◆ 17 ◆
「お前、橘とケンカしてんのか?」
高耶のスプーンが、一瞬止まる。
「別に」
潮を一瞥し、そっけなく答えた。
「別にってお前、あいつのこと無視してるだろうが」
「気のせいだ」
そう言って、夕食のカレーを淡々とかき込む。その様子は、食べるというより皿の上を片付けているといった風である。
(これがカレーだと認識しているかどうかも怪しいよなぁ)
心ここにあらずといった高耶を見つめながら、潮はため息をついた。
今朝から高耶の様子がおかしかった。
あれほど嫌がっていたトレーニングを、今日は何かに追われるように一心不乱にこなしていた。かと思うと、突然電池が切れたように、所構わずぼんやり物思いにふけったり、唐突に壁やら何やら蹴飛ばしたりする。隊士らのからかいにも、昨日のような愛嬌ある罵声ではなく、絶対零度の視線でもって瞬殺した。
記憶が戻りかけているんだろうか?最初はそう思ったが、どうもちがうらしい。何かにひどく怒っているようだった。そしてその原因が橘であることは確実のようだ。
「まあ、オレは役得だからいいけどさ」
おかげで、高耶の専属ボディガードのお鉢が潮に回ってきた。今朝、高耶直々に任命されたのだった。直江の代わりとして。
高耶は、食べ終わった皿を持ったままぼんやりしている。
(どんなに無視して避けてても、仰木の頭の中は、結局橘でいっぱいなんだよなぁ)
「早く仲直りしろよ」
聞こえてないだろうと思いながら、そう言ってみる。
「隊長ぉ〜!」
楢崎がやってきた。
「おう、今日は訓練もさぼって、一日どこ行ってたんだお前」
違う世界へ行っている高耶に代わって、潮が出迎えた。
「今日は、朝から窪川へ行ってたっす」
そう言って高耶の隣へ座った。
「ああ、今朝の侵入者の件でか?」
潮が声を潜める。
「そうっす。他所でも何か侵入された形跡はないか、全アジトを徹底調査っす。今日は一日それに借り出されてたんすよ」
その結果、窪川など他のアジトでは侵入された痕跡などは見つからなかったが、足摺アジトの他の倉庫から、またしても不審な痕跡が見つかっていた。そこには、船に積み込む予定の大量の武器が保管されていた。その一部の荷の位置がわずかに動かされていたらしい。心当たりのある者は誰もいなかった。
「全く、警備班は何やってんだよ」
「24時間警備にあたってたやつらが言うには、出入りしてたのはアジトの人間だけで、そんな怪しい人間は見なかったそうっす」
「てことは・・・内部犯の可能性もあるってことか」
「気をつけないといけないっすね。隊長も今は力が使えないんですから、夜中にふらふら出歩いたらだめっすよ。昨日みたいに」
「あ?・・・ああ、なんだ。楢崎か」
今やっと気付いたとばかりに、高耶が空の皿から楢崎へと視線を移す。
「どうしたんすか?元気ないっすね」
「別に。疲れただけだ」
「あの〜ところで昨日、あのあと大丈夫でしたか?橘さん、すんげえ怒って・・・まし・・・たが」
みるみる恐ろしくなってゆく高耶の形相に、楢崎は語尾をしぼませた。
「あのあとって何だ?橘に何か怒られたのか仰木?」
「何でもねぇ!!」
高耶はトレイをひっ掴み、席を立った。
「おいっ、こぼれるぞ!」
その乱暴な動作にコップが倒れる。残っていた水がこぼれ出し、それは高耶の服に降りかかった。
「あ〜あ〜、何やってんだよ」
手近にあった布巾を掴んで潮が立ち上がる。
「これくらい別にいい」
「ズボンに思い切りかかってるだろ。早く拭かないとパンツまでぐっしょり濡れて…ごふっ!」
高耶のアッパーが決まった。
「な、な、何すんだよ仰木!!」
「お前が変なこと言うからだ!!」
「変って何が変なんだよ。早く拭かないとパンツが濡れるって言っただけ…痛てっ!」
今度は、頭上から衝撃があった。
「悪い。手が滑った」
見上げると、重そうなどんぶりを乗せたトレイを手にした直江がいる。凶器はどうやらこのトレイらしい。
「橘!お前までオレに何の恨みがあるってんだよ!!…って、待てよ仰木ぃ!」
直江を見向きもせず去ってゆく高耶を、顎と頭を摩りながら潮は追いかけた。
「なあ、どうしたんだよ」
あの男の隣室に戻る気になれず、高耶は潮の部屋に居座っていた。
「・・・あいつがわかんねぇ。4年前とは全然ちがう」
ひとりごとのように、つぶやいた。
昨夜あんなことをした男が、あの直江と同一人物とは思えなかった。いや、思いたくなかった。
(昨夜のAV男優みたいなヤツが直江だなんて・・・)
まるで、あのエロビデオを再現したような一夜だったと思う。
(って、オレは最後まではやられてねぇぞ!!)
慌ててぶんぶんと顔を振る。いろいろ弄られたが、貞操は無事だったはずだ。・・・意識のある間は、であるが。
(もし、百万が一にでもヤってたら・・・ミクロ単位でこま切れにしてやる!)
