アンサンブル・クリスタル ディレクター

アンサンブル・クリスタルでは指揮者ではなくディレクターを置き、演奏の方向性を統一しています。

ディレクター・山本のりこ

京都市立堀川高校音楽コース(現市立音楽高校)、国立音楽大学声楽科卒業。
日本テレマン協会に所属中、ヘンデル「メサイア」、バッハ「カンタータ」「マニフィカート」等の ソプラノソロを歌う。
退団後ソロリサイタルを開催する傍ら、モーツァルト、
ヴィヴァルディ、グノー、 ペルゴレージ、ハイドン、ロッシーニ、フォーレ、ラター等、主に宗教曲のソロを務める。
2000年、ドイツ滞在中にバロック音楽をギゼラ・ポール氏、ルネサンス音楽をエドモンド・ブラウンレス氏に 師事。
その間、ドイツ各地の教会にてソロ演奏をし、好評を得る。
現在までにヴォイストレーナーとして関西の合唱団、並びに音大受験生等、数多くの
後進の指導に当たり受験実績、コンクール等でも成果を出している。
これまでに伊藤京子、岡田晴美、竹内光男、橋本俊詔、伊原好野の各氏に師事。

ディレクターコメント

クリスタルのメンバーは幅広い年齢、様々な音楽経験の持ち主。音楽を一つにまとめる為、一にも二にも声作りに 力を入れています。
「自然な声」作りをモットーに気息の制御、脱力のマスターに努めています。
又作品の時代背景を大切にし、スタイル(様式)についても重点を置いて練習しています。


ディレクターブログ(5)
 No11  歌のレッスン徒然3(口)   No.16 私も歌のルーツ4&歌のレッスン徒然5
 No.12 私も?歌のルーツ2
    No.17 教会演奏会
 No.13 今年も有り難う〜       No.18 イスラエルで感じたこと
 No.14 私も?歌のルーツ3
     No.19 私も?歌のルーツ5
 No.15 歌のレッスン徒然4(声)   No.20 発声工房      No.21発声用語
 No.22 演奏会を終わって

もくじ
<<前のページ
 | 次のページ>>
 2011年6月20日(月)
 No.22 :演奏会を終わって


昨日グループ・WAON2回目のコンサートが終わりました。

西宮市、山口町でのコンサート
会場は公民館+多目的ホールという感じですが、
定員200くらいのところ170席用意しほぼ満席のご来場いただきました。

大きな拍手とアンコール〜という声援を頂き、大盛会におわりました。

最初、ホールに伺い担当者と話し合ったところ、
クラッシックのコンサートは平均60〜80人の入りで
一番多く来場されて110人ほど。
落語の会は、いつも超満員なんだけど…と言われていたので、

こちらも 最悪60人以下でもなんとかやっていけるような
プログラムや企画を考えました

曲はガーシュイン(アイゴットリズム、サマータイム)や
博士太郎(情熱大陸)、久石譲氏の曲(SAMMER)、
またミュージカルの曲なども数多く多く取り入れ

余りクラッシックのコンサートには縁の無い方々にも来て頂き
楽しんで頂けるように工夫しました。

蓋を開けると、大盛況で、嬉しい悲鳴でした。

逆に、それでなくても演奏用ホールでは無いので
響きの状態はベストとはいえないのに、
お客様が満杯に入られたことで、響きがより悪くなり、
ベストの音を聴いていただけなかったのが申し訳なかったです。

ジャズやミュージカルも喜んで頂きましたが、
私のスタンスとしてやはり一番大切なのは
クラッシックの本質を失わないこと。

ショパン(英雄ポロネーズ)、リスト(ラ・カンパネラ)、サラサーテ(ツイゴイネルワイゼン)、ヨハン・シュトラウス(春の声)等等、
がっつり超絶技巧を聴いて頂き、
余り知らない人にもクラッシックの楽しさを、
少しは知っていただけたかと思います。

