深志大学付属高等学校



(問2)能あるタカは爪を隠す


 階段を数段残したところで、成田譲は急がしていた足をぴたりと止めた。
 廊下で、3人の男子生徒らがゲラゲラと品のない笑いを響かせていた。放課後の人気のない校舎にその声はよく響く。
「おまえそれ本人の前で言ってみろよ」
「えー?オレ仰木に殺されちゃうよ」
 大柄な男子生徒は、怖い怖いと震えるそぶりをして友人を笑わせている。
「だいたい何であいつがここに入れたわけ?家柄も財力も学力もなんにもないだろ?」
「田舎の成金がなんか勘違いして『自慢の息子』をここに入れさせたんじゃないの?」
 勘違いどころか、とち狂ってってやつだよなと、ひとりが言うと、どっと大きな笑いが起こった。
「どいてよ、そこ通るから」
 腹をかかえて爆笑する彼らの背後から、怒気をたぎらせた声が浴びせられた。
「な、成田っ」
「どいて」と、どんぐり眼に睨みつけられた3人は、蛇に睨まれた蛙といった状態で廊下の壁に張り付くようにして道を空ける。
「A組の優等生を友達にもって、しあわせだよなぁ仰木クンは」
 遠くなる譲の背中に向けて、彼らは負け惜しみのように大声で悪態をついた。



