アンサンブル・クリスタル ディレクター

アンサンブル・クリスタルでは指揮者ではなくディレクターを置き、演奏の方向性を統一しています。

ディレクター・山本のりこ

京都市立堀川高校音楽コース(現市立音楽高校)、国立音楽大学声楽科卒業。
日本テレマン協会に所属中、ヘンデル「メサイア」、バッハ「カンタータ」「マニフィカート」等の ソプラノソロを歌う。
退団後、ヴォイストレーナーとして関西の合唱団を指導。
ソロリサイタルを開催する傍ら、モーツァルト、
ヴィヴァルディ、グノー、 ペルゴレージ、ハイドン、ロッシーニ、フォーレ等、主に宗教曲のソロを務める。
2000年、ドイツ滞在中にバロック音楽をギゼラ・ポール氏、ルネサンス音楽をエドモンド・ブラウンレス氏に 師事。
その間、ドイツ各地の教会にてソロ演奏をし、好評を得る。
これまでに伊藤京子、岡田晴美、竹内光男、橋本俊詔、井原好野の各氏に師事。

ディレクターコメント

クリスタルのメンバーは幅広い年齢、様々な音楽経験の持ち主。音楽を一つにまとめる為、一にも二にも声作りに 力を入れています。
「自然な声」作りをモットーに気息の制御、脱力のマスターに努めています。
又作品の時代背景を大切にし、スタイル(様式)についても重点を置いて練習しています。


ディレクターブログ

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 2010年9月6日(月)
 No.6 海辺で聞いたハーモニー
                                                     

8月末からヨーロッパに行きリフレッシュしてきました。
今回はお気に入りの地の再訪でしたし、天気が良かったので、どこも大満足でしたが特にアドリア海の紺碧色は最高でした。

その中でちょっと面白いものに出会ったのが シーオルガン(sea organ)

一見すると「タダのコンクリートの海辺の防波堤」なのですが、そこにぶつかる波の音が、足元からまるでパイプオルガンの音のようにハーモニー豊かに響いて聞こえてくるのです。

その防波堤にはちょっとした仕掛けがしてあります。
中が空洞になっていて小さな孔が一定間隔に開けてあり、その中で何かの装置が、揺れ動く波の音を反響させ、上を歩く人の耳に聞こえるのです。

その音はなかなか文章では表現しにくいですが、
ザブ〜ンザブ〜ンと揺れる波がコンクリートにぶつかると、
波の揺れの強さ?により高く低く聞こえ、まるで「♪ブハ〜.・ブハ〜」とオルガンを鳴らしているかの様なのです。
一つ一つの孔から違う高さの音が同時に聞こえますから、あえて言えば「ハーモニー」なんですが、決して人工的に作られた音程ではなく、波が自然に揺れて作り出す音程ですから「不協和音?」です。
ところが、それがとても心地良く、いつまで聴いていても飽きません。

防波堤の上にはたくさんのカップルや家族連れがいて、座ったり写真をとったりしています。
私達はちょうど日没の時間に訪れたので、シーオルガンを聞きながら素晴らしいサンセットを見ることが出来、最高の思い出となりました。
ヒッチコック氏が「世界最高の夕日」と言ったという街「ザダール(Zadar)」の海です

2010年8月21日(土)
No.5 最近思う事(2)

昨日TVのBShiで「数学への旅」という番組があり偶然視ました。

宇宙の形を知ることができるかも知れないという「ポアンカレ予想」とか、一見全く不規則な「素数の並び」の中に何かの規則性を見出そうとする「レーマン予想」とか、はっきり言ってその中身については私の頭ではほとんど理解不能でしたが(笑)) 私はその理解不能の中身より、それを解こうとした数学者の生き方に興味を持ちました。

「ポアンカレ予想」は約100年間誰も解けなかった難問中の難問だそうで、それを解こうとする数学者はその証明にのめりこんで精神を病んだり病気になるというのです。
呪われた問題?どうしてそんな風になってしまうのか?
その「理由」が面白いと思いました。

実はその理論を証明しようとすると、まずは思いのほか「簡単」なのだそうです。案外スラスラ進むのだそうです。ところがもう証明はできた…と思った瞬間、間違いに気づく。気づいたら又やりなおす。又案外進む。終わりと思ったら間違いに気づく。それの永遠の繰り返し。そうこうしている内にこの行為を抜け出せなくなって気づいたら、病気になっている…らしいです。
 一見簡単そうだからこそ、はまる罠?  怖!!

