◆ 3 ◆
昨日会ったばかりとは思えないほど、ふたりの会話がはずんだ。相手が聞き上手なのか、普段あまり話さない高耶も、いつになく饒舌だった。家族のこと、学校のこと、好きな食べ物のこと・・・そんななんでもない話に、直江は穏やかな眼差しと相槌で答えてくれる。
「高耶さん、全然食べてないじゃないですか」
話すのに夢中で食が進まない高耶を、直江が笑う。
「だってさ、話しながら食べるのって、すんげー難しくねぇ?口はひとつしかねーのにさ」
高耶は、口を尖らせる。
「言われてみればそうですね。食べるのも話すのも、どちらも重要な機能ですし、別々の器官を使っててもいいような気がします」
「だろ?食べてる時、口以外でも話せたらいいのになぁ」
「たとえば、どこで?」
「う〜ん・・・鼻とか?」
「・・・・・・・・」
――ぶっ
鼻をふがふがさせて話す様子を想像したふたりは、同時に噴出した。
「あまり絵になりませんね」
くすくす笑いながら、直江が言う。
「じゃあ、目ならどうだ」
「それは、ロマンチックですね」
「瞬きで会話するとか。モールス信号みたいにこうやってさ」
高耶は、パチパチパチと瞼を動かす。その様子はロマンチックとは程遠い。直江は声を上げて笑った。
「それは、思いつきませんでした。いいアイデアですね。こんな感じに?」
直江はウインクをしてみせる。途端、高耶の目が丸くなり、見る間に顔が赤く染まった。目元を赤く染めたまま直江を睨みつける。
「何て言ったか、わかりましたか?」
「歯が浮きまくるようなキザなセリフ」
「あなたが好きだと言ったんですよ」
「なっ・・・!!・・・お、男にそんなこと言うな!!」
真っ赤になって高耶は怒鳴った。
「どうして言ってはいけないの?」
からかっているにしては、真摯すぎる瞳と声が問い掛ける。
高耶はとっさに目を伏せた。頭の中にサイレンが鳴り響いている。これ以上聞いてはいけないと、思っているのに耳を塞ぐこともできない。
「高耶さん、私は・・・」
「新婚ごっこはもういいって!」
「本気です」
真剣な声だった。高耶の肩がビクリとはねる。顔を上げて、直江と目を合わすのが怖い。正面から向き合えば、さっきまでの穏やかで幸せな『家庭』が、一瞬で崩れてしまう予感がした。
「わ、わかったから、もう言うな」
高耶は、空いた皿を重ねて片付け出す。
「言わせてください」
「昨日会ったばかりで、何がわかるんだよ」
「昨日が初めてでは、ありません」
「えっ」
やっと顔を上げた高耶を、直江は真っ直ぐに見つめた。
「よくうちの店の前を通っているでしょう?駅前大通りの支店の前を」
「あ・・・」
「店の前を通るたび、ウインドウに貼ってある賃貸のチラシをチェックして、ため息をついてますよね。私のデスクからよく見えるんですよ」
高耶はばつの悪そうな顔をした。
「あれは・・・大学のそばで安いとこないかと思って・・・。家が狭くてさ、オレ深夜から朝方のバイト多いから、妹の受験勉強の邪魔になってて、それで何とかなんないかと思って探してるんだけど・・・」
ふーーっとため息をつく。
「オレの予算では、どう考えても無理な物件ばっかりなんだよなぁ」
それでも、通るたびについチェックしてしまう。すっかり癖になっていた。
「あなたは、優しい人ですね」
目を細めて、直江が言う。
「そ、そんなんじゃねぇ」
「もっと好きになりました」
「もう黙れ」
高耶は視線をそらし、重ねた皿を流しに運ぼうとするが、直江の視線に射抜かれたように腰が椅子から離れない。
頬に直江の手の平が触れた。
「この『好き』の種類は、もうわかってるでしょう?」
高耶は、息を呑む。
「あなたの姿を見かけるたびに、どんな人なんだろうとずっと考えてました。駅から歩いてくる人の波の中からでも、あなたの姿はすぐに見つけることができた。あなたが1歩1歩店に近付いてくるのを、この男は仕事をするふりをしながら、胸をときめかせて待ち構えていたんですよ」
高耶の頬からあごに手を滑らせ、顔を上げさせる。怯えたような表情をしていた。
「・・・男に告白なんてされて、気持ち悪い?」
その声はかすれていた。口の中はカラカラに渇いていた。
「わ・・・かんねぇ・・・」
目を泳がせながら、消え入りそうな声で高耶が答える。
(わからない・・・)
男の手は再び高耶の頬を包みこむ。それを拒絶できない自分が一番わからない。
「・・・確かめてみてもいいですか?」
直江が椅子からゆっくりと立ち上がる。瞬きもせず見つめてくる高耶の前に跪き、ゆっくり顔を近づける。吐息が重なりかけたその時、
「・・・やめっ!!!」
高耶は、直江を突き飛ばした。直江は、背をテーブルにぶつける。
「わっ!」
その振動でシャンパンの瓶が倒れ、残っていた液体が高耶に降りそそいだ。