「兵頭さん・・・」
不穏なオーラを漂わせ始めた兵頭の隣で堂森が困惑した声を出す。
「堂森、拘束しろ」
兵頭が地を這うような声で言った。
「は?」
「こいつを拘束しろと言っている!」
堂森は目を瞬かせた。兵頭が指差した先には、目を剥いた高耶がいる。
「なっ、何を言うちょ・・・」
「憑依じゃ」
「え・・・?」
「隊長は何者かに憑依され操られちゅう!拘束せい!」
それまで固唾を飲んで見守っていたまわりの隊士らから、どよめきが起こる。渦中の高耶はといえば、あんぐりと口を開けて固まってしまった。
「なるほど!さすがはお頭じゃ!」
「そうじゃ!隊長はこないなこと言わん!」
「わーかーほりっくっちゅうやつじゃからな」
「それに、こやつには威厳のかけらも見えん」
「おまんよくも隊長に取り憑きよったな!」
「今すぐ出て行け!」
兵頭の迷推理に納得した隊士らは、茫然と箸を握ったままの高耶をあっという間に包囲した。
(冗談じゃねぇ!!)
我に返った高耶は、椅子を蹴って立ち上がる。
「さっきから何ざけたこと言ってやがる!!オレは・・・」
「黙れ憑依霊!」
「それはてめーらだろ!!」
「こんのならず者めが!どこの手の者じゃ!」
「どこの者でもねぇ!オレは仰木高耶だ!!」
「ほがなことあるか!」
高耶が何を言っても耳に入らない尋常じゃない彼らの様子に、高耶は大変な事態に陥ってしまったことを知った。見回すと、さきほどまで隣で笑っていた楢崎も彼らに加わっている。まさに四面楚歌だった。
「ひっ捕らえろ!」
「!!」
いくつもの手が、高耶を捕らえようと乱暴に伸びてきた。
「なにす・・・やめろ!!」
絡みつくそれらを跳ね除けながら、高耶はこの場から逃れようと滅茶苦茶にあばれる。
「このやろう!!」
殴り、蹴り、ひっかき、噛み付き・・・あらゆる抵抗を試みる。だがそこは多勢に無勢、力が使えない今の高耶はあっさりと取り抑えられてしまった。
「ってーなぁ!放せよクソ・・・直江を呼べ!!」
後ろから羽交い絞めにされた状態で高耶が顔を上げると、兵頭と目が合った。
高耶は顔色を失う。兵頭の手には信じられないものが握られていた。
「おい・・・」
高耶の声がかすれた。兵頭の手にあるそれは銃のように見える。----念ライフルだった。
(オレを殺す気なのか?!)
背中に冷たい汗が流れる。
「兵頭さん!隊長まで傷ついたら・・・」
「大丈夫じゃ。隊長ならこれしきのことで死んだりせん」
まわりから上がった静止の声も、高耶を助けることはない。
高耶が換生者であり、上杉景虎であることを知っている兵頭は、手加減などする気は全くなかった。今の彼の肉体に、執着もない。ただあるのは怒りだった。
(蜂の巣にしてでも、この憑依霊を撃ち殺す!)
兵頭にとって、己が白紐束を渡した男がどこぞの憑依霊に操られることは、許されざることだった。
蒼白の高耶を冷徹に見つめながら、兵頭はゆっくりとライフルを構える。いや、それは素早い動きだったかもしれない。ただ高耶には、それがスローモーションのように見えた。
「覚悟せい」
「待て!!」
2つの声が重なった。その瞬間、高耶の顔が安堵にゆがむ。
待ちに待った男の姿がそこにあった。
「直江・・・!」
「高耶さん!無事でしたか?!」
直江が人垣を掻き分けながら高耶に駆け寄る。
「堂森、その人を放せ」
「離すな堂森!どういうことじゃ橘。さては貴様の差し金か!」
「兵頭、お前もその物騒なものを下げろ!」
兵頭は、高耶から銃口を外そうとはしない。直江は怒りに震えた。
「己の上官に銃口を向けるとはいい度胸だな兵頭」
「こやつは仰木隊長などではない」
「彼は、まちがいなく『仰木高耶』だ」
「単なる青臭い小僧にしか見えん」
直江は、ふっと不遜な笑みをもらす。
「お前は、隊長のほんの一面しか知らないからな」
「なんじゃと!」
「理由は後で説明する。嘉田や中川も承知のことだ。恥をかきたくなければ、今すぐそれを仕舞え」
「・・・・・」
兵頭は直江を睨みつけたまま、やっとライフルを下ろした。それと同時に高耶も解放される。
「大丈夫ですか?」
「お前・・・どこいってやがった!おせーよ!」
まだ体の震えが止まらない。
「申し訳ありません。でもなぜ、あなたはこんなとこにいるんですか?!」
「腹減って我慢できなかったんだよ」
「だからって、勝手に出歩かないでください!どれだけ心配したか・・・」
嘉田のところで思ったより時間をとってしまっていた直江は、きっと高耶は焦れているだろうと、一度彼の部屋へ戻ったのだが、そこに高耶の姿は無かった。一気に青ざめた直江は、トイレからロビーから手当たり次第探しながら、ここまで駆けてきたという訳だった。
「無事でよかった・・・」
「ったく、殺されるとこだったんだぞ!なんてとこだよここは!」
「怖い目に合わせてしまいましたね・・・」
直江は、暴れて乱れた高耶の服を整えてやる。
「とりあえず、部屋へ戻りましょう」
そう言って、高耶をエスコートし、さっさとこのやっかいな場を離れようとした。
だがそうは問屋がおろさなかった。
「橘。どういうことじゃ。説明しろ」
再会を喜ぶ2人の背中に、怒気を含んだ兵頭の声がかかる。直江は、ちらりと視線だけよこして答えた。
「あとで説明する」
「今説明せい!その男が仰木隊長本人であるという証拠をみせろ。でなければ、皆も納得せん」
そうだな?と、混乱している隊士らに兵頭が視線で問うと、彼らは、はっと我にかえったように再び罵声を口にしだした。
「そうじゃ!」
「おまんもグルじゃないとは言い切れんが!」
「証拠を見せろ!」
「おまんもスパイか!」
2人を逃がせまいと、食堂の入り口を塞がれる。
「直江・・・」
「大丈夫です」
安心させるように、高耶の背を軽く叩く。
(やっかいなことになったな)
この赤鯨衆内での信頼の厚さは、直江よりも兵頭の方が上だ。直江のあいまいな説明で納得してくれそうもなかった。
(だからといって、一般の隊士らもいるここで、「仰木隊長は記憶喪失だ」などとバラす訳にはいかない)
直江の眉間にしわがよる。
「仰木隊長」
高耶を挑戦的に見据えながら兵頭が言った。
「昨夜のミーティングで話した内容を覚えていますか?それを覚えているなら、ひとまず信用します」
「彼は今、普通の状態じゃない。早急な治療が必要だ。お前らにつきあっている暇などない」
「おまんには聞いちょらん」
兵頭は直江から高耶に視線を移し、はき捨てるように言った。
「この偽者めが」
「誰が偽者だ!」
「じゃあ、なぜ答えん。昨日の今日で覚えとらんわけがないじゃろう!」
「黙れ兵頭!」
「んなもん覚えてねー!」
「高耶さん!!」
直江が止める間もなかった。
「記憶が無いんだよ!4年間の記憶が!朝起きたらそうなってたんだよ!」
その声は、食堂中に響き渡った。
直江は思わず頭を抱える。
この衝撃の事実が、アジトの隅々まで行き渡るのは時間の問題だった。