真実の名



『貴女がアラバスタの大地を踏むことは、絶対に許さない』

砂の国の王女は、私を見つめて言った。


   * * *


“アラバスタ事件”の後、私の存在は再び海軍と世界政府の注目を浴びることとなった。
B・Wの副社長、“ミス・オ−ルサンデ−”の正体に気づいた海兵達を生かしたのだから、当然だ。

アラバスタに全てを賭けていた私には、どうでも良いことだった。
私には“後”など無かったのだから。

…そして最後の賭けに、私は負けた。

一度は死を、諦めを受け入れた筈が“麦わら”の少年にその選択を打ち砕かれた私には
海軍から身を潜めつつグランドラインを彷徨う日々が残された。

そんな時、小耳に挟んだのがジャヤの黄金郷の伝説だった。
伝説というより、お伽噺と言った方が適切かもしれない。
“北の海(ノ−スブル−)”では有名な「うそつきノ−ランド」という四百年前の人物に纏わる
物語の一節だ。

誰もが大笑いする話を私は丹念に調べ上げた。
信じたからではない。
他に、することが無かったからだ。

様々な文献に目を通すうち、私はこの海域に発生する幾つかの怪現象に注目した。

“突き上げる海流(ノックアップストリ−ム)”
突然訪れる“夜”と巨人の影
空を指し示すログポ−ス

一見無関係な情報を繋ぎ合わせ、一つの仮説が導かれた。
“黄金郷”は空へ吹き飛ばされ、今もそこに留まっているのではないか…と。

私は“空島”へ行く手段を探した。
通い詰めて、四百年前の日誌を見せてくれたノ−ランドの子孫だという男。
本来なら、彼を誘うべきなのかもしれない。
けれど、潜水病でボロボロの身体は高度に伴う気圧の変化に耐えられないだろう。
…彼には、何も言わなかった。

私は待った。
無謀な冒険を実行する度胸と力量のある集団を。
だが、ジャヤの町モックタウンを訪れるのは、愚かで打算的な小物ばかり。

そんな、ある日。
麦藁帽子を被ったジョリ−ロジャ−を掲げる小さな海賊船が、港に碇を下ろした。


   * * *


どういう経緯か、彼等は最初から“空島”へ行く手段を求めてジャヤに来ていた。
酒場でのノ−ス出身の小物達との諍いとも呼べない諍いを知り、私は彼等の船へ出向いた。
船長は、まだ戻ってはいなかったけれど。

『“空島”への情報が欲しいんでしょう?
 その地図のバツ印。そこにジャヤの“はみ出し者”が住んでいるわ。
 名前は「モンブラン・クリケット」
 夢を語り、この町を追われた男。…話が合うんじゃない?』

『誰がッ、あんたの情報なんか…!!』

空色の髪の少女は、ウイスキ−ピ−クや秋島の海上で会った時と同じだった。
相変わらず、彼女は“王女様”だ。

『それは、一船員(クル−)が決めていい事ではないわね。
 船の進路を決めるのは、船長唯一人。…違って?』

王女様の代りに金髪の“王子様”がジャヤの地図を受け取った。
後で知ったことだけれど、彼はかつてグランドラインで名を馳せた海賊に育てられたそうだ。

『おっしゃる通りです、レディ−。ウチの船長に渡します。
 もっとも、後はクソゴム次第だから、貴女のご希望通りに事が運ぶとは限りませんけれど』

…そう。提供した情報をどうするかは、“麦わら”次第。
以前に渡そうとした「何も無い島」への“永遠指針(エタ−ナルポ−ス)”のように
握り潰すというのなら、それまでだ。
だが、偏屈な潜水夫と彼等は予想以上に話が合ったようだ。

ノックアップストリ−ムに乗って空島の高さにまで到達するという命知らずの無茶を
彼等は本気で実行し、成し遂げた。
補強作業のどさくさに紛れて潜んだ船室から、“目”や“耳”を生やして伺っていたけれど
オレンジの髪の航海士さんは、まさに天才と呼ぶに相応しい。

