◆ 23 ◆
「っそぉ!くっそぉぉ!!」
景虎の首を取り損ねた伊達の指揮官は、怒りに震えていた。
もう、撤退すべき時だった。たった2人とはいえ高耶らに助けが来たということは、じきに大挙して他の仲間たちも駆けつけてくる可能性が高い。これ以上の深追いは危険だった。
しかし指揮官は、撤退の二文字を口にするのをためらう。
(今を逃せばこれほどのチャンスはもうないだろう)
無様に逃げるだけの高耶らの姿が指揮官の決断を迷わせていた。
(ここで景虎を討たずにいつ討つというのだ!)
あと一度だけ・・・最後にもう一度攻撃を仕掛けよう。それが失敗すれば撤退する。指揮官はギリギリの線を決めた。
「追えぇ!これが最後だ!次こそ必ず仕留めよ!!」
小動物を追う血に餓えた獣のように、伊達の侵入者らは高耶らを追跡する。その死力を尽くした走りに、高耶らは距離を一気に縮められてしまった。
「ひぃぃ〜〜!もう追いつきよったが!」
後ろを振り返った隊士が情けない悲鳴を上げる。
「逃げるが勝ちじゃぁ!」
「ダァァ〜〜ッシュ!!」
相変わらず無我夢中で逃げる情けない彼らの姿に煽られて、伊達の侵入者らは、がぜん勢いを増した。
あと少し・・・あと少し・・・!!
斜面を滑るように下り、彼らの背中に襲い掛かろうとしたその時、
「っ!!」
密生していた木々がぷっつりと途切れ、視界が開けた。指揮官は目を見開く。
円形の広場だった。そしてそこには・・・
「て、撤退!!」
その号令は一瞬遅かった。
部下たちは勢いのまま広場の中央部まで飛び出していた。それと同時に広場を囲む木々の間から無数の銃口が突き出す。
「ここへ誘い込む罠・・・だったのか・・・」
指揮官は広場の淵で立ち尽くしたまま、無念の声をもらした。
その背でカチリと硬質な音がする。
「両手を挙げろ」
彼らは一網打尽に捕らえられてしまった。
ペットボトルの水をあおり手の甲で拭う。冷たく冷えた水が干からびた体の隅々まで満ち渡るようだった。ふうーっと息をついた高耶は、次の瞬間盛大に顔をしかめた。
「痛ってーな!」
足の傷口に消毒液を派手に浴びせた男がいた。
「自業自得です。全くあなたは無茶ばかりして」
引きずられるように連れて行かれた木陰で、高耶は直江に傷の手当てをされていた。
「ったく、うっせーな」
手当て中ずっと聞かされる小言にうんざりした高耶は、ふいっと視線をそらすと広場の中央に目をやった。忙しく指示を飛ばす嶺次郎や、伊達の者たちを拘束する兵頭ら、そして怪我人の手当てに奔走する中川ら救護班などでごった返していた。
「痛てっ」
無視するのは許さないと言わんばかりに、今度は傷口に強くガーゼを押し当てられた。
「何すんだよてめぇ!」
「助けが来たからよかったものの、誰も来なかったらどうするつもりだったんですか!」
「だーかーらー、何のためにわざわざあの訓練ルートを辿っていってたんだと思うんだよ。あんなクソ道」
伊達の侵入者らには高耶らがただ闇雲に走っているように見えていたが、実はそれらの道はルートBという訓練コースだった。
「あの道順に痕跡を残してゆけば、お前か誰かが気づくと思ったんだよ。オレらの現在地とか、行き着く場所とか・・・」
「広場に敵を誘い込んで捕らえることをですか?」
森林の中に突然現れるこの広場は敵を袋の鼠にするのにもってこいの場所だった。そこだけ地盤沈下したような窪地にあるこの広場は、一旦足を踏み入れれば簡単には抜け出せない。逃げようとすれば斜面を登るしかないが、そこを登りきるまでに打ち落とされるのは明確だった。
「お前なら気付くと思っていた」
その言葉に直江は思わず怒気を削がれる。
「あなたのことですから、アジトと真逆に走ることに何か意味があるんだと思ったんですよ」
