4年後のバースディ 8



 ◆      8      ◆ 


 高耶が食堂へと一歩足を踏み入れた瞬間、さっとまわりの視線が集中した。
 ぎょっとなった高耶に反して、楢崎はいつものことだと気にせずカウンターへと向かう。
 無数の視線にさらされた高耶は、緊張ぎみに足をすすめながら、ともかく直江の姿を探すが見つからない。ここにはいないようだった。もし居れば間違いなく飛んでくるだろう。
(全くどこほっつき歩いてんだよバカ野郎!)
 心の中で悪態をつきながら、高耶はため息をついた。その様子を見てか、まわりの隊士らから心配そうな声がかけられる。
「体の具合は大丈夫ですか?」
 筋肉隆々とした厳つい男が言う。
「隊長は無理しすぎじゃ!」
 そう言ったのは、脱色した髪の今風の若者。
「そげな顔色して、ちゃんと寝ちゅうか?」
 高耶の父親のような歳の男もいる。
 そんな年も見た目も多種多様な彼らに共通するのは、その高耶を見つめる目に、親しみや尊敬、憧れといった色が浮かんでいることだった。高耶が想像していたよりも、ここでの自分の存在は大きなものらしかった。
(まあ、冥界上杉軍の総大将『上杉景虎』なら当然ってやつか・・・)
 高耶は一瞬そう思ったが、ふと、先ほど部屋で聞いた話を思い出して訂正した。
 直江は、仰木高耶の正体が上杉景虎だと知ってるのは幹部の一部だけだと言っていた。誤解や混乱を避けるために正体を明かさず、一隊士として入隊したんだと。それにもかかわらず、これだけの人望を集めている。
 高耶は、話し掛けてくる隊士らに生返事を返しながら、これが『上杉景虎』の実力ってやつだろうかと思った。
(これが景虎の記憶を取り戻した4年後の自分か・・・今のオレとは大違いだな)
 とたん、高耶は居心地の悪さを感じた。ひどく場違いなところに立っている気がする。
 高耶は無意識に、あの男の姿を求めて食堂内に視線を彷徨わせた。


「誰か探してるんすか?」
 カウンターに並んだおかずをトレイに乗せながら楢崎は尋ねる。さきほどから食堂の入り口あたりを高耶は、しきりに気にしていた。
「いや・・・いねぇみたいだから。先に食おう」
 高耶は小さくため息をつき、手元に視線を戻す。ボリュームのあるエビフライ定食を選ぶと、さっさと隅の方にあるテーブルに移動した。その隣に、みんなの羨望の眼差しを受けながら自慢げに楢崎が座る。
「なんか今日は人が多いっすね〜朝メシには遅めの時間なのに。何かあったんすかね」
「さあな」
 無関心にそう言って、高耶はフライにかぶりついた。
 まずは腹ごしらえだ。それから直江を探して、怒鳴りつけてやって、詫びに海に連れていかせよう。そんな計画を考えながら、思っていたよりも美味しい朝食を味わう。だが、一口目を咀嚼する前に、それは次なる人物によって妨害されることになった。
「仰木隊長!」
 声の方へ視線だけ向けると、入り口から一直線にこちらへ向かってくる黒い服の男の姿が目に入る。だがそれは直江ではない。髪を後ろに撫でつけ切れ長の目をした、刃物のような気を纏う男・・・兵頭隼人だった。その背後に堂森ら数人を率いている。
 あきらかに何か用事があるといった彼らの様子に、高耶は身構えた。
「体の具合は、もういいんですか?」
 言葉とは裏腹に心配してる様子など微塵もない様子で兵頭は言った。油断できない男だと、高耶は直感的にそう思う。
「もう聞いているかと思いますが、先ほど嘉田から会議の開始時間が遅れると連絡がありました。何か、トラブルがあったようです」
 そのトラブルの原因が高耶とも知らず、兵頭は言った。
「15分後に始まります。出席できますね?」
 それは質問というより確認だった。なぜなら、食堂へ朝食を食べに出てこられるくらいに回復した仕事の鬼である四万十軍団長仰木高耶が、このあとの重要な会議をサボるなんてことは、天と地がひっくり返ってもありえない出来事だったからだ。
 だが、そのありえないことが起こった。
「いや、欠席する」
 兵頭が固まった。
「まだ本調子じゃねーんだ。詳しいことは、直江か、え〜と、中川か武藤ってやつに聞いてくれ」
 そう言って、硬直したままの兵頭を尻目に高耶は食事を再開させた。
「・・・そんなに具合が悪いんですか?」
 ガツガツとご飯をかっ込む高耶を見つめながら、兵頭は氷点下の声で聞く。
「悪ぃけど、オレに聞かれても何もわかんねーからさ。会議に出ても意味わかんねぇだろうし」
 他人事のように言って、味噌汁をずずっとすする。みるみる険しくなっていく兵頭の表情にもお構いなしだった。
「・・・何見てんだよ。用が済んだらさっさと行けよ」
 高耶は、いつまでも立ち去ろうとしない兵頭らを見上げて不機嫌そうに言った。そのほっぺたにはご飯粒がついている。そこには軍団長の威厳などかけらもなく、単なる生意気な小僧以外の何者でもなかった。
 