そして数学者は数学の事を「美しい」て言うんですってね。
美しい問題に美しい答えを出そうとのめり込み、もがき苦しんでいる数学者。気の毒な気がしますが、彼らはきっととても幸せなのですよ。
私達凡人にはとても味わえない幸福感。それと引き換えに精神を病む?
何か音楽家と共通する精神性を感じます。

100年目にとうとうその理論の証明を成し遂げたロシアのペレリマン博士は数学のノーベル賞に当たる賞を辞退しその後音信不通になり、誰も知らない山で「きのこ狩り」をしているそうです。
美しいものを求めて苦しんだあげく「きのこ狩り」

そんな「美へのエネルギー消耗」を果たした彼の生き方は凡人の私には少し羨ましくもあります。余生を「きのこ狩り」で終わってしまうのが良いのかは別として、彼を羨ましく思う私もちょっぴり病んでるかもね(苦笑)。

 2010年8月9日(月)
 No.4 「暗中模索」は声楽用語?

 昨日は、私のつたないチェロの発表会でした。
老化で声が出なくなった時、淋しい気持ちになるのがつらいので、
今から何か楽器を一つやっておこうと思い、習い出したものです。

○十の手習いなので、ヘタッピイは覚悟の上
本当はとても人に聴いて頂くようなものでは有りませんが

小さなホールで ヴァイオリンの小学生のお嬢ちゃま達にまざって
これも勉強の内とドキドキしながらの挑戦でした。    
ああ〜恥ずかしかった〜!()              
左手の音程も右手の弓もとにかく難しくて、いつまで続くかと思いつつ丸3年細々続けてきました。
ピアノも勿論ですが、一つの楽器をものにするのは本当に大変な事です。
○○ニストと名が付く人達には、ほんと頭が下がります。

と言いつつも、実はいつもチェロで苦しんでいる時、「声楽の難しさは、こんな物ではないぞ…」と思って奮い立たせていました。
勿論両者を比較してどちらが難しい?と言うような次元では有りません。

弦楽器や管楽器は音を出すだけでも大変。
声は誰でも出せるので簡単に思えてしまいますが、
目で見ても音で聴いても習えないのが声楽
声帯や共鳴腔、横隔膜は見る事が出来ませんし、一番難儀なのが、今出している自分の声がどんな声なのか自分の耳を通しては客観的にわからない事。見ても聴いてもとにかくよりどころが有りません。

『目でも 耳でも 頭でも理解不能』
三重苦をイヤと言うほど思い知らされるのが声楽で習うまず第一歩かも。「暗中模索」という言葉がありますが、声楽の為にあるような言葉だと思います。マリア・カラスは「歌に関して言えば私達はみんな、死ぬまで学生なのよ」と言っています。見えない、聞こえないものを模索して一生学び続ける。凄いことですね。
声楽に関する事は、今後のブログでも続けてとりあげたいと思っています

 2010年7月29日(木)
 No.3 とても充実した時間を過ごせた喜び(コンクール出場に寄せて)


 いやあ〜もう、どこの団体もすばらしい〜      
どの団も今日の晴れ舞台のために命をかけてるって演奏だったな
宝塚国際室内合唱コンクール  大袈裟ではなく…また茶化してるわけでもなく

 そういう演奏は、えてして〔賞を狙った感〕がありありし、下手をするとシャカリキでイヤな演奏になったり、硬くなって閉塞感が漂う演奏になったりするのに、今回聴かせていただいた中で、私がそんな風に感じた団体は1つだけでした。
そういうレベルの高さがこのコンクールの凄さです

出演者がみんなこの一瞬に、自分を表出をする事だけに本当に命をかけていた。そういう意味では去年の私たちの参加は有り得なかったです。反省(- -!)
 精神的に全く場違いだったなぁ (今頃、去年の反省もおかしいけど(笑))

さて今年の私達は…?私達も精神的にずいぶん成長して参加できたと思います
去年よりはだいぶ聴いて頂いた方々に私達の感動を伝えられたのじゃないかな

審査員は合唱指揮者の本山秀樹氏、 清水敬一氏、 洲脇光一氏、
作曲家の鈴木輝昭氏、音楽評論家の日下部吉彦氏、
海外からもラトビアと韓国からみえていて凄い顔ぶれです。

