「棄」という漢字は、常用漢字の中でもユニークな形を持った字であると思う。
「丗」という形を含むことがまずユニークである。常用漢字で丗を含むものは他に無いようである(「帯」は旧字体では「帶」であり、丗を要素としているとは言えない)。
また、よく見かけるので知っているつもりだが、書けといわれると書きにくい。何とか書けたとしても、正しい書き方かどうか自信が持てない。だいいち、何画かもわかりにくい。例えば、下部の「木」に見える部分の縦線と、その上の三本の縦線のうちの真ん中のものとは、一本につながっているのか、分かれているのか。また、丗の下の横線は、左の縦線とL型に一体になっているのか。
常用漢字表における棄の画像 (文化庁HPより) |
まず、形について手元の辞書(「漢語林」)で調べてみる。すると13画とあり、記載された筆順によると、上記の疑問の答は、「分かれている」、「L字型でなく、別の字画」ということになる。なお、旧字体は掲載されていない。 当然のことかもしれないが、常用漢字表でも、木の部分と丗の部分は分かれているように見える。
ところが、「大漢和辞典」修訂版や「康煕字典」(内府本)によると、棄は木部8画で計12画である。この二つの権威ある字書が12画としていることから、通常なら、棄の旧字体は12画であったと考えられるところであろう。
この文字を12画とする考え方としては、先に挙げた、縦線がつながっている(仮説①)、丗がL型につながっている(仮説②)の2通りの説のほか、後述のとおり、上部は正しくは3画の「(トツ)」という形だという説(仮説③)もある(「漢字文化資料館」)。康煕字典等は、これらのうちどれか一つの仮説に従っているはずである。
まず、仮説②については、「廿」や「甘」が康煕字典においてそれぞれ4画、5画とされていることから、妥当ではないと考えられる。
康煕字典 |
次に、仮説①と③に関して、大漢和辞典と康煕字典に掲載されている棄の字形を注視すると、前者においては、常用漢字表と同様、木の部分の上端に起筆部のアクセントが認められ、さらに、上部は明らかに4画の字形となっている(大修館書店から転載の許諾を得られないため、画像は掲載しない)。後者においても、活字ほど明確ではないが、仮説①も仮説③も成立しないようだ。すなわち、両字典記載の棄の字は、仮説②を採用しない限り12画では書けないものであることがわかるが、仮説②が適用困難なことは前述のとおりである。
「棄」小篆 |
ここで字源について検討する。「説文解字」、「大漢和辞典」、さらには「字統」ともほぼ同じ説を採っている。すなわち、上部は「子」の倒立形である「」(説文解字では「」とする)であり、その下部は大きな塵取りを象る「」(ハン)と、それを押す両手「廾」の組み合わさった象形であるとする。このことについては、左の小篆の字形を見ると、はっきりと読み取れる。2)
すなわち棄とは、単なる廃棄物ではなく、子どもを捨てることを意味したのである。字統によると、中国古代の聖職者には、棄子だったとされる者も多く、初生児を捨てる習俗もひろく存したという。
ちなみには古くからある字で、説文解字では部首字とされており、棄や糞、畢がこれに従っている。
さらに言うと、丗は「世」または「卅(さんじゅう)」の異体字とされている(大漢和字典)が、意味からも音からも棄との関連はない。すなわち、棄は「+丗+木」の会意文字や形声文字ではなく、丗と木が分離しているという根拠はない。
「弃」小篆 |
棄の異体字として「弃」という字がある。周王朝の始祖、后稷の名として、司馬遷「史記」にも登場し、説文解字にも棄の古字として掲載されている。また、現代中国では棄の簡体字として多用されている字である。この字は、棄からを除いた形で、いわば塵取りを使わずに手で子を捨てる様子の象形と解することができる。后稷も、赤子のときに生母に何度も棄てられたという伝承を持っている。この字の存在も、字源としては縦画がつながっていたことを裏付ける要素となるといえるだろう。
次に、仮説③について検討する。字統では、棄の上部と同じ構成要素を持つ「育」「流」についても、その上部は子の倒立形を示すに従うとされている。また、康煕字典でも、流は水部6画の項に記載され、育は肉部3画、4画に重出しているが、3画を正字とするという「正字通」の記事が引用されている。さらに、康煕字典では記載がないが、大漢和辞典では「疏」の項に、「从六画、旧本作疏誤」という「正字通」の記事を引用し、「七画に入れるは誤」と明記している。いずれもに従っているわけである。同じ「子の倒立形」であることは古代文字から明らかなことであるので、棄も少なくとも本来はに従っていたと考えるのが妥当であろう3)
康煕字典「」 | 康煕字典「流」親字 | 康煕字典「育」肉部3画 |
なお、康煕字典全体ではに由来する構成要素の画数に混乱が見られる。先に述べた流の場合、水部6画で上部は3画であるが、同じ字典の序文には3か所に流の字が出現し、そのうち2か所は上部が4画のであり、1か所は最上部の1画を欠く3画の字形となっている。また、疏・硫・琉についてはすべて右側が7画とされており、流と整合していない。弃についても、廾部4画に配置されている。当時、の部分の書き方は4画も3画も通用している状況にあったと思われる。
御製康煕字典序「流」 | 同左 |