高耶は、バキバキと腕を鳴らした。
(大体、なんでオレが女みてぇに襲われなきゃなんねぇんだよ!・・・男に・・・男にイかされるなんて・・・)
がっくりとうな垂れる。
(だいたいあいつ、慣れすぎだ。なんだあの百戦錬磨みたいな手管は。男相手になんであんなこと平気でできるんだよ・・・って、もしかして?!)
はっと、高耶は顔を上げた。
(あいつ男と付き合ったことあるのか?!そういえば、ここに恋人がいる風なこと言ってたし・・・てことは、ここの男と付き合ってたり?その男といつもあんなことを・・・)
「うわ〜!やめろぉ!!」
「お〜い仰木。そろそろ戻ってこい」
思考の大海原へ旅立っている高耶を、潮が引き戻す。
「・・・え?」
「え?じゃねぇよ全く。さっきからなに百面相してんだ」
その潮の手には、カメラが握られている。ちゃっかり撮影してたらしい。
「4年前の橘と、今の橘が違うって?そりゃ4年もあったら信じられないくらい変ることもあるさ。お前だって別人だしな」
「別人・・・か」
高耶の表情が曇った。
「そりゃそうだろうな。今のオレはただのコーコーセーだし?ご立派な景虎様とは雲泥の差だろうよ」
「自分を卑下すんじゃねぇよ」
「本当のことだろう?今のオレは何の役に立ってる?無駄飯食って、みんなの仕事の邪魔して・・・お前だって自分の仕事あんだろ?自分の時間削ってオレなんかに付き合わされて大迷惑してんじゃねぇの」
「仰木!」
心の底にひっそりと沈殿していた暗いものが、荒れた感情の渦に巻き上げられる。
「オレはここで必要とされてない・・・むしろ足手まといなんだろう?嶺次郎ってやつも、兵頭ってやつも、他のやつらだってオレが記憶を取り戻すのを待ってる。景虎を待ってる。・・・直江だって」
はっと、高耶は口を押さえた。思わず口をついて出た自分の言葉に動揺する。
(そうか・・・オレは景虎じゃないから・・・だから平気であんなことできるんだ)
それは、すとんと胸に落ちてきた答えだった。景虎相手だったら絶対あんなことしないだろう。
(それだけどうでもいいやつに思われてるってことか・・・)
「あいつは・・・今のオレを面白いオモチャくらいにしか思ってねぇんだ・・・。人が不安がってるところに優しい言葉かけて、たらしこんで、さぞかし愉快だったろうよ」
「仰木、それはちがう!」
「景虎って呼んだらどうだよ?お前だって用があるのはそっちの方だろ?もしかしたら覚醒するかもよ?」
そう言って、自嘲めいた笑みを浮かべる高耶を、潮は痛々しげに見つめる。差し出された手を否定しながら、それが欲しいと求めている目だと思った。求めているその手は、橘の手なんだろう。高耶は俯いて、唇を噛み締めている。涙をこらえているように見えた。
(何があったか知らないが、要は仰木が「裏切られた」と思うようなことを、橘がしたってことか)
潮は、なるほどと納得する。
(橘に裏切られたショックで自暴自棄になってんだな)
かわいく言えば、拗ねていじけていると言ったところか。そう思うと微笑ましいものがある。
「橘は、お前のことを裏切ったりしねぇよ絶対。あいつにとってお前が一番大事なんだ。記憶がなくってもな」
高耶がゆるりと顔を上げた。
―――あなたへの思いは、何も変りません。記憶があっても、なくても。
直江の言葉が蘇る。
「・・・そんなの嘘だ」
(大事だったら、なんであんなことするんだ?)
「あいつが大事にしてるのは景虎だろう?」
「さっきの言い方は悪かった。お前は『別人』になったわけじゃねぇよ。今のお前も、4年後の景虎の記憶を持ったお前も、根は同じ人間だ」
―――別人になったわけではありません。今のあなたがあるから、4年後のあなたがあるんです。
「嘘つけ!そんな気休めはやめろ!」
頭に響いてくる男の声を、高耶は否定の言葉でかき消す。
「馬鹿野郎!いつまでもいじけてんじゃねぇ!!」
潮が怒鳴った。
「全く、口の悪いところも、態度がでかいところも、ひねくれたところも、その疑い深いところも・・・そーゆーとこ全然変わってねぇよお前」
「・・・悪いとこばかりじゃねぇか」
「しょうがないだろ。お前は天邪鬼なんだから。こんな天邪鬼2人といねぇよ。よし!今証拠を見せてやる」
そう言って潮は、本棚から1冊の分厚いアルバムを取り出し、高耶に渡した。
2005.8.31 up天邪鬼なら、千秋もいい勝負だと思います。
昨夜一応書き上がってたはずなんですが・・・修正してたら日付変わってしまいました。
素直に信じて、起きて待ってた方いたらすみません・・・。
やっぱり更新予告はしないようにしようと思います。(その前に努力改善しろよ)
しかし、書いても書いても終わらない・・・あと何話あるんだろう。