『…やっと着いたみたいね…。ご苦労様』

そう言って甲板に出てきた私を見て、案の定クル−等はパニックに陥った。

『一体、何が目的なの!?』

『空島にロマンを求めて…と言ったら、信じてもらえるかしら?』

『な−んだ。んじゃ、おれ達といっしょじゃね−か!!』

『ルフィさん!!』

『目的は一致しているというワケね。
 それに、モンキ−・D・ルフィ。貴方には、私を生かした責任を取ってもらわないと。
 …私を、仲間に入れて』

『おう、いいぞ!!』

『『『『ルフィ−ッ!!!?』』』』

呆気ない即答。
だが、船長の決定は絶対だ。
型破りな海賊達とはいえ、その鉄則は変わらないらしい。
クル−の視線が、一斉に一人に向けられる。
顔を真っ青にした王女様は唇を強く噛み、握り締めた拳を震わせている。

掴みかかってくるかと思ったが、違った。
俯いて甲板を見つめながら、ハッキリと言った。

『船長(キャプテン)が、そう決めたなら』

随分と海賊のフリが上手くなったものだ、と思った。
彼女の葛藤と打算になど、大して興味はなかったけれど。

金髪の彼が深い溜息を吐いて、彼女の肩を抱いた。
私は遅ればせながらその時になって、“彼等”の関係に気づいたのだ。


   * * *


空島で、私と彼女はほとんど別行動を取っていた。
その間に彼女が何を体験したのかは知らない。
私は目的どおり古代の黄金都市“シャンドラ”の遺跡を発見した。
新たなポ−ネグリフの手掛かりも。

“麦わら”の船長は、黄金の鐘に執着していた。
…鐘を、鳴らそうとしていた。

『黄金郷は空にあったぞ!!!』

独り、冷たい海に潜り続ける男に、それを伝える為だけに。
“仲間”達はその意志に従った。
脱出の好機(チャンス)を棒に振ってまで。
あんな状況で、誰も彼も、どうかしている。
…でも、ロマンがあって……素敵な理由だと、思った。


高く 遠く 響く 鐘の音

空島の人々は、それを“島の歌声”と呼んでいた。

何よりも砂の大地を愛している癖に
海賊船に乗っている奇妙な王女様は
あの“歌”を何処かで聞いていたのだろうか…?


神を騙る能力者との、そして四百年に渡る大地を巡る戦いが終わり
私は空島の“歴史の本文(ポ−ネグリフ)”の前に立った。

“真の歴史の本文(リオ・ポ−ネグリフ)”では、無かった。

けれど、“鍵”は託されていた。
私はようやく、自分の目指すべき場所を知ることが出来たのだ。

振り返ると、砂の国の王女が立っていた。
三日三晩続いた宴の間、負傷した仲間達や空島の人々を気遣いながら
皆と笑って踊っていた彼女は、硬い表情で私と石とを見比べていた。

『人の命より、遺跡や歴史に価値があるという貴女を、私は絶対に認めない。
 貴女が私の国にしたことを、私は絶対に許さない。
 そのことだけは、これからもずっと変らないわ』

如何にもな台詞には、むしろ苦笑させられた。

『尊い犠牲者の霊を慰める為に、私の首をご所望かしら?
 でも、残念ね。“仲間殺し”は海賊にとって許されざる大罪よ』

国家に“法”があるように
海賊には海賊の“掟”がある。
私を殺したいのなら、彼女が船を降りるか私を船から追い出すか。
二つに一つだ。

そして私には、船を降りる理由は無い。
目指すはグランドライン最果ての島、『ラフテル』
私の旅の目的が、“D”の名を持つ彼と一致し続ける限りは。

彼女は私ではなく、石を見た。
アラバスタでは目にすることが無かった筈の、彼女の国にあったものとよく似たそれを。
一瞬で無数の命を奪う兵器について書かれた文字を。
彼女は怒りと憎しみの中から殺意だけが抜け落ちた目で、再び私を見た。

『私が貴女を殺せないんじゃない。
 貴女が私に手を出せないのよ、ニコ・ロビン。
 生きて、貴女の夢を叶えればいい。
 私達の仲間になった限り、そう簡単には死ねないから』

その時は、彼女が何を言っているのか理解できなかった。


   * * *


空島を降りた後も、私は“麦わらの一味”としてメリ−号に乗り続けた。
船の中での彼女と私は、常に端と端に位置するような間柄だった。
意図してそうするというより、お互い無意識に身体が反発しあうのだろう。