また、日本工業規格(JIS)の X0208に掲げる「包摂規準」4)には、この仮説③に該当するものも存在し、「区点位置の例(参考)」として、充・流・硫など6文字が挙げられている(JIS X0208:1997 18ページ)。つまり、上部が3画の字も4画のものも同じ文字コードを適用するという意味であり、電子情報では両者は区別されないこととなる。その点では、現代日本でも、3画も4画も通用しているともいえる。なお、棄はなぜかこの例には含まれていない。
以上をもとに推察を加える。
康煕字典に棄を収録するに当たり、 部を建てることはせず、下部を木とみて木部に分類した(木部でも、「果」〈木部4画〉のように縦線が上から下までつながっている字もあるので、木部にあることだけでは仮説①に反しない)。この際、編纂者は、仮説①または③が成立すると考えて、全体で木部8画の部に棄を配置した。ところが、製版に際して、この配置を行った者と版下の筆を執った者との考えが違ったために、仮設①も③も成り立たない字形を掲載することとなってしまったものであろう。
大漢和辞典においても、字源は説文解字から引いているが、字形・画数とも康煕字典からそのまま引用し、活字化したのではないか。
それにしても、疑問が残る。康煕字典は説文解字も出典の一つとして編まれている。棄の項にも、同書から「捐也」という字義が引用されている。また康煕字典の完成(1716年)の3年前には説文解字大徐本の修訂版が刊行されるなど、当時は説文解字の権威が復興してきた時代である。なぜ、説文解字で部に入れられていた棄を、字源を考慮せず木部に入れたのか。また、大漢和辞典では、康煕字典から12画という数字を引用しながら、活字体の画数との照合を怠ってしまったようである。あるいは、康煕字典の画数から、仮説②が成り立っているものと解釈したとも考えられるが、同じ大漢和辞典で「帯」(「帶」の俗字とする)は巾部7画とされ、丗の部分は5画と解釈されているのである。
棄について、白川静氏の著作を見ると、字統の旧版では13画とされているが、「新訂字統」や「字通」、「常用字解」では、康煕字典や常用漢字のしがらみを断ち切るかのように、「新字体で12画、旧字体で11画」とされている。仮説①を自明のこととしたうえで、仮説③に従うものを旧字体と定義しているのである。
筆者は何も、全ての漢字が何画であるか厳密に決めなければならないと言っているわけではない。ただ、棄の場合、中央の縦線がつながっているかどうかが気になっただけである。このことが字を書く上で大きな違いとなり、結果として書かれた文字の形も変わってくるからである。これを調査するうえで画数を拠り所としようとしたところ、仮説③の問題も絡んできたため、思いがけず煩雑な論考となってしまった。
康煕字典や大漢和辞典が、字源に従って丗と木をつなげた字体を掲載していれば、常用漢字もそれに倣ったものになったかもしれないが、甲骨文や小篆から康煕字典に至るまでに字体が変化した漢字は無数にあり(別掲の「糞」もその一つ)、長い時間の流れの中では、しかたないことだったのだろうというほかない。
「漢字文化資料館」によると、「棄」が13画であると文部省(当時)が明言したのは、1957年の「当用漢字字画順表(案)」が最初ではないか、という。はじめに書いたとおり、13画となると、丗と木は分離せざるを得ない。常用漢字表には画数は明示されていないが、その字体はそれを踏まえたものとなっており、日本での現行の漢字としては、13画で書くものが「印刷文字における現代の通用字体」となったはずである。
ところが、問題はまだ終わっていない。筆者が使っているパソコン(Windows7)に準備されているフォントには、明朝、ゴシック、楷書体、行書体、教科書体といくつもの書体があるが、棄の字をいくら拡大して仔細に見ても、丗と木の縦線はつながっているとしか見えない。(韓国系のBatangなど数種のみ、木が分離している。中国系のMingLiUは、WindowsXPのころはBatangに近い字形だったが、Windows7では木はつながり、上部がになっている。)
また、主な新聞の見出しの字形を調べてみると、いわゆる五大紙のうち、読売と毎日の活字は、明らかに丗と木がつながったかたちで作られている。朝日は、幹の部分はつながっているが、交点の右下にわずかに黒い部分があり、起筆部のアクセントに見えないこともないという中途半端な字形である。日経と産経は常用漢字に従っている。朝日を中立と考えると、発行部数の面では「つながる派」が多数であるといえる。
読売新聞 | 毎日新聞 | 朝日新聞 |
2014.2.24夕刊 | 2014.1.21夕刊 | 2014.1.17 |
大阪本社版 | 東京本社版 | 大阪本社版 |
常用漢字表の「(付)字体についての解説 第1 明朝体のデザインについて」には、「字形の異なりを字体の違いと考えなくてもよい」デザイン差について例を挙げている。そのうち、棄と共通の問題がある「夢」の例を掲げる。(「2 点画の組合せ方について」 (5)その他)
左の二つは、冠ととが接触しており、左端のものは縦画2本がの中までつながっているように見える。棄についての上述のパソコンや新聞の字形も、本来は離れている丗と木が、デザイン上接触しただけかもしれない。しかしこれらの場合、接触した横画の反対側に別の縦画があり、接触したことによりつながっているように見えてしまうのだから、デザイナーとしては、やはり別の字画であることが分かるような字形にすべきであろう。5)