食わず嫌いの方々にも、
クラシック音楽を知っていただくようなこんな企画つくりに、
今後も力を入れて行きたいと思っています。


 2011年6月11日(土)
 No21 発声用語

発声工房では、1期を8回とし
一回ずつテーマを決めて講習を進めています

1回目は「発声とは」
      私の発声へのアプローチの仕方
      (発声についての考え方)について

2回目 「発声器官」について

3回目 「ブレス1」

4回目 「ブレス2」……と言う内容で

早くも半分終わってしまいました。

次回からは後半として「響き」についての講義に入っていきます。

どの内容も大学の声楽科などで勉強した場合
入学前から勉強し始めて、卒業後も何十年と
勉強し続けなければならない骨の折れる内容。


こんなに簡単に進めてしまって良いのだろうか…と
一時悩みましたが

一つの事に時間をかけても
なかなか納得行くところまで行き着くことではなく

又、短期間で全部をきっちり理解する事は不可。

却って、「なんとなく分かるということ」をず〜っと続けていくことの方が
大切だろうと考え、この内容で進める事に決めました。

今のところ、お陰様で、受講者の方々 たいした混乱も無く
私の発声法を理解して楽しんで下さっているようです。

発声を指導していて一番困るのは
受講者が言葉により発声の混乱を起こしてしまう事です。

発声用語として、
誰でも知っている言葉では、
「口を開ける、息を吸う、吐く、力を抜く、声を当てる、響かす、飛ばす、腹筋を使う、体から出す」など

又、少し進むと「落とす、曲げる、拡げる、引っ張る、放す」など

発声の勉強時に使う言葉は
余りにあいまいで、勘違い誤解しやすいのです

指導者は この混乱を招き易い言葉を徹底的に吟味し使い、
又受講者はこの奥深い言葉を
安易に解った気分で捉えない事が大切です。

私は言葉から受けるイメージの誤解によって
混乱し歌えなくなる人を沢山見て来ました。


 2011年5月20日(金)
 No.20 発声工房


長い間ブログを中断しておりました。

実は、4月より宝塚市の「宝塚(ソリオ)カルチャー+」にて
「山本のりこの発声講座」を受け持つことになり
6月19日に行われる 西宮市共催「グループ・WAON父の日コンサート」のことも有り、その準備に集中する為
ブログを一旦後回しにさせて頂いていました。
大変 申し訳ありませんでしたm(_ _)m

さて発声講座ですが、今回は市側の担当者と相談して講座内容を
決めさせて頂きました。

結果、「主に合唱を歌うために役立つ自然で伸びやかな声作り」を
講座内容にしようと決めました。

そして発声というと 割合 抽象的な講義が多いので
今回は出来るだけ、具体的、解剖学的な内容で進めようということになり
「発声講座」ではなく「発声工房」という 、何か「工作」をイメージするような講座名にしました。


カルチャー+の各講座には、旅行会社のツアーのように最小催行人数と言うのが決められていて、
相談の上「発声工房」は10名と決めましたので
開講が決まってからも、いい所12〜3名集まればいいねと話していましたが、

ふたを開けてみると なんと30名の参加者がありました。
歌は全く初めてと言う方も いますが
3分の1は10年以上歌っているベテランの方々で
人数の多さにビックリ


でもこの結果から、やはり発声で悩んでいる人が多いのだろうなと…

発声はやればやる程難しくなる。どんどん疑問の深みにはまっていくので、私もあがいている時は、ワラをもつかむ気持ちでした。
そしてその辛かった気持ちを思い出すと共に
私の経験が少しでも皆さんのお役に立てるような内容にしたいという
思いを 新たにしました。

クリスタルの皆さんにもその内容をブログにアップさせて頂き
少しでも参考にして頂けたらと思っています。


 2011年3月26日(土)
 No.19 私も?歌のルーツ5


(No.16より続く)

中2の時、フェスティバルホールでの演奏は
よくも悪くも私に大きな影響を与えてくれました。

それまで何の気なしに、呑気に歌っていた私。

団伊玖磨作曲 歌劇「夕鶴」の子役のソロを任された私は
その怖さも知らずに練習に入りました。

そのころは、先生が柔らかい声で歌う事を教えて下さっていたのですが、
若気の至りでそれでも結構ガンガン声を出していたので
色々な会場でソロを歌っても結構ボリュームがあり、
自分の声がまさか会場のステージ上よりも前に飛ばないなんて
思ってもみなかったのです。

