◆ 25 ◆
直江は窓へと視線を向けた。
雨が降り出してきたようだ。それは瞬く間にスコールのような激しさに変わり、無数の水滴が窓を叩く。風景をかき消すほどの雨だった。 直江は医務室の薄いカーテンを引くと、ベッドへと視線を戻した。そこには高耶がいた。激しい雨音にも目覚める気配は無く、穏やかな寝息をたてて眠っている。 「高耶さん……」 白いカーテンと白いベッド、そしてそこに眠る彼……あの霧の山荘に戻ってきたようだった。 直江は高耶の手を握り締める。 「高耶さん……」 日に焼けた肌。鍛えられた鋼のようなしなやかな手足。山荘での彼よりも、ずっと健康そうに見える。だが、握った手から伝わるのは壊れかけた魂の悲鳴だった。 直江は、祈るように高耶の手を握り締めた。 「明りくらい付けろよ。暗いとこにいると気持ちも暗くなるぞ」 パチパチという音がしたかと思うと、薄暗かった医務室は、煌々とした明りに照らされる。いつのまにか、すっかり日が暮れていた。 「仰木は?まだ寝っぱなしか?」 缶コーヒーを3つ抱えた潮は、よいしょと、足で丸イスを引き寄せて高耶の枕元に腰掛ける。 「静かにしろ。急に力を使ったから体に負担がいっている。自然に目覚めるまで眠らせておく。明かりも消せ」 「えー、それじゃあ仰木の寝顔が見えねぇだろ……って冗談だ冗談。マジに怒んなって。こんだけ熟睡してりゃ電気つけてても大丈夫だろ」 眉間に皺をよせる直江に、潮はコーヒーを渡した。 「これ飲んで、ちょっとはリラックスしろよ。今にも手首切りそうなツラしてたぞ」 潮は強引に缶を握らせると、「これは仰木の分な」と、もうひとつをサイドテーブルに置いた。そこにはすでに、菓子やらパンやらビールやら、いろんなものがこんもりと置かれている。見舞い客が置いていったようだ。 「ところでお前、怪我は大丈夫なのか?いまさらだけど」 コーヒー缶のプルトップを開けながら、潮は思い出したように言った。 「大したことはない」 「出血しすぎて気を失ってたくせに?」 呆れたように潮が言うと、 「単なる脳震盪だ」 苦々しげに直江は言った。 あの時、伊達の念に真っ向から念をぶつけた直江は、不覚にも念同士がぶつかり合ってできた衝撃波をまともにくらってしまい、意識を飛ばしてしまったのだった。 「脳震盪?!はぁ〜、人騒がせなやつだなぁ」 直江は憮然とした表情で黙り込む。 「傷は?出血ひどかっただろ。バッサリ深くやられたんじゃないのか?」 潮は改めて直江を見た。あのまま着替えすらしていないようで、全身に砂や泥や血痕をこびり付かせたままだった。熱風に煽られた髪もバサバサで整えた様子もない。袖が破れ、剥き出しになった左腕にまかれた包帯だけが、蛍光灯の元で白く輝いていた。 「そんなに深くはない。さっき中川に縫ってもらった。心配は無用だ」 「そりゃよかった。お前が重症だったら、目覚めた仰木がまた爆発しかねないからな。でも、お前もボロボロなんだから早く休めよ」 よく見ると、出血のせいか顔色も悪いようだ。 「あ〜、コーヒーじゃなしにレバーかほうれん草かプルーンを持ってくるべきだったか」 隣でブツブツと、健康食材の知識を披露する潮を無視して、直江は高耶の寝顔を見つめる。これだけ潮が騒いでいてもピクリとも反応しない。眠りはかなり深そうだった。 「仰木、起きたら記憶戻ってるかな……せめて力だけでも戻ってるといいよな」 ポツリと潮が言った。 広場での力の発揮は、怒りによる一時的なものかもしれない。またいつ狙われるかもわからない高耶には、記憶が無理でもせめて自分の身を護れるだけの力は取り戻しておいて欲しい。 