彼女は私のしたことを許さない
私は彼女に許されようとは思わない

私は彼女が王女だという事実を許さない
彼女は自分が王女だという事実を捨てない

同じテ−ブルで食事をし、宴の輪を囲みながら
私達は互いに自らの存在によって
相手を監視し、威嚇し合っているようなものだった。

別に、珍しいことじゃない。

昨日、殺しあった敵と
今日は笑って抱き合い、握手を交わす。
明日の企みを絹の衣に隠して。

…政治とは、そういうもの。

未熟な彼女は私と顔をつき合わせて平静を保つことに、相当な努力をしていた。
過度のストレスで一時は随分食欲が落ちたり、眠れなかったりしたようだ。
船医さんはもちろん、料理人さんも彼女を気遣っていた。
その一方、フェミニストを自称する彼は私に対しても航海士さんと同様の愛想を
振り撒いていたから、よく判らないコだと思った。
たまにそれが原因で、王女様が機嫌を損ねたりもしていたようだ。

それでも、人間はどんなことにでも慣れていくものだ。
元気になってきたと思ったら、私に言いたい放題を言ってくれるようになった。

そう、例えばこんな具合に。

『あんたは“真の歴史の本文”とやらを読んで、それが本当に人の命より大事なものか
 思い知ってから死ぬのよッ!!
 絶対にそんなことなんて、在り得ないんだから!!!
 今、死なれてたまるもんですか!!
 そんなホッとしたカオで、死なせたりなんかしないんだから…!!!』

本当に死にかけている人間に掛ける言葉じゃないのは確かね。

何度も何度も思ったことだけれど。
私は貴女のそういうところが、“大嫌い”だったのよ……


   * * *


「どうかしたんですか、教授?」

クル−に声を掛けられて、我に返った。
膝に乗せていた本が甲板に滑り落ちている。

「何でもないわ。…少し、昔のことを思い出していただけ」

彼は、拾い上げた本を私に向かって差し出しながら言った。

「いやァ、楽しみだなぁ〜。
 ウソップ砲撃長やDr.チョッパ−からは、よく話を聞いちゃいるけど。
 クル−のほとんどは、顔を見るのも初めてだし。皆、浮き足立っちまってますよ。
 それにしても凄ぇ船だなァ。大国の王女様が俺ら海賊の“仲間”だなんて」

そういう彼の顔も、期待と興奮で一杯だ。
船はいつも以上にお祭りム−ド一色で、カンテラにランプに提灯に電球に燭台に。
ありったけの照明で昼のような明るさだ。
おかげで夜中だというのに甲板で読書をするのに不自由が無い。

酒樽を運ぶ者、皿を積み上げる者。
厨房からは肉の焼ける良い匂い。
砲撃手達は打ち上げ花火の筒を甲板に並べている。
何時でも宴会が始められるよう、準備は万端。

あれから何年も過ぎ、両手で事足りたクル−の数も随分増えた。
新しい仲間達は、私を“教授”と呼ぶ。

船長、副船長、航海士、砲撃長、料理長、船医(ドクタ−)。
いつの間にか名前で呼び合うのは、幹部同士の間の特権のようになっていた。

そして、“海賊王女”の実物を知っているのも幹部だけだったのだけれど
こちらの特権は今日で終わりだ。

今、ゴ−イングメリ−U世号はアラバスタを流れるサンドラ川の中流に停泊している。
船長以下の幹部等は王都アルバ−ナへ向かった。
私は留守番だ。
なにしろ、いずれこの国の女王となるだろう方からアラバスタの地を踏む権利を
剥奪されているのだから。

やがて見張りが声を張り上げ、月と星に照らされた砂漠に幾つもの砂煙が立ち昇る。
カルガモ部隊に乗った船長達だ。
ひらりとカルガモの背から飛び降りた料理人さんが、カル−隊長の背に乗ったマント姿の
女性の手を取る。
砂に降り立った彼女を囲むように皆が甲板に上がってきた。
船縁に噛り付いていたクル−が、まるで潮が引くように場を空ける。
その中央でそれぞれが纏っていたマントを落とすと、明るい照明の下に鮮やかな蒼い髪。
わっとクル−の中から歓声が上がった。

