カーテンコール 6



 ◆      6      ◆
 
 
 日が海に沈もうとしている。
 赤く染まる海は、あの日の朝焼けを思い起こさせた。
 あの時、この身に宿る彼に語りかけるように自らの胸にあてた手は、今、となりの確かなぬくもりをつかんでいる。
「直江・・・」
 幻ではない彼の声が聞こえる。
 つないだ手から伝わる彼の鼓動。
「直江・・・」
 自分を映す黒い瞳。
 海風になびく黒い髪。
「直江・・・・」

----あなたがここにいる。

「直江・・・泣くな、直江・・・」
 高耶は直江の顔へと手をのばし、その頬を流れる涙ごと自らの胸に抱きしめる。
「高耶さん・・・高耶さん・・・高や・・・」
 直江は、その胸に泣き崩れた。
 彼の胸にすがりついて、嗚咽(おえつ)まじりに何度も何度も彼の名を呼ぶ。
 そのたびに、髪や背をやさしくなでられた。
「直江・・・」
 高耶の声も涙にぬれている。
 その声に顔を上げると、しかし彼は笑っていた。
 その笑顔につられて直江も笑う。
 ふたりは互いの身を抱き寄せ合い、溶け合うように熱く口づけ合う。
 2つの影は絡まるようにひとつとなり、やがて夜の闇に溶けていった。



「直江、星が見える」
「ええ、きれいですね」
 2人は、浜辺に置かれていた空きボートの中で寄り添って寝ていた。救命用胴衣を敷いたボート床の上でふたり、直江のコートにくるまっている。
 今日は新月のようだ。晴れた夜空に月の姿はなく、普段は見えない小さな星々の光までもが降り注ぐ。
「・・・降ってきそうだ」
「怖いですか?」
「いや・・・今は懐かしい」
 こうして満天の星空を見ながら波の音に耳を傾けていると、まるで400年前に戻ったようだ。
 この小船が、かの時代へと運んでくれるようだった。
 (初めて直江と向き合ったのはこの浜辺だった・・・)
 波の音に呼吸を合わせ、高耶は遠い記憶をまぶたの裏に映す。
 直江も同じ思いなのだろう。無言のまま、ただ高耶の手を握りしめていた。


 白い息が空に浮かんでは消えていく。
 春とはいえ、まだ夜は冬の冷気を宿している。
 冷えた海風に2人の息は白く浮かび、ひととき星空を曇らせた。
「四国でも、今はこんな星空が見れるんだな・・・」
 高耶がぽつりとつぶやいた。
「今度、一緒に見に行きましょう」
 直江は、腕枕している高耶の髪に顔を埋めるようにして優しくささやく。
「そして岬に家を建てて一緒に暮らしましょう。あなたは家裁の調査官を目指して大学へ通い、私は毎日あなたの笑顔を見て、あなたのわがままをいっぱい聞いて暮らすんです」
「幸せそうだなぁ」
「ええ、幸せにします」
 くすくすと笑い合う。
「・・・夢みてぇだ」
「・・・そうですね」
 互いの手を握りしめる。・・・その存在を確かめるように。
「夢・・・じゃないよな?」
 高耶は、直江を見つめて言った。
「あなたはこんな夢は見ない。こんな都合のいい夢は」
「そうかな・・・」
 前科があるだけに肯定できない。萩のあとに見た幸せな夢を思い出す。
「・・・幸せな夢を見たいと思ったことはないか?直江」
 ふと思いついたように高耶が言った。
(過酷な現実から逃れたいと思ったことは・・・)
「そんな夢を見ていたら、あなたに置いていかれます」
 直江ははっきりと答えた。
「それに、そんな夢を見る必要もないくらいに、私は幸せだから。たとえ目覚めても・・・あの現実が訪れても、私は微笑むことができるから」
 迷いの無い言葉だった。
 腕から、高耶の振えと濡れた熱が伝わってくる。
「あの時言ったでしょう?ずっと一緒に生きてゆくのだと」
(この手をつないだまま・・・)
「時々は、寂しい時もあるでしょう。あなたに触れたくて、あなたの声が聞きたくて・・・。でも、あなたの想いに答えられる自分が誇りなんです。あなたを抱えて・・・その魂が砕け散っても・・・この身を墓標として安らかに眠るあなたと共に、最上の地を目指して生きることは喜びなんです。だから、あなたが悲しむことはありません」
「直江・・・・・・ありがとう」
 高耶は、泣いてるような笑顔で言った。
「もしこれが夢でも・・・おまえが悲しむことがないのなら・・・それでいい」
「もしこれが夢でも・・・あなたが安心してくれるのなら、私も、それでいい」
 直江は高耶を引き寄せ、コートに深く包み込む。
 高耶は潮騒を聞きながら、母の腹に眠る胎児のような安らぎにつつまれた。


