◆ 18 ◆
促されてパラリと1ページ目を開くと、そこには裸身の男を写した大判の写真が1枚だけ貼ってあった。その男は、川で水浴びをしているようだ。木漏れ日の中、身にかけた水がしぶきとなって飛び散っている。
吸い込まれるように高耶はそれを見つめる。とても存在感のある写真だと思った。光と影に鮮やかに描かれた骨や筋肉のラインが、彼の存在をリアルにさせている。滑らかそうな肌に散りばめられた水滴は、光をキラキラと反射し、彼の裸身を飾っていた。光を纏っているかのようだ。そして何より、天を仰いだその表情が印象的だった。
「え・・・?・・・これ、オレ?」
その横顔を見つめていた高耶は、それが自分であることに気付く。
「そう、オレとお前が出会った時の写真だ。きれいだろ?オレの最高傑作なんだ」
「てめぇ、ヌードまで撮ってんじゃねぇよ!」
「まあまあまあ。いい写真だろ、それ」
「・・・・・・」
被写体が自分だと思うと複雑な心境だが、たしかにきれいな写真だと思った。とても自分とは思えない。
(だけど・・・)
きれいなだけじゃないと高耶は思う。この写真をじっと見つめていると、心の奥から正体不明の感情が湧きあがってきて、胸が締め付けられそうになる。・・・この感情は、失った記憶の断片なのだろうか。
「オレさ、この写真見たとき泣いたんだ。・・・剥き出しの生命がここにあると思った。それは、とても純粋で綺麗で・・・だけど孤独なものだと思ったんだ」
「剥き出しの生命・・・」
高耶は、再び写真に視線を落とす。写真の中の自分は、無垢な表情で光のある方を仰いでいた。その仕草は、太陽を仰ぐ草木の本能と似ているように思った。
(なるほど・・・)
潮の言っている意味がわかった気がした。
(『命』以外、何も持っていないんだ・・・)
裸身の姿そのままに。
何もかも全部失ってしまって、もう何も残っていないのに、命だけが置き忘れたかのようにそこにある・・・高耶には、そんな風に見えた。仰のいた彼の瞳は、失った何かを求めることもなく、ただ、静かにまわりの風景を映している。
(こんな風になるまでに、一体何があったというのだろう・・・)
「この時のお前は、なんかいろいろあったみたいでさ・・・記憶が戻ったら、オレに話してくれよ?」
潮は、不安そうな顔をする高耶に、そう言って笑いかけると、アルバムをめくるように促した。
高耶は、次のページをめくる。2ページ目からは、窮屈そうにたくさんの写真が貼られていた。どれも自分が写っている。
「このアルバムにあるのは、全部お前の写真なんだ。お前とこの四国で出会ってから、ずっと撮り続けている。オレが教えられる『4年後の仰木高耶』は、全部こん中に入ってる。そして、今のお前と別人じゃないっていう証拠もな」
過去を記録するアルバムに、未来が写っている。とても奇妙な体験だった。
「このへんは、赤鯨衆に入ったばかりで、俺らが期待の大型新人だったころのだ」
未来の自分に戸惑う高耶を気遣うように、茶化しながら潮が説明する。
高耶は、4年後の自分を観察した。そこに写っている自分は、大人びていて賢そうに見えた。表情は固く、笑った写真どころか不機嫌そうな顔ばかりで、いつも皆と離れてひとりポツンと写っている。
次のページを開く。
卯太郎と一緒にいる姿がチラホラ見え出してきた。
その次のページを開く。
高耶の周りに、段々といろんな人間が写りこんでくる。
その次のページを開く。
はじめ仲間の輪から外れていた高耶は、いつの間にか皆の中心にいるようになっていた。そしてそのあたりから目が変わったと感じた。生きることに純粋な動物のようだった彼の目に、生きるため以外の『餓え』が宿ったように見えた。目がギラギラと輝き、何かを求め出しているように見える。