 25日の個別講評で、お一人の審査員先生から
「一人一人の訴え掛けが強い、伝えたいという熱いハートを感じる演奏だった。感動しましたよ。」   又、もう お一人からは
「僕は、生き物としての合唱団の有り方として、貴団は音楽的にもとても良い成立の仕方をしていて、こういう団体の演奏を聴くのが私の喜びなのだと感じた。良い成績を取っていても別にもうこれ以上聴きたい訳ではない合唱団もある中で、なにかこう、もっと聴いてみたい…という演奏だった。」と嬉しいお言葉!!
「良い成績をつけたわけではないのだけど…」と言いにくそうな前置きがあったのが御愛嬌でしたが(笑)

でも先生!私たちにとって最高の賛辞でしたよ!
「自称・上手く歌えない人」と「自他称・上手い人」がみんな一緒に向上していくことに心を砕いて練習してきましたから(汗!)
言いにくそうだった前置きよりも、そのあとの賛辞の意味をかみしめて
今後も歌って行きたいと思います。     決意も新たに……(^0^)♪

 2010年7月16日(金)
 No.2 最近思う事(1)

 7月に入りとても蒸し暑い日が続いています。休みたいところですが、24日にコンクール、秋の「ロ短調ミサ」のことを考えるとバテているわけにもいきません。
もう一息頑張らなきゃ!
 ところで私は「頑張る」という言葉はもう一つ好きになれません。何でかなあ…と思い大辞林を引いてみました。
大辞林 頑張る = @あることを成し遂げようと困難に耐えて努力する
            A自分の意見を押し通す
            Bある場所を占めて動こうとしない……とありました。
好きになれないのは、どうもABに起因しているようです。     
 
「努力する」は格好良すぎてくすぐったいような言葉ですが    
 <大辞林:  努力 = 心を込めて事に当たること>…とありました。
これを見て私は、この言葉が持っているもう一つの面を感じると同時に、この言葉がなぜ素敵に聞こえるか…をわかったたような気がしました。
事に当たる? 
結果が100パーセント確実なことに対しては「努力」と言う言葉は使いませんよね
。努力しても目標が達成するかどうかわからない、いわば賭けのような目標に対してのみ使う事に気づきました。そんな叶うか叶わないかわからない事に心を込めて当たる…それって案外ロマンチックな事なのかも…
コンクールというと「競争」という言葉がふさわしいようですが、コンクールに出るための努力はもっとロマンのある事なのかも知れません。
私の娘は、「頑張っても達成できるかどうかわからないような事は、最初からやらない…」と、若いのにロマンの無いことを言っています。が、私は娘より精神年齢が若いのか、このロマンいっぱいの言葉に惹かれます。

 2010年7月11日(日)
 No.1 やはりバッハは凄かった!


昨日、日本基督教団神戸教会に行きました。       
ベガコンクールでオルガンをお願いしている瀬尾千絵さんのオルガンコンサート「Organ meets violin Vol.U」を聴きに行ったのです。
歴史ある教会の中、主にバロック時代の音楽を楽しく聴きました。
バロック時代の音楽というと何か古臭く、小難しいように思うかも知れせんが、
昨日はテレマン「ガリバー組曲」など、風刺にとんだコミカルな曲も聴けました。
しかし昨日私が一番感動したのは、やはりバッハでした。
過去ライプチッヒやリューベック、あとヨーロッパのいろんな教会でオルガンコンサートを聴いてきましたが、ロマン派以降のオルガン曲や、観客が楽しめるように現代のポピュラー曲をオルガン用にアレンジして演奏するような演奏会が多く、ヨーロッパのオルガンコンサートでもなかなかバッハを聴くことはできなかったので、久しぶりに立派なパイプオルガンでバッハ「パッサカリア」を聴けて大満足でした。
やはりバッハは凄かった!!!
よく言われていることですが、やはりバッハの音楽には他の作曲家には無い「宇宙感」を感じます。バッハを聴いていると自分が小さく思えます。昨日も等身大の自分を感じるとともに、宇宙世界の大きさを感じました。
そしてまた、瀬尾さんがバッハ他の難曲に真摯に取り組んでいらっしゃる姿に
感動しました
24日の協演が楽しみ!そして、10/30のバッハ「ロ短調ミサ」がますます楽しみです。


今井彩香(ピアノ)

京都市立芸術大学卒業。
2002年、ベガ学生ピアノコンクール高校生部門第3位。
2005年、同コンクール大学生部門奨励賞、2008年同部門2位、2004年、音楽会ピアノコンクール銀賞、2007年、 ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団と共演、2010年、ド
これまでに、山本のりこ、松井和代、赤松林太郎、岡田敦子、松田康子の各氏に師事。