「どうした譲?何怒ってんだよ」
 乱暴に教室の戸を開けて入ってきた譲を、高耶は驚いた顔で見る。
「『何を怒っている』って?」
 ふつふつという怒りの音が聞こえてきそうな譲の顔に、これはまずいと高耶は顔を引きつらせた。瞬間、カッと譲の目が剥かれる。
「授業さぼったヤツが不思議そうに聞いてくるな!!」
 それから譲の説教が始まった。教師や他の生徒には何を言われても平気な高耶だったが、この親友の小言にだけは弱かった。言い返せば倍返しになって返ってくるのはわかっていたので、はいはいと大人しく親友の熱い友情を受け止める。
「で、罰則はなんだったの?これ?」
 ひとまず怒りをおさめた譲は高耶の前の席に逆向きに座ると、机の上に置かれていたプリントを手に取った。そこには数式や図形が並んでいる。上から下までざっと目を通して譲は眉をよせた。高2で習うレベルをはるかに超えた難問が顔を揃えていた。
「今日中に提出しろってさ。できなければ一ヶ月の便所掃除だと」
 シャーペンの頭をカチカチ押しながら、めんどくさそうに高耶がぼやく。
「まあ、これくらいで済んでよかったね」
 この学校では理由なき欠席は最も重いペナルティーを課せられる。即座に保護者へも連絡がなされ、3度も続けば親を呼び出し自主退学を進められるほどだ。
「授業だけは寝ても何しても出るくせに、なんで今日はさぼった訳?これで先生たちの高耶の心証は益々悪くなったじゃない」
 そして今頃は高耶の実家に連絡が入っていることだろう。それは彼が一番嫌がることだったはずだ。
 高耶の少し長めの前髪が、彼の走らすペンに合わせて揺れるのを見ながら、譲はふーっとため息をつく。
「どうしてもさぼりたかったら、今度からは保健室に行きなよ。中川先生にお願いしてうまく言っておいてあげるからさ。まったく授業中どこほっつき歩いてたの?」
 無言の高耶にしつこく聞くと、ひとこと「ちょっと外に出てた」とおざなりな返事が返ってきた。
「外?学校の?」
 譲が驚いた声を上げた。万全な警備を敷かれたこの学校を抜け出すのは容易ではない。厳しい校則と教育に縛られた学校ゆえに、不審者の侵入を防ぐというより生徒の脱走を防ぐためにあるんじゃないかとさえ噂されている。
「バカ。んなわけないだろ」
「じゃあどこだよ。裏庭?でもあそこも意外に廊下から見えるよね?プールの裏側は最近防犯カメラが設置されたし――あ、高耶も気をつけてね。タバコなんて吸っちゃだめだよ――外部階段は警備員が見回りしてるし、温室は先月から厳重に施錠されるようになったし、4階の空き教室は今は3年生の自習室にされてるし」
 それから〜と、次々に高耶の避難場所を上げてゆく譲に、高耶はしぶしぶ口を割った。
「……屋上」
「屋上?あそこも封鎖されてなかったっけ?」
「旧校舎の方」
 またそんなとこ見つけて……と、譲はあきれた顔をした。
「どうりで最近、昼休みに姿を見ないと思った」
 この寒いのに屋上で1時間も何やってたの?と更に問い詰めてくる譲に高耶は「ぼーっとしてた」とそっけなく答え、それからはむっつりと貝のように口をつぐんでしまった。しかしこれで食い下がるような人間では高耶の友人などやっていられない。譲は高耶の前髪をちょいと指でつまみ、その隙間から顔を覗き込む。
「……何か嫌なことでもあったの?」
「別に」
「……誰かと会ってたとか?」
 ひくりと高耶の片眉が反応した。
「……ひとりだよ」
「その人にキスでもされた?」
「!!!」
 真っ赤な顔で驚愕の表情をしている高耶を見て、顔に書いてあるとは正にこのことを言うんだろうなぁと、譲はしみじみと思う。
「なぜそれを知っているんだ?!」と大書かれた顔に、譲はタネ明かしをしてやった。
「何してたのか僕が聞くたびに、赤い顔で唇をこすったり袖口でぬぐったり手で隠したりしてるからさ、もしかしてそうかなと。ほらまたやってる」
 はっとして、高耶は口元に当てられていた左手を勢いよくポケットにつっこむ。それらひとつひとつの仕草が友人の言い分を肯定することになるとはわかっていないらしい。
「で、それって誰?僕の知ってる人?森野さん?」
「なんで森野?!」
「高耶のこと好きなんじゃないの?大した用事でもないのに、よく高耶のとこに来るじゃない」
「あれはオレ目当てじゃねぇよ!」
「え?そうなの?」
 純粋に驚いている友人に、あいつはおまえにべた惚れだろうが!と言いたいのを高耶はぐっと抑える。
「じゃあ武田さん?」
「はぁ〜?」
 なんで武田なんだ?と、高耶は心底意味がわからないといった表情だ。その顔に、武田さんの気持ちに本当に気づいてないの?と問い詰めたくなるのを譲はぐっとこらえる。色恋の鈍さでは、肩を並べるふたりだった。
「高耶の彼女になりたい人はいっぱいいるってのに、本人がこれじゃあなぁ」