「記憶は無理だろうな」 「え?」 「あの後、一瞬目を覚ましたが、記憶が戻っているようには見えなかった」 広場からアジトに戻る途中、高耶はよほど喉が渇いていたのか、うわ言で水を求め、一瞬目を開けた。その瞳に上杉景虎の気配は全く感じなかったと直江は言う。 「そっか……」 「お前には感謝している」 唐突に直江が言った。 「……はぁ?」 潮は、顔を上げてまじまじと直江を見る。 「犠牲者が出なかったのは、お前のおかげだ」 高耶の力の暴走によって多数の負傷者が出たものの、憑坐も含めて一人の犠牲者もでなかったのは潮のおかげだった。 広場が炎に包まれた時、潮は近くの水脈から引っぱってきた水で消火に尽力した。また、意識を失って倒れた者や、伊達の者に憑依を解かれて転がっていた憑坐の体が焼けないように、水をかけて必死に守ったのも彼だった。 「何を突然。お前に褒められると、なんか気色悪いなぁ」 当たり前のことをしただけだと、潮は照れくさそうに頭を掻く。 「お前だって活躍してただろ。怪我してるくせに伊達のやつを尋問したりさ。それにしてもあの仰木の攻撃食らって生き残ってるやつがいたとはなぁ」 伊達に使われていた憑坐の中に1名、まだ憑依を解かれていない者がいることがわかったのは、負傷者の救護がようやく完了しようというときだった。 その伊達の生き残りを捕らえて連行しようとしたのを止め、まだ意識が朦朧としていたその男に暗示をかけて、伊達が今『国崩し破壊計画』を企んでいるという情報を吐かせたのは直江だった。(奪うのが難しいなら、壊してしまえということらしい)幸運なことに、この男も国崩し破壊計画の実行メンバーのひとりであった為、計画の内容すべてを、直江に聞かれるがままにペラペラとしゃべってくれた。 「生き残っていてくれたのは、本当に幸運だった」 直江は手の中の缶を握り締める。 「まあな。情報をしぼりとれたし、今回の礼もできそうだ。捕虜を解放させたお前の機転のおかげだな」 必要な情報を聞き出すと、直江は男を解放した。この情報がこちらに漏れていないということを仲間のもとで証言させて、あちらを罠にかけるためだ。 生き残ったのは自分ひとりであり、捕虜にとらわれた者がいないこと。ゆえに情報が漏れることはないこと。それらを証言するように強く暗示をかけ直し、帰らせた。きっと彼は、仲間のもとで直江のシナリオ通りに嘘の証言をしていることだろう。そして、上杉景虎不調の報は全くの誤報であることも、体験した恐怖のままに語ってくれるだろう。このことは暗示をかける必要もなかった。 「……何だ?」 直江は潮に視線をやる。先ほどから潮は、不思議そうな顔をして直江を見ている。 「いや、なんかさ……お前も赤鯨衆の仲間らしくなってきたなと思ってさ。前なら、気を失ってる仰木のそばを1歩も離れようとしなかっただろう?しかも自分も怪我してるってのに、怪我人の手当て手伝ったり、伊達のやつから情報引き出したり」 「この人の苦しみを、少しでも軽くしたかっただけだ」 直江は、ベッドに視線を落とす。 「あ……」 潮はやっと意味がわかった。 直江は、高耶の頬をそっとなでた。眠りから目覚めた時、彼を襲うのは仲間を傷つけてしまった罪悪感だろう。 「怪我人だけで済んで、本当によかった」 感謝すると、直江はもう一度言った。 |
日記に書いてた分を、修正してUPしました。 修正箇所:高耶さんが、一度目を覚ましたこと。そしてその時の様子から「記憶がまだ戻ってないようだ」という直江の証言を加えました。 2006.07.09 up |