高い音なら、それ相応に聞こえたと歌いますが
私が歌う所は、わらべ歌の部分、
「♪ラララーソ ラララーソ」と歌いだすので、
それでなくとも子供の声は中音が鳴らないのに
私の声はリリコレジェーロという、大変軽い細いソプラノなので、
全く中音が鳴らず、
広いフェスティバルホールの舞台の中央あたりで
「♪カゴメカゴメ」をしながらそれを歌った時、
舞台よりも前、オーケストラピットまでも届かなかったのです。

一回目のリハが終わった時、
ぼんやりでは誰にも負けないさすがの私も
、目が覚めました。
「どうしよう全然前に飛ばない」

泣きたい…誰か代わって〜!!

そこで仕方なくぎゃー〜と声を絞り上げ、声はひっくり返りながら
気持ちは必死でした。

「つう」に扮した伊藤先生がニヤっと笑われたように思いました。
先生は、中音の発声の難しさを知っていらっしゃいますから…

勿論その頃は私が音大で伊藤先生にお世話になる事になる…なんて思っても無かったですが、子ども心に
「ほらご覧、『歌』って難しいでしょ!」と言う目を向けられたように感じました。

それまで歌うことで恐怖を味わったことが一度も無かった私。
この日が、歌での恐怖の始まりでした。

こんなに喉を絞り上げて良いはずがないと判っていました。
なのに絞り上げないと聞こえない。
中音は、今までの発声ではどうにもならないと分かったのです。

歌の先生が「是非本番聴きに行くわね!」と嬉しそうに言われました。
でもリハーサルでの余りに不甲斐ない自分、
聴くに耐えない窮屈な声を聞いて欲しくない。

一生懸命に柔らかく歌う事を教えて下さってる先生に申し訳なくて
泣きながら「聴きに来ないで下さい」と訴えました。
先生はリハーサルのいきさつをご存知無いので
なんで〜?」と腑に落ちないようでした。
私はいたたまれなくて、無言で泣き続ける他有りませんでした。
先生はがっかりされたようでしたが聴きには来られませんでした。

今になり、「先生は、弟子の晴れ舞台を楽しみにされてたんだろうな、
本当に申し訳無かったなあ」と思っています。
                          …続く


 2011年3月9日(水)
 No.18 イスラエルで感じたこと


2月下旬から、イスラエルに行ってきました。
そういうと 「何でまたイスラエル?」 とほとんどの人は聞き返します。

勿論物珍しさからのツアー旅行ですが、動機はそれなりにありました。

昨年エジプトのシナイ山に登り、モーゼの世界に浸り大変感動を受けたので、次はもっと聖書の世界に浸るため是非イスラエルにいってみたい…と
思っていたのです。(念の為、私はキリスト教徒では有りません)

シナイ山はエジプトとイスラエルの中間であるシナイ半島に有り、それは厳しい砂漠地帯の真ん中。夜中の2:30にたたき起こされ宿を出発。

星空の下、ふもとからラクダに乗り1時間半、中腹まで登ったら、そこからはラクダも上がれないので、徒歩で1時間半、きつい坂道を登りました。

頂上は氷点下でしたが、世界中の人の祈りの場でした。
ヘブライ語はじめ色々な原語が飛び交い、あちこちから祈りの歌が聞こえて来ます。旋律は全く民族的なものや、お経に近いようなもの。

でもその歌声は、何かに取り付かれたように一心不乱で、口を挟む余地は有りませんでした。

6時前にご来光…となったのですが、そんなお祈りの旋律を聴きながら朝日を待つ時間。こんなに充実した時間は有りませんでした。
そして素晴らしい朝日。人生観が変わるほどの強烈な印象を受けました。