「冗談だろ。好かれるどころか怖がられてるよ。いつも遠巻きにこっち見ながら、ひそひそ話してて感じわりぃ」
 思わず譲は、哀れみをこめた目を向けてしまった。目つきも態度も悪いこの友人は教師生徒両方から恐れられてはいるが、女子供など弱い者には優しいので、一部の女子から絶大なる支持を受けていた。なんでも普段の怖そうな態度と時折見せる優しい顔とのギャップがたまらないらしい。もちろん本人は無自覚のため、あちこちで公害とも言える不器用な親切を日々振りまいていたりする。
「とにかく!おまえが思ってるようなことは何もねぇから!」
 タバコふかしてただけだ!と、またしても口元を手のひらで覆い隠しながら赤い顔で言い張る高耶に、「ふぅん」と譲は胡乱な目を向けた。
「まあ、そういうことにしといてあげるよ。――あとどれくらいかかりそう?」
「もう少し。3分待て」
「3分?!」
 高耶がプリントに手を付け始めてからまだ10分も経っていない。しかも話をしながら、動揺しながらという状態で……
 高耶の手元を覗き込むと、3分と言うだけあって解答欄のもう9割が埋まっていた。譲は思わず頭を抱える。
「あのさ、それ、僕が高耶を手伝って解いたってことにされると思うんだけど」
 それがどうした?とシャーペンを右手でくるくる回しながら高耶が首を傾げる。
「そのプリント受け取ってから、どれくらい時間経った?」
「んーと、おまえが来るちょっと前にもらったから、30分くらいかな?」
 時計を見上げて高耶が言う。
「……提出まで、せめてあと30分待ってくれる?」
 いいぜと、不思議そうに頷く高耶に、譲は複雑なため息をつく。
 教師がトイレ掃除をさせる気満々で用意した難問も、高耶は片手間に解いてしまう。そんな彼が授業をさぼっても、本来なら誰も大きな顔で説教などできやしないだろう。
(きっと僕以外の人間には……)
「事情は知ってるけどさ、おまえの力が認められないのはくやしいよ……」
 理数系を得意とする高耶だったが、美術を除く他の科目もA組上位の譲と拮抗するレベルで、全教科総合なら間違いなくトップをはれる成績だった。だけどそれを知るのは友人ただひとり。
「くやしい……」
 唇を噛む譲に、高耶は申し訳なさそうな顔をする。
 目立たぬように(いや、ある意味目立ってはいるが)息を殺して学生生活を送る高耶を見るのは譲には辛かった。廊下の3人組のように、高耶を馬鹿にする声を聞くたび腹が煮え繰り返りそうになった。学力でも他の面でも高耶の足元にも及ばないあんな奴らに、と。
「高耶が北条の人間だってわかった時のあいつらの顔を見てやりたいよ」
「譲!」
 鋭い声が飛んだ。その名前を出すなと高耶に睨まれる。
「ごめん……」
 謝ると、高耶は決まり悪そうに視線を逸らし「こっちこそいつも迷惑かけて悪い」と、ぼそぼそと詫びてきた。
「どうせ、ここを卒業したらオレは家を出るんだからさ……」
「そうだね……無事卒業しないとね」
 だから今度のテストは赤点取るなよと釘を刺すと、「気をつける」と、高耶は神妙な顔で頷いた。前回の期末で高耶は、赤点+1点を狙ってとったつもりが、うっかりボーダーを踏んでしまい、春休みも登校するはめになってしまったのだった。嫌な思い出を思い出したのか、むっとした表情で虚空を睨んでいる。
「なんでこれだけできて、配点の足し算を間違えるかなぁ……」
「うるせぇよ!ほらもう行こうぜ。職員室までゆっくり歩けばちょうど30分だ」
 鞄とコートを手に、高耶は譲を置いてさっさと教室を出る。
「ひどいよ高耶!待てよっ」
 あわてて教室の戸締りをして追いかけた譲は、しかし、すぐに高耶の背中にぶつかった。
「高耶?」
 高耶は窓の外を凝視したまま棒のように立ちすくんでいた。何があったのかと譲も視線を合わせると、西日を浴びてオレンジに染まる東校舎が目に入る。夕日を映す窓の中に混じって2階の窓がひとつ、この季節なのに開け放たれ、寒そうにカーテンがはたはたとなびいていたが、高耶が目を吊り上げて凝視するようなものは何も見あたらなかった。
「……譲、それ提出しといて」
「え?ちょっと……高耶っ!!」
 呼び止める声を無視して高耶は駆け出す。
 先生に何て言えばいいんだよ!という譲の叫びが、人気の無い廊下を空しく吹き抜けていった。





 たまには頭脳明晰な高耶さんもよいかと思いまして……
 21、22巻あたりの、上杉景虎の名と力を隠して現代人を装う高耶さんが(も)大好きですv

 きっと譲はこの罰則プリントをコピーして帰って、それらを1時間で解けるように数学の猛勉強をするんでしょう。毎度辻褄を合わせるために、親友が涙ぐましい努力をしていることを知らない高耶さんです。
 次、直江出ます。今回出せなくてすみません。

2008.01.27 UP


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