その変化を追うように、高耶は次々ページをめくってゆく。4年前の自分が、赤鯨衆に入隊してから仲間と打ち溶け合ってゆく様子、丸裸だった生命に、希望や欲という衣が着せられてゆく様子が、潮の写真から感じ取ることができた。
高耶はそれらを興味深く観察する。そして・・・やっぱり今の自分とは別人だと思った。
そんなことを思いながら、景虎に憑依されたような自分を追っていた高耶の目は、ふと1枚の写真の上で止まった。
「これ・・・」
そこには、オイルで顔を汚しながらバイクの整備をしている自分の姿があった。
「それもいい写真だろ?」
嬉しそうに潮が目を細めて言う。
「それが証拠の一つ目だ」
「証拠?」
「そ、お前がお前だっていう証拠。バイクいじってる時のお前、全然変わってねぇよ」
そう言って潮は、どこからか1枚の写真を取り出してきて、高耶に見せ付けた。それは2日ほど前に撮った高耶の写真だった。高耶は自分のバイクだというホーネットを、記憶を失ってからも頻繁に触っていた。ツーリングには行けないが、整備するだけで楽しくて、いい気分転換にもなっていた。その時撮られた写真だった。
「ほら、このバイクに夢中になってる時の顔。オイルも同じ場所につけてるし。お前、右袖で汗をぬぐう癖あるんだろ。右の頬とシャツの袖が、汗とオイルで真っ黒になってっぞ」
確かに、高耶にはそんな癖があった。
あとこれ!と、潮が別の写真を指差す。そこには、顔に『大迷惑』と大書したような、カメラ目線の高耶がいた。
「カメラ向けられてるのに気付くとさ、いっつもこんな顔すんだよな。見ろよこの嫌そうな顔。ポーカーフェイスですましてるつもりでもさ、お前って結構顔に出るんだよなぁ。そういうとこも一緒だ」
そう言って笑う潮を、高耶がムッと睨みつけると、その顔がまたそっくりだと言って、大笑いされる。
「笑うな!」
「あ、あとあれもあったな・・・」
目じりに涙を浮かべながら、潮がアルバムをめくる。
「そう、これこれ」
そこには珍しく柔らかな笑みを浮かべる高耶の顔があった。その隣には、笑っている卯太郎がいる。
「卯太郎に笑いかけてる時のお前の顔も、今と全く変わってねぇや。お前、記憶があってもなくても卯太郎には優しいよなぁ。オレらへの態度とは雲泥の差だよ」
「オレ・・・いつもこんな顔してるのか?」
高耶は、全く自覚してなかったらしい。卯太郎を、慈しむように微笑みかけている自分の顔は、それこそ別人に見えた。
「自覚ないみたいだけどさ、卯太郎の保護者みたいなところあるぞ。甘いっていうか、卯太郎の持っていった食事だけは、食欲なくっても食べようと努力したりさ」
高耶は、う〜んと考え込む。確かに卯太郎を見ていると、何かしら手をかけてやりたくなるし、中川の言い付けもあって、薬を飲めだとか、疲れていても食事はしっかり取れだとか、何かと口うるさく言ってくる卯太郎の言うことに、素直に従っている自分がいる。
「・・・たぶん、卯太郎がまだ小さいからだろ」
「う〜ん、確かに小さいけどな・・・まあとにかく、お前の本質は、そんなに変わっちゃいないってことだ」
「そっかな・・・」
「最後まで見てみろって。何か他にも発見があるかもよ」
「・・・ていうかさ、お前マジでストーカー?どんだけあんだよ写真。この分厚いアルバムは何だ?やばいんじゃねぇの?」
「ひでぇ!この芸術品の数々を見てそれを言うか?オレは、言うなれば仰木の専属カメラマンだ」
「自称な」
軽口を叩きながら、アルバムの続きをパラパラと捲ってゆく。
後半に差し掛かると、副官だという兵頭は、高耶の隣に頻繁に現れるようになっていた。生意気そうな楢崎の姿もちょこちょこ出てくる。そして・・・