それでいつかイスラエルにも是非行って見たいと・・・が、

大変!!ジャスミン革命でエジプト大混乱。
このままでは、イスラエルも危なくなるかも…と思い、急きょ決行。

運良く、無事に帰ってこれました。
イスラエルでは、ナザレから始まりガリラヤ湖畔、エルサレム、ベツレヘム、死海、マサダなどたくさんの聖書の場面を廻りました。

どの場所も何かとても「暖かい感じ」を受けたのです。

旧約の人々、バプテスマのヨハネ、イエス様、マリア様、12使徒等々にゆかりの教会や場所も、くまなく廻りました。
ゴルゴダの丘や、ゲッセマネのように生々しい悲劇の場所も(−−!)

イメージでは、ヨーロッパの権威的な特にバチカンのような、そんな雰囲気を感じるのだろうと予測していましたが、そういう場所も全て、何かホンワカした暖かい空気を感じるのです。

春で気候が良かったせいもあったかとは思いますが、巡礼の人で大混雑していた聖墳墓教会のイエス様のお墓も、最高の悲劇の場所のハズなのに、何だかホンワカ暖かいのです。 何故だかは今でも判りません。

でも、いさかいの絶えなかった人間の歴史の中で初めて「愛」を説いたイエスの心を、私なりに感じているのかしら??なんて事を思いました。

そしてあらゆる教会の中で聞いたグレゴリオの旋律。
勿論音楽家が歌っているわけではなく、一般の信者さんが歌うのですが、
それは本当に崇高に聞こえました。特に聖墳墓教会で聞いたものはシナイ山で聞いたもののように祈りそのものでした。

「暖かさと愛」を感じた今回の旅。
2000年経った現在、世界のあちこちでいさかいが有り、イエス様はどう思っておられるかしら…と思うと複雑な心境でした。


 2011年2月7日(月)
 No.16 教会演奏会
                                   


今年も8月に教会での演奏会が決まっている。
いつも教会で歌う時に思い出すのは、ドイツでの経験。

どこの町でも、当たり前のように教会で演奏会が行われていて多種多様。
超一流の世界的演奏家の演奏会から、クラシックを知らない誰にでも親しまれるような軽い演奏会まで、毎晩のようにどこかの教会で演奏会が開かれていて楽しい。

一流演奏家の演奏会は、大都市に行かなくてもほんの近くの、いつも通っているような教会で聞けるわけだから、とても身近で… 勿論大ホールでの料金より割安だし、チケット売出しと同時にすぐ売り切れてしまう。

コンサート当日の教会の周りには、キャンセルチケットを求める人が、お昼過ぎから教会の前に列を作る。私も何回か並んだ。(残念ながら、それでもなかなか切符にありつけない)

小さなオルガンコンサート等は、来場者は少数だが、アットホームで静かな夜を過ごすのに一番!演奏家は皆自分をわきまえていて、おごりがない。

世界的な演奏家でも、どんな小さな教会で演奏する時にも、地域の観客に充分な敬意を払う。
少なくとも自己満足、自己中の演奏にはお目にかかったことがない。
そんな風に本物のクラシック音楽が身近で、羨ましい。

日本では演奏する方も聞く方も、クラッシクというと途端に気難しくなる。
演奏の中身より、何をどれだけ知っている、どこでどれだけ勉強した…が重要と とらえられる。

勿論 私たち演奏家は、最終的には聞く耳がある人の耳に胸を張って訴えられるような音楽を目指さなければならない


けれど、演奏者の傲慢が、日本でのクラッシク音楽の土壌を不確かなものにしてきたことは事実。今でもそのような演奏会に度々出会うのが心苦しい。

私はこんなに上手い。私はこんなに凄く勉強した。どうだ我々はすごいだろう!私達は、あなた達音楽を知らない人たちとは違うのよ…!と言うような演奏家の演奏は、どんなに上手でも鼻について二度と聞きたくない。

