◆ 27 ◆
「力を引き出すのが目的だったのか」
最後に入った中川が、ドアを閉めると同時に直江は嶺次郎に詰め寄った。 「伊達の者が潜んでいることを知った上で、彼を無防備にさせて試したのか」 「時間がないんじゃ」 大きくひとつ息をついた嶺次郎は、吐き捨てるように言った。先ほどまでのひょうひょうとした表情は消えている。 「嘉田さん……」 中川は、苦しげに顔を歪ませた。 もしかしたらという疑念が無かったわけではない。状況が出来すぎていた。 しかし、直江のように怒ることはできなかった。 赤鯨衆の大きな柱の1つを失いかけている嶺次郎の、焦りや不安が理解できるだけに、責めることもできずに言葉を詰まらせる。 「宇和島決戦には仰木の力が必要じゃ。いつまでも遊ばせておくわけにはいかん」 「一歩間違えれば彼を失うところだったんだぞ!」 もし高耶が殺されていたら、そしてその場に直江がいなければ、無力な現代人同様である今の彼は、換生もできずに浄化してしまっていただろう。それを想像すると気が狂いそうだった。 「仰木高耶っちゅう男は、そんなやわな男か?」 嶺次郎は、ひたりと直江を見返して言った。 「おんし、元主君をずいぶん見くびっちゅうな」 直江の頭にカッと血が上る。 「今の彼は、貴様らの知っている仰木隊長ではない!」 「いや同じじゃ!今日の戦略は見事じゃった。無力な状態にもかかわらず、逃げるだけではなく敵を一網打尽に捕らえることまで仰木は考えちょった」 もし敵を取り逃がしていたら、上杉景虎不調の報は真実だったと向こうに知られることになる。そしてそれは、赤鯨衆の命取りになりかねない。 それを高耶が自力で防いだことは嶺次郎にとって想定外の功績だった。伊達の者を生きて帰らせぬ為に嶺次郎は密かに包囲網を配しておいたのだが、そんな必要はどこにもなかった。 「記憶は無くともあやつは戦を知っちょる。勝利する力をもっちょる。このまま記憶が戻らんでもかまわん。明日から仰木を通常通りに扱うことにした。軍議やミーティングにも入ってもらう。……もちろん宇和島攻めにもじゃ」 「何だと!」 直江は目を剥いた。 「記憶か力、どちらかひとつでも取り戻してからでないと、宇和島に連れていくのは反対です。広場で爆発した仰木さんの力は一時的なものかもしれません。まだ様子を見てから……」 黙って見守っていた中川も思わず口を出した。それを嶺次郎は「わかっている」と言う風に頷いて中川の言葉を遮る。 「力っちゅうもんは、おのれ一人が持っちょる力をゆうもんじゃない。どれだけの力を動かせるかじゃ。仰木は、おのれに力が無くとも仲間から力を引き出す術をもっちょる」 今回の件でそれを証明してみせたと、嶺次郎は言う。 「仰木は、あの折り紙つきの腰抜けどもから闘争心を引き出しよった。しかも、あやつらの臆病ささえも伊達を罠にかけるエサに利用しちょる。まっことしたたかな男じゃ。こがいな奴に心配は無用じゃ。今も仰木は強い」 それを聞く直江は、依然厳しい表情のままだった。口にせずとも、その顔は明らかにNOと言っている。 そんな彼に、嶺次郎は挑発するように言い加えた。 「そがいに心配なら、何が何でも宇和島までに記憶と力を取り戻させることじゃ。どんな手段を使ってもな」 「貴様のようにか」 直江はギラついた目で嶺次郎を射る。 それを嶺次郎は鼻で笑って返した。 「おまんの過保護は仰木を腐らせる」 「橘さん!!」 直江は嶺次郎を殴り倒した。 嶺次郎は、衝撃で壁に叩きつけられる。 「嘉田さん……!」 「いちちち……いいパンチしちょるわ」 中川の手を断って、嶺次郎は手の甲で鼻血を拭うと、何事もなかったかのように起き上がる。 「しかし、首領を殴るとは、いい度胸じゃな」 「今度あの人を傷つけてみろ、嘉田嶺次郎。この世であらんかぎりの恐怖と絶望を味あわせてやる」 地を這う声で呪詛の言葉を吐き捨てると、直江は荒々しくドアを開けて出て行った。 「仰木の力無しで伊達に勝つのは、難しいじゃろうな」 直江が出て行ったあと、嶺次郎はどさりとベッドに腰を下ろし、雨音に消えそうな声でつぶやいた。 「嘉田さん……」 高耶不在は敗北に近付く大きな要素だ。記憶喪失の報を受けてからずっと、誰にも言えない不安を抱えていたのだろう。 しかし、首領である嶺次郎が不安や焦燥を顔に出すわけにはいかない。嶺次郎が大らかに構えているからこそ、隊士らは高耶のこの状態を知っていても、なんとかなる、大丈夫だと信じることができるからだ。 上に立つ者の苦しみがそこにはあった。 「嘉田さん、すぐに冷やした方がよかです」 中川が濡れたタオルを差し出す。殴られた頬が赤く腫れている。明日は青痣に変わっているだろう。 「……仰木さんを宇和島に連れて行くというのは、本気ですか」 「なんじゃ。おまんもわしを責めるのか」 渡されたタオルを握り締めたまま、視線も上げずに嶺次郎が言った。 「いいえ」 責めているのではないと中川は首を振る。 「ただ……嘉田さんの言い分もわかりますが、主治医の立場から言わせてもらえば、やはり賛成はしかねます。先ほども言いましたが、記憶か力、どちらかひとつでも取り戻してからでないと」 「仰木は広場であれだけ力を出せたんじゃ。普段は無理でも、いざ戦となれば力を発揮してくれるじゃろう」 「あれは、橘さんが倒れて逆上したからです。山の中を逃げ回っていた時には、たとえ自分の身が危うくなっても、力の欠片も出せなかったと、訓練メンバーたちは言っています。そんなコントロールの効かない状態で戦に連れていくのは危険です。……目覚めたら元に戻っていればいいのですが」 嶺次郎はベッドから腰を上げて窓辺に寄った。カーテンの隙間から、闇と雨の混ざる世界を見下ろす。 「まあ、まずは仰木が目を覚ましてからじゃな。今ここで何を言っても所詮想像の内じゃ。もっとも、力が戻らなくても宇和島に連れて行くと決めちょるが」 「嘉田さん!」 「わしは仰木を信じちょる」 嶺次郎は振り返って中川を見る。その瞳には、子供のような純粋さがあった。 「仰木がわしの期待を裏切ったことは一度もない」 「ですが……」 「なあに、橘の危機しか力が出せんちゅうなら、橘を舳先にくくり付けるまでじゃ。無敵の船になるぞ」 「やめてください。船ごと自爆します」 そう言う中川に、嶺次郎は声を出して笑った。不安の影を追い払うかのように、大声で笑った。 |
はじめに立てたプロットでは、高耶さんらが伊達に襲われたのは、すべて偶然だということにしてたのですが、我ながらあまりにも出来すぎていたので、途中から嶺次郎の企みに変更しました。 おかげで説得力が出てよかったです。 2006.07.09 up |