ほっぺたにご飯粒をつけた高耶さん

「兵頭さん・・・」
 不穏なオーラを漂わせ始めた兵頭の隣で堂森が困惑した声を出す。
「堂森、拘束しろ」
 兵頭が地を這うような声で言った。
「は?」
「こいつを拘束しろと言っている!」
 堂森は目を瞬かせた。兵頭が指差した先には、目を剥いた高耶がいる。
「なっ、何を言うちょ・・・」
「憑依じゃ」
「え・・・?」
「隊長は何者かに憑依され操られちゅう!拘束せい!」
 それまで固唾を飲んで見守っていたまわりの隊士らから、どよめきが起こる。渦中の高耶はといえば、あんぐりと口を開けて固まってしまった。
「なるほど!さすがはお頭じゃ!」
「そうじゃ!隊長はこないなこと言わん!」
「わーかーほりっくっちゅうやつじゃからな」
「それに、こやつには威厳のかけらも見えん」
「おまんよくも隊長に取り憑きよったな!」
「今すぐ出て行け!」
 兵頭の迷推理に納得した隊士らは、茫然と箸を握ったままの高耶をあっという間に包囲した。
(冗談じゃねぇ!!)
 我に返った高耶は、椅子を蹴って立ち上がる。
「さっきから何ざけたこと言ってやがる!!オレは・・・」
「黙れ憑依霊!」
「それはてめーらだろ!!」
「こんのならず者めが!どこの手の者じゃ!」
「どこの者でもねぇ!オレは仰木高耶だ!!」
「ほがなことあるか!」
 高耶が何を言っても耳に入らない尋常じゃない彼らの様子に、高耶は大変な事態に陥ってしまったことを知った。見回すと、さきほどまで隣で笑っていた楢崎も彼らに加わっている。まさに四面楚歌だった。
「ひっ捕らえろ!」
「!!」
 いくつもの手が、高耶を捕らえようと乱暴に伸びてきた。
「なにす・・・やめろ!!」
 絡みつくそれらを跳ね除けながら、高耶はこの場から逃れようと滅茶苦茶にあばれる。
「このやろう!!」
 殴り、蹴り、ひっかき、噛み付き・・・あらゆる抵抗を試みる。だがそこは多勢に無勢、力が使えない今の高耶はあっさりと取り抑えられてしまった。
「ってーなぁ!放せよクソ・・・直江を呼べ!!」
 後ろから羽交い絞めにされた状態で高耶が顔を上げると、兵頭と目が合った。
 高耶は顔色を失う。兵頭の手には信じられないものが握られていた。
「おい・・・」
 高耶の声がかすれた。兵頭の手にあるそれは銃のように見える。----念ライフルだった。
(オレを殺す気なのか?!)
 背中に冷たい汗が流れる。
「兵頭さん!隊長まで傷ついたら・・・」
「大丈夫じゃ。隊長ならこれしきのことで死んだりせん」
 まわりから上がった静止の声も、高耶を助けることはない。
 高耶が換生者であり、上杉景虎であることを知っている兵頭は、手加減などする気は全くなかった。今の彼の肉体に、執着もない。ただあるのは怒りだった。
(蜂の巣にしてでも、この憑依霊を撃ち殺す!)
 兵頭にとって、己が白紐束を渡した男がどこぞの憑依霊に操られることは、許されざることだった。
 蒼白の高耶を冷徹に見つめながら、兵頭はゆっくりとライフルを構える。いや、それは素早い動きだったかもしれない。ただ高耶には、それがスローモーションのように見えた。
「覚悟せい」
「待て!!」
 2つの声が重なった。その瞬間、高耶の顔が安堵にゆがむ。
 待ちに待った男の姿がそこにあった。
「直江・・・!」
「高耶さん!無事でしたか?!」
 直江が人垣を掻き分けながら高耶に駆け寄る。
「堂森、その人を放せ」
「離すな堂森!どういうことじゃ橘。さては貴様の差し金か!」
「兵頭、お前もその物騒なものを下げろ!」
 兵頭は、高耶から銃口を外そうとはしない。直江は怒りに震えた。
「己の上官に銃口を向けるとはいい度胸だな兵頭」
「こやつは仰木隊長などではない」
「彼は、まちがいなく『仰木高耶』だ」