特に教会では、そういう演奏会はごめんである。 

 
 2011年1月22日(土)
 No.15 私も歌のルーツ4 歌のレッスン徒然5 


 最近発声を習った人は声帯を引っ張るとか声帯を下げるとかいう言葉を必ず習っていると思います。
 いくらのどを絞めない自然な声を出したいからと言って、
声帯を使わないでは歌えません。ではどのように声帯を使うか?
その事を発声用語で「声帯を引っ張る」とか「声帯を下げる」とか
いいます。

私は、6年生で初めて発声らしきことを習いましたが、とてもまじめな先生で熱心に教えてくださいました。
地声で歌っていた私に先生は、力の入らない自然な頭声を教えようとされていたと思います。

ただ、私が余りにも若すぎました。
力を抜く大切さはなんとなく判りましたが、それが具体的に一体どういうことか、どうする事か全くわかりませんでした。
だから、「のどに力を入れないで自然に」という言葉は当時の私の頭の中では「地声」に対する「裏声」でした。「頭声」と「裏声」は声帯の使い方が全く違うのです。
そしてその頃はまだ声帯を引っ張るだの下げるだのという事がいかに大切であるか、ほとんどの先生が指摘されていなかった様に記憶しています。

変声期でしたから無理なことをしようにもできず、自然に裏声に転換しました。裏声は声帯を引っ張って(下げて)いない状態の声です。
高い声は出易くなりましたが、声量が落ちました。
でも合唱はとても楽しかった。

また発声の先生は、ソルフェージュ指導にも大変熱心でした。
音程リズムの全てを…それはそれは厳しく指導されました。
お陰で私、初見能力の基礎をみっちり教え込まれ、今本当に感謝しています。

もともと人前で平気で歌えたこと。初見が速く、思い切って歌えたので合唱団ではソロもさせて頂き、歌う楽しさを満喫させて頂きました。

合唱団の先生はお2人でしたが、大変ハイカラな方々でした。当時高木東六氏のような雰囲気を感じていました。
教えて頂いた曲もとてもハイカラ。西ヨーロッパのおしゃれな軽やかな音楽!
童謡ばかりならっていた私は珠玉の曲の数々に完全に心を奪われてしまいました。

その時に身につけた音楽観が、今の私を形作っています。
合唱団の先生は、私の音楽に決定的な影響を与えて下さいました。
音楽は透明で、おしゃれでなくちゃ!〜という音楽観

そして、フェスティバルホールで夕鶴のソロを歌うことになった時、裏声ではホールの後ろまで声が届かないことにいや応なしに気づかされてしまいました。
                …続く


 2011年1月10日(月)
 No.15 歌のレッスン徒然4


歌のレッスンに来られる方は、当たり前ですが歌うことが大好き、そして少しは自信があるか又は「昔はうまかった」という記憶があり、もっと上手く歌いたい…と思っています。

ところが悲しいかな勉強すればするほど自分がいかに下手か判ってきます。

何十人に一人、いくらやっても自分が下手な事がわからない人がいますが、これは発声の先生にとって最も難儀な人です。
楽器が誰でもすぐには出来ないのに対し、歌は声さえ出ればすぐ歌えるので簡単なこと…と勘違いしやすい。(例 No.4 暗中模索は声楽用語)
泳ぐのは難しいけど、歩くのは簡単…と思えるのと同じです。でも変な歩き方のせいで腰を痛めた人の歩き方を直すのはとても難しいでしょう。

その時痛いと感じている人はまだましです。
無理にでも歩き方を直そうとしますから…
痛いという自覚のない人は、周りがいくら忠告しても直すことが出来ません。
だから「発声が悪い=上手く歌えない」という気づきが大変大切なのです。(例 No.8 歌のレッスン徒然1)

そんな事を言うと、『歌を習うときは謙虚に、自分は下手だと思えばいいんだな…』と思うかも知れません。
では、謙虚でなく本気で「本当に自分は下手だと思っている。だからもう歌うのをやめます。」という人はどうか?
事実私は、「こんなに下手なら歌を辞めるしかない…」と本気で思っている謙虚な悲観主義者を何人も教えました。
でもこの考え方はどうでしょう。

歌が上手いか下手か、声が綺麗か汚いか…これを決めるのは誰ですか?
歌い手であるあなたが決められる事ですか?
聴いた人しか決められないのではないでしょうか?観客、お客様、聴衆?つまり歌い手であるあなたではなく、聞き手の聴衆者が決める事でしょう!