上述の「明朝体のデザインについて」の説明文の中に、「実態として存在する異字形を、デザインの差と、字体の差に分けて整理することがその趣旨であり、明朝体字形を新たに作り出す場合に適用し得るデザイン差の範囲を示したものではない。」とあるので、常用漢字表作成者としては、今後は表内の字形(夢については上記の3種のうち右端のもの)に変えていってほしいという趣旨であろう。しかし、まだまだ道のりは遠そうである。
棄については、パソコンも新聞も、「12画に見える」字形が主流である。まさか常用漢字表やJIS規格を無視して、字源に従ったフォントを作成しているとは思えないが、日常目に触れる活字をよく見ても、手ではどう書いていいかわかりづらい状況ではある。
いっそのこと、この状況を肯定して、字源に従い丗と木をつなげて書くよう常用漢字表を改正してはどうかと言いたくなってくる。
棄をめぐる混乱は、今も続いているようだ。
SPIN OFF 「糞」はきれい好きの字だった もご覧ください。
注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究14」(2008年)所収論考「『棄』をめぐる問題」を全面改稿・改題。 戻る
注2) 甲骨文の棄では、を用いず、箕を使って子を捨てている様子が描かれている。中央下部の形は、「箕」の初文である「其」の甲骨文と同形である。子を捨てる習俗が継続していたものであれば、殷代と秦代とでその方法が変化したものと考えられる。 戻る
「棄」甲骨文 | 「其」甲骨文 |
注3)「充」については、字源が異なるため、ここでの比較対象としない。 戻る
注4)漢字の電子情報としてのフォントに関する基準を定めたJIS X0208(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合)やX0213(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合)には、特定の点画に差異があってもコードを区別しない規準として「包摂規準」が掲げられている。この規準に該当する場合は、字形が微妙に異なっても、同じJISコードが適用される。 戻る
注5)「(小とその下部)」「敖(土+方)」「叔(上+小)」などの字やこれらを構成要素とする字のフォントにも、同様の問題を持つものがある。これらの文字は、JISの画数表示や学習用漢和辞典ではすべて( )内が分離することとなっているが、幣・弊・蔽については、常用漢字表(PDF版)をどう見ても縦線がつながっており(叔・淑は拡大してよく見れば縦線がずれているのがわかる)、棄よりも大きな問題を抱えているといえる。
「敝」甲骨文 | 「敖」金文 | 「叔」金文 | 「衷」康煕字典 |
なお、字源的に見れば、は説文解字で「巾に従う」とされ、敝の甲骨文でも偏の上下はつながっている。敖の偏は「長老の架屍」すなわち長髪を持つ死体の象とされ(字統)、金文でも上下がつながっているものもある。叔の偏は「鉞頭の形で、下部に刃から白光の放射するさまをしるす」(字統)とされ、金文ではその光がよく分かるが、字源的に上と小が分かれるのが正しいかどうかは断定できない。
また、「衷」については、字源的には衣を上下に分けてその間に声符である中が入る、総10画の形声文字であり(「『衣』の中には何がある?」参照)、なべぶたと中は分かれるのが正しいが、現代では常用漢字表も学習用辞典のほとんども、上部の縦画が繋がって9画の字になっている。この字について問題があるとすれば、字源の分かりにくい新字体に改変してよかったのかということと、常用漢字表に「いわゆる康煕字典体」をなぜ掲載しなかったのか、ということになろう。
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参考・引用資料
漢語林 新版第2版第2刷 鎌田正・米山寅太郎著、大修館書店 2002年
常用漢字表 文化庁ウェブサイト
大漢和辞典 修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
漢字文化資料館 大修館書店ウェブサイト
字統(旧版) 普及版第4刷 白川静著、平凡社 2000年
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
字通 初版第12刷 白川静著、平凡社 2006年
常用字解 第2版 白川静著、平凡社 2012年
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
史記(周本紀) 前漢・司馬遷編:新釈漢文大系38 吉田賢抗著、明治書院 1973年
日本工業規格(JIS) 日本工業標準調査会ウェブサイト
画像引用元(特記なきもの)
常用漢字表 文化庁webページ
甲骨文、小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
JIS規格外漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)