「単なる青臭い小僧にしか見えん」
 直江は、ふっと不遜な笑みをもらす。
「お前は、隊長のほんの一面しか知らないからな」
「なんじゃと!」
「理由は後で説明する。嘉田や中川も承知のことだ。恥をかきたくなければ、今すぐそれを仕舞え」
「・・・・・」
 兵頭は直江を睨みつけたまま、やっとライフルを下ろした。それと同時に高耶も解放される。
「大丈夫ですか?」
「お前・・・どこいってやがった!おせーよ!」
 まだ体の震えが止まらない。
「申し訳ありません。でもなぜ、あなたはこんなとこにいるんですか?!」
「腹減って我慢できなかったんだよ」
「だからって、勝手に出歩かないでください!どれだけ心配したか・・・」
 嘉田のところで思ったより時間をとってしまっていた直江は、きっと高耶は焦れているだろうと、一度彼の部屋へ戻ったのだが、そこに高耶の姿は無かった。一気に青ざめた直江は、トイレからロビーから手当たり次第探しながら、ここまで駆けてきたという訳だった。
「無事でよかった・・・」
「ったく、殺されるとこだったんだぞ!なんてとこだよここは!」
「怖い目に合わせてしまいましたね・・・」
 直江は、暴れて乱れた高耶の服を整えてやる。
「とりあえず、部屋へ戻りましょう」
 そう言って、高耶をエスコートし、さっさとこのやっかいな場を離れようとした。
 だがそうは問屋がおろさなかった。
「橘。どういうことじゃ。説明しろ」
 再会を喜ぶ2人の背中に、怒気を含んだ兵頭の声がかかる。直江は、ちらりと視線だけよこして答えた。
「あとで説明する」
「今説明せい!その男が仰木隊長本人であるという証拠をみせろ。でなければ、皆も納得せん」
 そうだな?と、混乱している隊士らに兵頭が視線で問うと、彼らは、はっと我にかえったように再び罵声を口にしだした。
「そうじゃ!」
「おまんもグルじゃないとは言い切れんが!」
「証拠を見せろ!」
「おまんもスパイか!」
 2人を逃がせまいと、食堂の入り口を塞がれる。
「直江・・・」
「大丈夫です」
 安心させるように、高耶の背を軽く叩く。
(やっかいなことになったな)
 この赤鯨衆内での信頼の厚さは、直江よりも兵頭の方が上だ。直江のあいまいな説明で納得してくれそうもなかった。
(だからといって、一般の隊士らもいるここで、「仰木隊長は記憶喪失だ」などとバラす訳にはいかない)
 直江の眉間にしわがよる。
「仰木隊長」
 高耶を挑戦的に見据えながら兵頭が言った。
「昨夜のミーティングで話した内容を覚えていますか?それを覚えているなら、ひとまず信用します」
「彼は今、普通の状態じゃない。早急な治療が必要だ。お前らにつきあっている暇などない」
「おまんには聞いちょらん」
 兵頭は直江から高耶に視線を移し、はき捨てるように言った。
「この偽者めが」
「誰が偽者だ!」
「じゃあ、なぜ答えん。昨日の今日で覚えとらんわけがないじゃろう!」
「黙れ兵頭!」
「んなもん覚えてねー!」
「高耶さん!!」
 直江が止める間もなかった。
「記憶が無いんだよ!4年間の記憶が!朝起きたらそうなってたんだよ!」
 その声は、食堂中に響き渡った。
 直江は思わず頭を抱える。
 この衝撃の事実が、アジトの隅々まで行き渡るのは時間の問題だった。



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お詫びと訂正。孔雀のあとも、コドク薬はまだ必要でした。量が減っただけだと原作に書かれてありましたね・・・
中川先生のセリフ、もう一度修正しときます。他にもうっかりな点あれば教えてください。そしたら感謝します。(それだけ?)
とりあえず、祝・今週のノルマ達成v
2005.4.24 up