発声を習いに来る人は皆まじめなので、シャカリキになると、そのところを見失う人がとても多いのです。
「耳で聞いても…」と言う三重苦を思いだしてください。
自分の歌は決して自分では判断できないと思っていいのです。

「自分の歌が上手いか下手か?」それを自分で判断するしようとする人に対し私は、「自分の歌が上手いと思う人も下手と思う人も、実はどちらも歌に対して傲慢なのではないか!」と考えています。
そう思うとお客様は掛けがいのない先生です。だから余計演奏をして聴いてもらわなければならないと思うのです。歌を上手くするには、理性的な判断力が必要なのです。    
                                …つづく   


 2011年1月1日(水)
 No.14 私も?歌のルーツ3

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、新年を迎えて一番に思うことは
この歳になってもまだ
「去年より少しはマシに歌えるようになったかな…(嬉)」という実感を、今年も持ち続けられるだろうか…という事です。

ドミンゴ氏の言葉を借りると「一生に出せる声の量は決まっている」のだそうです。
私は若い時にほとんど歌わなかったので今でもまだ何とか歌っていけるのだろう…とは思いますが、やはり寄る年波にはかないません。
体もあちこちガタが来るにつけ「今日はちゃんと声が出てくれるだろうか…」と当然ながら、演奏前の不安はだんだん強くなります。

しかし私は20代の時「歌声」を失って苦しい時期が長かったので、『声が出て思いっきり歌える喜び』を、誰にもまして感じます。
昨年暮れに、大阪と神戸で3度「クリスマスパーティ」での演奏をし、マスカーニ「アベマリア」、ドニゼッティのオペラアリア「この目に騎士は…」、フォーレ「ピエイエズス」、ロッシーニの歌曲等数曲を歌いました。
どれも大曲なので、声がもつかなと思いましたが、歌い切ることができ、お客様にも大変喜んで頂けたようでしたので、ほっとすると同時にこの調子を維持する体調管理の必要性を痛感しています。

そして、この幸せを享受できるようになったのは、自分が身につけてきた「発声」のお陰だと思っています。中学校に上がる前からこの「発声」への旅が始まったと思うと自分の人生のほとんど全てが発声探しであった訳で、感慨深いです。

不器用な私は「発声」を身につけるのに長過ぎる時間を費やしてしまいましたが、今でも歌う喜びを味わうことが出来るのは、本当に有り難いと思います。

地声で「童謡」を習った子ども時代、ドから上が出なくなった変声期、裏声らしき声(当時は発声について全く何も判っていなかった)を教えてもらいハーモニーの喜びに浸った中学時代。
いつも私は何も考えることなしに歌を楽んでいました。

…が、14歳のある日、地声でも裏声でもない発声があることに気づいたのです。
それは万博記念にフェスティバルホールで行われた歌劇「夕鶴」にNHKの合唱団から子役のソロとして出場する事になった時でした。実に不思議なご縁でしたが、この時に「つう」を歌われたのが、のちに私が歌を習うことになる伊藤京子先生でした。
                  …続く



次のページ>>もくじ
 2010年12月26日(日)
 No.13 今年も有り難うございました

今年も残りわずか。いろいろなことがありましたが       
天中殺と大殺界のダブルパンチ!?の割にはとても良い年になりました。

なによりも嬉しいことは良い出会いがたくさんあった事。
クリスタルにも新しいお二人のメンバーが加わりましたが、
中川智子宝塚市長さん、宝塚文化振興財団、NPO法人の方々、オルガンの瀬尾先生、1/13の伴奏を急にお願いしたにも拘らず快諾頂いた上田先生、島根大学特設音楽科の教授先生方等、とても心強い方々です。