「おかげで無駄足にならずにすんだ」
ルートBは、あっちこっちに激しく蛇行する道で、敵を惑わすのには最適だった。しかしただ逃げるだけなら酔狂な道のりでしかない。
「サンキュ直江」
そう言って無邪気に笑う高耶に直江は苦笑するしかない。そんな風に笑顔を返されると怒るに怒れなかった。
「全く困った人だ・・・」
「さてと」
手当てを終えた高耶は立ち上がる。
「どこへ行くんですか?」
「あいつらの様子を見に行ってやんねぇと」
訓練メンバーの元へ向かう高耶のあとに直江も続いた。
「隊長!お疲れ様っす!」
高耶の姿を見つけて楢崎が駆け寄ってきた。
「作戦お見事でした!さすがっす。でも、こんな策があったんならオレにくらい教えといてくださいよ〜」
そう愚痴る楢崎に高耶はにんまりと笑う。
「敵を騙すにはまず味方からって言うだろ。みんなは大丈夫か?」
「一応、全員生きてるっす」
死屍累々といった様で地面に転がる仲間を見て、これじゃあどっちが勝ったかわかんねぇなと高耶は苦笑した。
その様子を、殺意をこめた眼差しで見つめる者たちがいた。
「よう、残念だったな」
そんな彼らに高耶は不敵な笑みを返す。
「ここへおびき寄せる為の演技だったのか・・・」
手に枷を付けられ捕虜の身となった伊達の侵入者らは、悔しさにうめいた。
「もちろんだ。なあ?」
そう言って仲間を振り返ると、屍状態だった彼らの口から「そうじゃそうじゃ!」と威勢の良い声が上がった。
「お前ら、名演技だったぞ」
わざとらしく真顔で褒める高耶にどっと笑いが起こる。
「弱いふりをするのもひと苦労じゃったわ」
「まっこと、まっこと」
喉元過ぎればなんとやら、隊士らは調子にのって軽口をたたき出す。
「いや〜それにしてもおまんの腰抜けっぷりは見事じゃったな」
「いやいや、おんしの泣き叫びっぷりには、わしもうっかり騙されるとこじゃったわ」
「いやいやいや、敵に命乞いまでしたおまんには敵わん。あそこまで己を捨てた演技はわしには無理じゃあ」
伊達の捕虜たちを前に、わいのわいのと悪態をつき合って盛り上がる。
「ったく、調子のいいやつらだ」
傍らで聞いていた潮が呆れた声で言う。
「しかし、伊達を惹きつけながらここまで走り切ったのは、なかなかのもんじゃ」
そう言ったのは嶺次郎だった。
「ようやった、おまんら」
ひとりひとりの顔を見ながら、満足げに言った。
「頭ぁ・・・」
事実はどうであれ結果的に成果を上げられた自分たちを嶺次郎が認めてくれた。いつもおちこぼれの烙印を押されていた者達は、その言葉に胸を熱くする。
「よし、今度からおまんらを囮班に任命する」
しかし、後に続いたこのセリフに悲鳴が沸き起こる。
「頭ぁ〜そりゃ勘弁しちょくれ!」
「もうこりごりじゃあ!!」
その反応に嶺次郎は、がははと笑った。高耶も声を上げて笑う。
「明日から倍走りこめよ囮班。俺は付き合わねぇけどがんばれ」
「そんなぁ、隊長ぉ〜」
「冗談でもやめちょくれ!」
「訓練はもういいが!」
さっきまでの威勢はどこへやら、隊士らは泣き言を口にする。
「でも、その訓練のおかげでこんな成果が出せたんですから、毎日がんばっててよかったですね。皆自信が付いたでしょう」
皆の応急処置を終えた中川が、医療品を片付けながら穏やかに微笑む。
「まあ、『ダテ』に毎日険しい山ん中を走ってねぇってことだ」
楢崎が胸を反らして言った。
「おっ楢崎、伊達相手にそれはシャレか?」
「うまいこと言うのぉ」
「シャレじゃなくて嫌味だろ」
潮がつっこむ。
「貴様ら・・・覚えていろ」
その屈辱的な会話に、伊達の捕虜たちは歯軋りをして怒りを堪えることしかできなかった。