバコを足元に落として踏み潰した。
「こんにちは。2年E組の仰木高耶さん」
 物腰柔らかに話しかけてきた相手は、高耶もよく知る人間だった。
 品行方正、文武両道にして才色兼備。400年をさかのぼる名家の血筋も申し分なく、血統という名の人格と、その名に恥じない能力、両方を重視する我が深志大学付属高校が今最も誇りとしている生徒であり、この春、教師生徒の絶大なる支持を受けて、めでたく新生徒会長となった男――2年A組の直江信綱。
 それが先客のプロフィールだった。

 「……どけよ」
 生徒会長の意外な一面に一瞬驚いたものの、高耶はすぐに興味を失い、直江から数歩離れたフェンスにだるそうにもたれかかる。
 この憩いの場所から去ってさえくれれば、誰がどこで何をしようと高耶にはどうでもいいことだった。この学校で興味のあるものなど高耶には何一つなかった。
「消えろよ。ここはオレのテリトリーだ」
「校舎はみんなのものですよ」
 諭すようなその口調に高耶は目を眇める。
「ああっ?何説教たれてんだよ教師の犬が」
「そういうあなたは檻に入れられた野生の獣といったところでしょうかね。自分を調教しようとする人間たちを、隙あらば食い殺そうとしている獰猛な獣です。あなたと一緒の檻に入れられた羊たちは、可愛そうに怯えてますよ」
 おかげで、成績最下グループのE組から脱出を図ろうと勉強に励む生徒が増えて、教師らは密かに喜んでいるのだと、直江は面白そうに言った。
「べらべらとうるせぇよ!ぶっ殺すぞ!」
「それは怖いですねぇ」
 目を剥いて怒鳴る高耶に直江は口の端で笑って返すと、高耶と同じ姿勢でフェンスによりかかった。
 一向に立ち去ろうとしない直江に、ちっと高耶は聞こえよがしな舌打ちをする。
 いらついた手つきでポケットからタバコを取り出すと、横からライターの火を差し出された。
「どうぞ」
 隣の作り物めいた笑顔を高耶はジロリと一瞥してから、そのライターでタバコに火をつける。
 直江も内ポケットから新しいタバコを取り出すと、高耶の隣で白煙を吐き出した。
「……生徒会長がタバコなんて吸っていいのかよ」
「校内では禁煙するようにしてるんですけどね」
 今日はちょっとむしゃくしゃすることがあって吸いたくなったのだと、直江はさらりとそんなことを言った。
 高耶のあきれた視線に、直江は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「校則違反なんて子供っぽいことに興味がないだけです。酒もタバコも女も、遊びたいなら外でうまくやればいい」
「サイテーだな」
「でも楽しいですよ。――少なくとも、あなたよりは」
 殴りかかる高耶の拳を、直江はパシッと手のひらで受け止めた。
「てめぇっ!さっきからくだらねぇことばっかり――」
「楽しいことをしましょうか?」
 直江のもう片方の手が伸びて、高耶のタバコをつまみとった。
 あっと思った瞬間には地面に捨てられ、直江の足でそれは無残に踏み潰されていた。
「なにすんだよっ!!」
 目を剥く高耶の唇に、直江は、代わりだというように自分の吸いかけのタバコを押し込んだ。
「っ!!」
「コレの口止めもしておかなければいけませんしね」
 直江は再び高耶の口からタバコを奪って投げ捨てると、彼の両手を片手でまとめあげ、抵抗して暴れる体ごとフェンスに縫いとめた。
「な……にを……」
 高耶の顎に手をやり、予測不能の事態に怯える彼の顔を仰のかせる。吐息がかかりそうな距離でふたりの視線が交わった。
「思ったとおり……きれいな瞳だ」
 不安と怒りの混じった黒い瞳を、愛でるように直江は見下ろす。
 その瞳が大きく開かれるのを見つめながら、直江は唇を重ねた。
 古びたフェンスがぎしりと軋んだ音を立てた。





 屋上で、生徒会長にキスをされた。いや、現在進行形で、されている。
 ありえない出来事に襲われた高耶は、自分の現状をただただ唖然と見つめていた。
 高耶の唇にかぶさるように、押しつぶすように、隙間なく重ねられた直江の唇。
「んっ……!!」
 高耶が暴れると、直江はその倍もの力で押さえつけてきた。
 拘束されて身動きできない無防備な高耶に、直江は余裕たっぷりに、少しずつ角度を変えては2度3度と口付けてゆく。そのたびに高耶の体がビクリと跳ね、フェンスが揺れた。
 混乱と息苦しさで高耶の目に涙がにじむころ、不意に頭上から予鈴の鐘の音が鳴り響いた。
「残念。タイムリミットです」
 ちゅっという音をたてて直江は名残惜しげに唇を離した。
 げほっと何度か咽た高耶は、肩で息をしながら言葉にならない怒りとショックに、唇をわななかせて直江を睨み上げる。それを直江は微笑ましい光景でも見るように目を細めて見つめ返した。
「てめぇっ……手をはなせっ!」
「ああ、申し訳ない。痣になってしまいましたね」
 直江は高耶の手首を指先でつっとなでながら演技めいた口調で詫びると、拘束していた体を開放してやった。
 つかさず殴りかかってくる高耶を、予想済みとばかりに直江は、やすやすと片手で受け止める。
「手が震えていますよ」
 そのまま直江が軽く突き飛ばすと、高耶は足元をふらつかせてその場にあっけなく崩れ落ちた。
「っ!!」
 すぐ起き上がろうとするも、足がガクガクとしてうまく立てない。
「あれだけで腰がくだけたんですか?かわいい人ですね」
 思った以上にダメージを受けている自分の体と、それを見下ろす直江の視線。高耶は屈辱に歯を食いしばる。
「……ぶっ殺してやるっ」
 自分を射抜く鋭い視線に直江は優雅な笑みを返し、「あなたも授業に遅れないように」と言い置いて何事もなかったかのように屋上を去っていった。
「っくしょうっ……あの野郎っ!!」
 ひとり残された高耶は、コンクリートの地面を殴りつける。
「……許さねぇ。直江信綱っ」
 ふいに唇から直江の唾液の味がした。
 高耶はごしごしと手で口元をぬぐう。
 しかし、どれだけぬぐっても、高耶とは違うタバコの苦さを含んだ直江の味を記憶から消すことはできなかった。





 同級生直高ものは、以前から書いてみたいなーと思って妄想ふくらませていたので、まだほんの出だしですが今回書けてよかったですv
 学校の名前を上杉学園とかにしようかと思ったのですが、それだとコメディーにしたい衝動にかられてしまうのと、(学校所在地を東京付近にする予定なので)「深志の仰木」の呼び名が使えなくなるという理由で、こんな固い名称になりました。
 教師と生徒の直高も大大大好物ですが、同級生設定にすると修学旅行や学園祭や体育祭他もろもろ美味しい設定がころがりまくっているので、これまた捨てがたいです。
「綺麗な瞳だ……」とか言う高校生直江には、書きながら爆笑もんでしたが。
 いいんです。直江はいくつであろうと直江ですから。

 上にも書きましたが、東京付近の高校という設定でいこうと思っています。
 しかし、書いてる人間が全く関東の地理を知らない人間なので困っています。
 こんなブルジョア風味の高校が建ってそうな閑静な街とか(屋上丸見えのビルとか付近にあってはなりません/笑)、東京で高校生の直江が夜遊びしそうな場所ってどこだろう?

2008.01.19 Web拍手から引越し


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