又昨年から引き続きベガコンクールの審査員の先生方との出会いも大変楽しいことです。

個人的にも、旅行で偶然知り合って音楽につながった武中さん、
米山さん(芦屋教会有り難うございました) 
ルネサンスの花井先生、松江にはご一緒できませんでしたが同門だとわかった宮脇さん…等々思いがけない出会いもたくさんありました。

でもこの出会いが出来たのも今まで支えてくださった団員の方や 教えて下さったお師匠様方、お世話になった全ての方々のおかげです。

クリスタルのメンバー一人ひとりは、皆とてもおとなしいように見えますが、地に足ついたしっかり型の人が多いので、ゆっくりですが着実に土台を固めていくことが出来、その結果が今につながっていると思います

ゆっくり(時には大変ゆっくり)そして着実に…このことは、私の歌のルーツから全く変っていません。
要領は悪いですが、悩んだり苦しんだりしながら、新しい発見をいろいろな方々から頂戴し、今までやって来れたことに心から感謝して新年を迎えたいとおもいます。

来年はすでに又たくさんの新たな出会いが有りそうです。
楽しみにして、その楽しさを皆さんにも少しでもお裾分けができたらいいなと思っています。

音楽は「音を楽しむ」 でも楽しむために苦労をいとわない…今後もこの方針は変りません。
不器用な私ですが来年もよろしくお願い致します(_ _)
                                    



 2010年12月8日(水)
 No.12 私も?歌のルーツ2

 (「私も?歌のルーツ1」から続く…)

 中学入学直前に私の人生に大きく関わる3つの出来事がありました。
ひとつは、無口な私がおしゃべりになったきっかけです。
ある日 大人たちが話しているのを聞いてしまったのです。
「黙ってて得する事は、何もあらへんな…」子ども心に凄い衝撃でした。
今考えると、きっと何か、私には全く関係ない事柄への感想か何かだったのではないかと思うのですが、そのときはまるで私に投げかけられた言葉のように感じたのです。「そうなんや、それでみんなおしゃべりするんや。」と気づいた?のです。今考えるとそれも変ですけど。今も昔も単純過ぎる私です。

とにかく、「言葉で何か意思表示をしなくてはならないんだ…」と気づいた記念すべき日?でした。
それで今こんなに 『言葉で失敗する大人 (><!) 』 になってしまいました。
(苦笑) 昔の私が懐かしい〜。

さて次に起こった重大事件は、合唱団を変えた事です。
難波は余りにも遠く、歌の先生が NHKの放送合唱団員だったおかげで
その時ちょうどNHKの児童劇団と児童合唱団の入団試験があると聞き
受験しました。母は自分が若いとき素人劇団で楽しんだ記憶が有り、
私に劇団に入って欲しかったようでしたが、面接時に一言もしゃべらないので当然不合格。
残念ながら一足違いで「おしゃべりは得?」に気づく前だったのです。もしこの受験時に「おしゃべりは得」に気づいていたら、私は今歌って無かったかも…と思うと不思議な感じがします。(劇団は、次の年 3才違いの妹が合格し母の思いをリベンジしてくれました。)
 私はと言うと、劇団落ちのあとに受けた合唱団の方、何か1曲歌って(曲名は覚えなし)、ちょっとした音感テストのようなものがあって合格。それからの私はハモる楽しさから逃れられない「ハーモニー中毒患者」になってしまいました。

その時に一緒に歌った仲間達は今でも私の大切な友人です。その友人達は全員とてもユニーク。 ユニークを超えて皆 超変人?!
無口で消極的、どこから見てもおとなしいだけの私が今の私に変身する「性格形成」に大変大きな影響を与えてくれました。

そして3つ目の重大事件は、「発声」を変えたことでした。(続く…)


今井彩香(ピアノ)

京都市立芸術大学卒業。
2002年、ベガ学生ピアノコンクール高校生部門第3位。
2005年、同コンクール大学生部門奨励賞、2008年同部門2位、2004年、音楽会ピアノコンクール銀賞、2007年、 ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団と共演、
これまでに、山本のりこ、松井和代、赤松林太郎、岡田敦子、松田康子の各氏に師事。