「でも、やっぱり現実の方がいいな・・・お前が寂しがるから」
 しばらくして直江の腕の中で、高耶がぽつりと言った。
 優しさが胸に痛い。高耶の想いが熱い血となって全身を巡るようだ。この体中をめぐる熱が幻な訳が無い・・・夢なんかじゃない・・・
「現実ですよ」
「そうかな」
「私の熱を感じて・・・」
 直江は、高耶を自分の胸の上に引き上げ、お互いの体を密着させる。高耶は彼の胸に顔をすりつけた。
トクトクと確かな鼓動が聞こえる。
「おまえの、心臓の音がする・・・」
 安心したように、ひとつ深く呼吸する。
「おまえのにおいがする・・・夢ににおいなんてあるかな」
 そんな信じきれない高耶に直江は更に言葉を重ねた。
「現実だと、きっとすぐわかりますよ。あなたは常に上を目指して進む人だから、夢のような甘いだけの日々も今だけです」
---この人はこれからも、この果てしなき時を一歩一歩留まることなく前進してゆくだろう。
 己の信じる道を・・・たとえ道が無くとも、突き進むのだろう。
 その道を私も行く。ついて行くのではなく共に歩む。
 ・・・そうしてまた俺たちは成長して変わっていくのだろうか?この400年のように。前を向いて歩むかぎり。

 この先私たちは、世界は、どう変わってゆくのかはわからない。でもひとつだけ・・・この想いだけは変わらない、変えられない。それだけはわかっている。
 変わらないものと変わるものと・・・この直江津の浜のように・・・

「今だけ甘い現実か・・・」
 小さく笑って高耶が言った。
「そうですよ」
「夢じゃない・・・」
「ええ」
 直江は、高耶の耳元に唇をよせた。
「・・・なんなら今すぐ俺が証明してあげましょうか?」
 その妖しい囁きに高耶は一瞬目を見開いたあと、ゆっくりと直江に跨るように上体を起こし、蠱惑的な瞳で直江を捕らえた。
「・・・オレも、証明してやるよ」
「それはぜひ・・・」
 くすくすと笑い合い、甘く口づけ合う。段々と深くなる口づけを交わしながら、少し冷えた互いの体をいたわるようにさすり、守るように抱きしめ合った。
「高耶さん・・・」
「なおえ・・・」
 そのまま雪崩れ込もうとしたその時・・・
(っくしゅん!)
 高耶がくしゃみをした。
 その子供っぽいくしゃみに、直江は拍子抜けしたようにくすりと笑う。
「ここにいると風邪をひいてしまいますね。ホテルへ戻りましょう」
「・・・ああ」
 気まずそうな高耶をボートから出してコートを羽織らせてやる。
 ふたりは煌々と輝く現代の街へと戻っていった。


 *   *   *


 薄っすらと水平線が白く染まり始めている。
 高耶は夜明け前の海を眺めていた。
 目が覚めても覚めない、夢のような現実。
 潮風の香りや鳥の鳴き声、砂を踏みしめる感触を確かめながら、波打ち際を歩く。
 時折来る大きな波に足元を濡らし、その冷たさに微笑がこぼれる。
 己の命の存在を噛み締めていた。

 しばらくすると、ひそやかな足音が聞こえてきた。
 先ほどまで、うかがう様にして、そっと見守っていた気配が近づいてくる。
 ああ、あの時と同じだな、と高耶はなつかしく思った。
「・・・オレたちは、ここからまた始まるんだな」
 高耶は背後の気配に語りかけ、ゆっくりと振り向く。
景虎様」
 見つめ返す直江の瞳は、凪いだ海のように穏やかだった。それでいて広く深く・・・
 それを真っ直ぐに受け止める。
景虎様・・・この魂が尽きるまで・・・生きて、生きて、この星が滅びるまで、あなたへの薄れることも朽ちることも無い愛を誓います。・・・永遠を証明してみせる」
 荒げることもない、地に根を張ったような揺るぎない声だった。
「直江信綱、証明してみせろ。・・・おまえの永久を確かめてやる!」
「御意」
---かつて形だけの主従の契りを結んだこの地で、永遠を誓い合う。
憎しみを超え、和解を超え、そして更に上を目指して・・・

ふたりは海に背を向けて歩き出した。
後には2組の足跡が残る。
ここから新たに始まった2人の軌跡を、朝日が輝かしていた。

(※もう1話だけつづきます・・・よかったらおつきあいください)


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 お待たせしてすみません・・・その分増量いたしました。どれくらい増量かというと、プラス1話分。(おい)
実は、この直江津の浜は、カットする予定だったんですよ〜あとでおまけのような形でのせようと思ってました。
なぜなら、最終話が2つになりそうだったから・・・このとおり、ここで「完」と書いても違和感がない(汗)
でも、最後はこれで!と決めているので、もう1話おつきあいください。次は早めにかんばります・・・

ふ〜難しかった・・・書きたいことを全部盛り込むと、まとめるのが大変ですね。
ぎこちない&臭い文章が多々ありますが、言わせたいセリフ95%くらい入れられたので満足ですv
2004.11.2 up