次のページをめくった高耶の手が止まった。高耶の隣に直江の姿が写っていた。そしてそこから、写真の中の高耶に大きな変化が見えた。顔が変わったと思った。何があったのか、ひどくやつれていて、服から覗く部分には痛々しい傷跡も見え隠れしている。なのに、そんな体とは裏腹にその表情には今までにない力強さを感じる。これ以前の、ギラギラとしたハングリー精神のようなものとはちがう、地に足をつけたような安定感を持った強さだ。そして、もうひとつの変化は左手首にあった。いつも銀のブレスレットが輝いている。男だらけの汗臭い写真の中でそれは、妙に目を引いた。
「オレ、ブレスレットなんてつけてたのか?」
「ああ、それは霊枷だ」
「たまかせ?」
「お前の今の体は、あんまり力を使いすぎるとダメージを受けるらしい。だから力が必要ない時は、それで制御してるんだ。力の使えないお前には必要ないけどな」
「・・・すげえ大事そうにしてるよな」
写真の中の高耶は、左手首のブレスを右手で包み込み、胸に抱きこむような仕草をよく見せていた。枷というよりお守りのようだった。
「橘からのプレゼントらしいぞ。作ったのは中川だけど」
「直江からの?」
「ここだけの話だが・・・」
内緒話しをするように、高耶に顔を近付ける。
「実はこのブレスレットの内側にはな、メッセージが彫ってあるんだぜ。オレこっそり見ちゃったんだ」
「なんて彫ってあるんだ?」
「『Neverforget your own earth NtoT』。あなたの大地を忘れないようにってメッセージとイニシャルが彫ってあったんだ。あっそうか、Nは『直江』のNだったんだな。そうだよな〜『中川』のNの訳ないか」
「・・・キザなヤツ」
(イニシャル入りなんて、まるでエンゲージリングじゃねぇか)
それを大事そうにしている自分の姿に、なぜかとてもむかついた。仏頂面でページをめくってゆく。
直江と一緒に写る高耶は、いつもやわらかな表情を見せていた。卯太郎に見せるあからさまなものではなかったが、ほっと息をついた時のような、くつろいだ顔だった。直江の姿のない時も、時折そんな表情を見せる。その視線の先には、直江がいるのかもしれない。向かい合う席に、廊下の先に、人垣の奥に、窓の向こうに・・・フレームの外側に直江の気配を感じる。
直江を見つめる自分や、直江からプレゼントされたブレスレットを胸に抱きしめるようしている自分。それらを目にするたびに高耶の心の中に、またドロドロとした感情が渦巻き出す。
(400年の歴史のない自分と直江との間には築けない絆・・・か)
それはしかたがないことだ。未来の自分と比べて落ち込んでどうする。それはわかっているけれど・・・
今、このブレスレットが目の前にあったら、叩き壊してしまいそうだった。
2005.10.03 up写真見ただけで、これだけのことがわかるって・・・潮は天才カメラマンですね。そういうことにしといてください(汗)
美術2の高耶さんに、これほど読み取れる目があったかも、疑問が残るところです。
というか、ミラファンに今更いうまでもないコメント多数な気がします。
このアルバム編、コメディ路線でいくか、シリアス路線でいくか(できれば両方入れたかった)で悩んだんですが、
この先の展開の都合上、シリアスのみに絞り込みました。(面白写真を入れられなくて悔しい・・・期待してたらごめんなさい〜)
もっとさくっと削りたくてあがいてたんですが、そういうことは完結してから悩むことにします。
それにしても、何かを描写するって、難しいもんですね。今回一番頭を使ったかもしれません。
クサイ表現ありますが、ご勘弁ください。(これが限界です)