◆ 4 ◆
「うわっ冷てー」
直江がすぐさま布巾をつかみ、高耶の服に染みたシャンパンを拭き取ろうとするが、すでに遅し。水分を含んだ服は、すっかり色を変えてしまっている。
「最悪。中まで染みこんでる。なんかベトベトするし・・・」
高耶は、気持ち悪そうにトレーナーの裾をつまんだ。
「そのままでは風邪をひきます。その服を脱いでお風呂に入ってきてください」
「えっ」
直江は、高耶の腕をぐいっと引き上げ椅子から立たせると、有無を言わさず脱衣所へと連れていった。
「ちょっ、待てよ!オレ着替え持ってない」
そうだった。風呂に入るのもバイトに含まれてたが、着替えがないじゃないか。高耶は、今頃気付く。
「脱いだ服は、洗濯機に入れておいてください。洗って乾燥機にかけますから」
「そんなすぐ乾くわけねーだろ!」
「待ってる間は、とりあえずこれを着ててください」
差し出されたのは、バスローブだった。
「ゆっくり温まってきてくださいね」
そう言って直江は、穏やかな笑顔と共に脱衣所から出ていった。
ジャグジー付きの浴槽は、ぶくぶくと泡だっている。いつもならはしゃいでいたであろう高耶は、すりガラスのドアに映る直江の影を、ぼんやりと見つめていた。
(本当なんだろうか・・・オレが好きって・・・)
―――確かめてみていいですか?
(さっきのあれって・・・キスされかけたんだよな)
ぎゅっと膝小僧を抱える。頬が熱い。
「って、何赤くなってんだよオレは!!」
「何か言いましたか?」
ドアごしに直江の声がする。
「な、な、何でもない!」
「私は、リビングで適当にしてますから、ゆっくりしてきてくださいね」
「わかった」
動き出す洗濯機の音と、脱衣場のドアが閉まる音がした。高耶は蛇口をひねり冷水で勢いよく顔を洗った。
「オレは・・・男に告られて喜ぶ趣味なんてねぇ」
言い聞かせるように声に出す。なのに、それを否定するように心臓の鼓動は早鐘を打ったまま収まらない。
「・・・どうしちまったんだろオレ」
はぁ〜と物憂げなため息を付く。美味しいバイトのはずが、こんな自体になるとは予想外もいいとこだ。
(だいたいオレは、初対面の相手に何をあんなにベラベラしゃべってんだよ)
高耶は、さっきまでの会話を頭の中で反芻してみる。自分のことばかり話していたように思う。
(あれじゃまるで・・・自分を理解して欲しいって、寂しくて構って欲しいって言ってるガキと同じじゃねぇか!)
いや、「まるで」じゃなく、実際そうだった。あの男に、もっと自分のことを知って欲しかった。理解して欲しかった。構って欲しかった。やさしくして欲しかった・・・
ジャボンと湯の中に顔まで浸かる。恥ずかしくてしょうがない。
息が続くまで湯に沈んだあと、
「ぶはぁっ!」
飛び出すように顔を出した。
(もっと強くならなければ)
両頬を叩いて、甘える自分を叱咤した。だけどその傍から、それを打ち消す言葉が聞こえてくる。人に頼ることは悪いことじゃないと。甘えてもいいんだと。・・・直江はきっとそう言うだろう。彼は自分の本当に欲しいものを与えてくれる。短時間一緒にいただけなのに、高耶はなぜかそう確信を持てた。
「直江・・・」
バイトは、朝9時から5時までの基本給プラス、それ以降は成り行きで、30分ごとに残業手当がつくことになっていた。今はもう6時半。料理、洗濯、掃除、風呂・・・気が付けば、やるべきことはすべて終えてしまっていた。
「直江・・・」
だから一刻も早く、この居心地のいい場所から、去ってしまわなければならない。
・・・自分に負けてしまう前に。