◆ 4 ◆「大丈夫ですか?どこか具合が悪いのですか?」
食堂で、仰木隊長が青い顔をして医務室に連れて行かれたという話を耳にした直江は、朝食もそのままに医務室へと飛んで来た次第である。
見たところ、高耶にこれといって怪我や病の気配はない。ほっと息をついた直江に、高耶の手がのばされた。
「直江」
「どうしましたか?」
すがるように伸ばされた彼の手を、しっかりと握り締める。
「直江・・・オレ・・・」
「?」
人前では、直江のことを頑なに『橘』の方の名で呼ぶ彼が、ごく自然に『直江』と呼んでくるのを不可解に思ったのか、直江は怪訝な顔をした。
「どうしたんです?どこか苦しいのですか?!熱は・・・」
呼び名に気が回らないほど高耶の具合が悪いと思ったのだろう。直江は、彼の額に手を当てる。
「熱は無いようですが・・・」
熱が無いとわかると、直江はその手を寝癖のついたままの彼の髪へと滑らせ、そっと撫で上げた。気持ちよさそうな表情をした高耶と目が合う。
「よかった・・・お前がいて」
安堵のため息とともに、そうつぶやく高耶に、直江は目を見開いた。
---彼のこんなに素直で無防備な表情は、彼が影虎の記憶を取り戻してからは一度も見たことがない。
「仰木・・・隊長・・・」
「へ?タイチョウ?」
なんじゃそりゃと、高耶は首を傾げる。その仕草や口調も、昨日までの彼のものとはまるでちがっていた。
「・・・どうしたんですか?」
直江は、改めて尋ねた。
「あ〜なんかさ・・・記憶が・・・ねーみたいなんだ」
高耶の視線が不安げに床を彷徨う。
「記憶?」
「あ、言っとくけど、400年前の景虎の記憶とかいうのじゃなくて、いや、それもねーんだけどさ、なんか・・・オレ、4年分の記憶も失ったみてぇ・・・」
高耶の声が徐々に小さくなっていった。
「4年分の記憶?」
こくんと高耶は小さく頷き、そのまま無言で俯いてしまった。
「16歳までの記憶しかないそうです」
さきほどまでふたりの世界を作っていた直江と高耶を、一体どうしたものかと傍観していた中川が、無言の高耶に代わって説明を繋いだ。
「・・・それは本当か?」
「今日は、エイプリルフールでもないしなぁ」
7月のカレンダーを眺めて潮が言う。
「そもそも仰木さんはこんな冗談を言う人じゃありませんし」
中川も困ったように言った。
と、その時突然、潮は真剣な表情で高耶を真っ向から見つめて言った。
「仰木」
「な、なんだよ」
「冗談なら、いますぐ謝ればあの『おっさん』発言は無かったことにしてやるぞ」
結構気にしているらしい。
「冗談なんかじゃねえっつってるだろ!」
「冗談だって」
怒る高耶の頭にぽんと手を置いて、やっぱダメかと潮は今日何度目かわからないため息をついた。
「この通り、今朝いきなり記憶喪失になっちまったみたいでさ、この4年間の記憶が全くないらしい」
高耶は頭に乗っている潮の手を、冷たく払い除けた。潮は寂しげに高耶を見つめる。
「俺らのことも全く覚えてねーって言うんだよ・・・・お前のことは覚えてるみたいだけどな」
潮は直江をちらりと見た。
「本当に・・・何も覚えてないのですか?」
直江は高耶を真正面から見つめて言った。
「・・・昨日の晩、オレは自分の布団で寝てたはずなんだ・・・なのに、起きたら、あれから4年も経ってるって言われて・・・」
「高耶さん」
「ここ・・・どこなんだ?・・・オレはここで何をしてるんだ?!この4年間に何が起こったのか教えてくれ!!直江!!」
高耶は、直江の腕にしがみついて言った。これしか頼れるものがないというように。
「大丈夫です、高耶さん。何も心配いりません。私がついていますから・・・あなたのことは、私がすべて知っていますから・・・」
だから安心してくださいと、不安に駆られる高耶を引き寄せ、あやすようにその背を優しく叩く。しがみついてきている彼の手から、段々と力が抜けてくるのがわかった。
少しして、高耶が顔を上げた。
「直江・・・」
「落ち着きましたか?」
高耶は、こくりと頷く。
「悪ぃ・・・オレ、なんかガキみてぇに・・・」
取り乱して失態を見せてしまったことに気付き、高耶は決まり悪げに言葉をにごす。
「いいえ。こんな状況になったら、誰でもパニックになりますよ」
そう言って、微笑む直江に高耶は安堵する。
(まるで猛獣使いだな)
その様子を見ていた潮は、苦笑するしかなかった。
さっきまで牙を剥いていた獣が、今は猫のように大人しくなっている。
(これが仰木の『ナオエ』か・・・)
400年前、上杉謙信から怨霊を葬る力を授かった上杉の夜叉衆の一人にして、元総大将、『直江信綱』。
おそらくそれが橘の正体なんだろう。
驚きよりも、やっぱりという気持ちの方が大きかった。
中川にも驚いている様子はない。彼も薄々気がついていたようだ。
「ところで記憶はどこまであるのですか?」
この4年間のことを説明する前にと、直江が高耶に質問する。
「16・・・もうすぐ17になることだった。中間テストが始まる直前で・・・あ!昨日お前から電話があった!!」
「私から?」
「そ、仙台に行けっつって、テストは休んで来いっつう、てめぇ勝手な電話だ」
(あの日か・・・)
直江は記憶を辿る。
「ということは・・・今のあなたは、あの頃のあなたと思えばいいのですね?『景虎』の記憶もまだ無い、普通の高校生だったあなたと」
平凡で穏やかな未来を信じていたあの頃の・・・
「そう思うけど」
そう言って高耶は、今直江が言った言葉を頭の中で反芻する。
「なあ、今のオレって・・・景虎の記憶とかって思い出してんのか?」
「ええ・・・すべて思い出していました。力も使えます」
調伏力は失いましたが・・・という最後の言葉は飲み込んで、直江は言った。
それを聞いて、高耶は複雑そうな顔をする。4年前の高耶には、自分が『上杉景虎』である自覚はほとんど無い。人違いではないかとさえ思うこともあった。
「なんか・・・信じらんねぇな・・・オレも力使って石とか動かしたりできるんだ?」
「石どころか岩動かしてたぞお前」
「武藤」
余計なことは言うなと、直江が目で制す。
「高耶さん、とりあえずあなたの部屋へ行きましょう。そこで説明します。ここは人が出入りしますから」
「わかった」
それでいいな?と中川らに目配せして、直江は高耶を廊下へと促す。
----このことはまだ誰にも言うな。嶺次郎にだけ知らせろ。
すれ違いざま直江は中川に耳打ちした。
「わかりました」と頷く中川を確認して、直江は数歩先の高耶を追った。
その彼の背に、もうひとつ言葉がかけられる。
「あなたを信用しています」
直江は高耶と共に退室していった。
2004.12.22 up一月以上お待たせしてました。(汗)以前の話を覚えておいででしょうか・・・てか待ってる人いるのか・・・
にしても、本題に入るまでが長い。スピードアップさせねば。(もう冬だよ)年末追い上げ予定。(たぶん)