「まだ一歳にもならない子供を連れて砂漠を渡るなんて、相変わらず無茶をするのね」

クル−の中から進み出る私に、母となった彼女は言った。

「ご心配なく。宮廷医師もびっくりするくらい元気な子よ。
 砂漠の民の子は砂に負けたりなんかしないわ」

横で料理人さんが苦笑しながら、紐を解くのを手伝っている。
優雅なドレスとは不釣合いな“抱っこ紐”が身体から離れると、ほっと息を吐く。

「やっぱり、四時間だと肩が痛くなっちゃう」

「だから俺がって言ったのに」

「でも、サンジさん慣れてないし。危なっかしいわ」

「…耳が痛ェ…。って−か、耳〜ッ!?」

玩具だとでも思ったのか、布包みから伸びた小さな手が料理人さんの耳たぶを掴んでいる。
小さな足もバタバタするついでに顎や頬を蹴っていた。
父と娘のコミュニケ−ションは、先が思いやられそうだ。

クスクス笑いながら彼女は料理人さんの手から子供を受け取り、そして私へと差し出した。

「それに、約束だもの」

耳や髪の毛を掴まれないよう、気を使いつつ受け取った。
軽くて熱い生命は、抱かれる相手が変わったのに驚いたのか暴れるのをやめた。

海の色をした大きな眸をぱっちりと開き
私の顔をじっと見つめて

「ばァぷ、ぶ−?」

と言って機嫌よく笑う。

「名付け親が判るのかなぁ〜。おりこうさんな天使だvvv」

料理人さんが今にも蕩け落ちそうな顔で言う。
女の子に対して挫けるということは、彼には無いらしい。

「ほ〜んと、ビビにそっくりよね。それでサンジ君そっくりの金髪でしょ。
 イイトコ取りってカンジ?」

「カルテを診せてもらったけど、文句無く健康優良児だぞ!!」

「後でキャプテ〜ン・ウソップ様が肖像画を描いてやるからな。家宝にしろよ〜〜」

「女だろ?素敵眉毛が似なくて良かったな」

「ビビにもサンジにも似てるのか〜。楽しみだなァ。
 でっかくなったら一緒に冒険しようなッ、リオ!!」


   * * *


二年近く前。
彼女が船を降りると言い出した時は、驚かなかった。
…薄々、そんな気がしていた。
けれど、船を降りるその日に言われた言葉には驚いた。

『貴女に名前を考えて欲しいの。この子の』

二ヶ月に入ったばかりだと、船医さんが言った。
料理人さんは照れ臭そうな顔で、しきりに頬を掻いていた。
計画的ねぇと航海士さんは呆れ
船長と狙撃手さんは

『え−、おれがカッコイイ名前をつけてやるのに−!!』
『いやいや、おれ様がア−ティステックな名前をだな〜』

と、横槍を入れた。

『てめぇが親父かよ。人生が始まる前から運のねぇガキだな』

肩を竦めた剣士さんは、たちまち料理人さんと喧嘩を始めた。

『どうして、私に?』

尋ねる私に、まだその気配さえ伺えない腹部に白い手を置いて

『貴女に会って欲しいから』

彼女は、答えた。

『いつか必ず、会って欲しいの。
 これから生まれてくる生命に』

それから、ふと思い出したようにキッパリと言った。

『ああ、だけど!!
 貴女がアラバスタの大地を踏むことは、絶対に許さない。
 …だから、私がこの子を連れて会いに行くわ』


   * * *


先人達が石に刻んだ言葉は

時に 戒め
時に 願い
時に 祈り


“我等”を知り “己”を知り “次”へと繋げ


何も知らない貴女に
話してあげたいことが、沢山あるわ
…小さなお姫様。



   古い言葉で『真実』を意味する名を持つ王女は
   
   後にアラバスタ王国最後の王位継承者となる。



                                     − 終 −


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海賊王女」から約半年〜四年後ぐらいの設定です。
この枠での課題の一つであるビビ王女とニコ・ロビンの関係。
その始まりが「白い花」であり、終わりがこの話になります。
相変わらず途中経過をすっとばした不完全形ですが、原作の動向が気になる余り…。(汗)

どちらが正しいとか間違っているとか、誰が好きとか嫌いとか。
そういう意図で書いた話では無いものの、思うところを上手くお伝え出来なかったとしたら
全面的に私の力量不足と無謀なチャレンジ精神の所為です。…精進します。(平伏)

補足というか蛇足ですが、「眠り姫」以降に登場するサンビビの娘の名前は「リオ」といいます。
名付け親はロビンさんです。
これもまた、実は最初からそういう設定でした。
二ヶ月じゃ性別も判らないので、男女どちらにも使える名前という点で妥当かと。(汗)