1 画数を明示して各文字を収録しているのに、親字として掲げられた字がその画数では書き表せない場合がある(木部8画「棄」、木部4画「柿」(こけら)、艸部8画「 」〈長い横線が一本につながっているので7画となる〉)。これは、文字の配列を決定した者と、製版のための版下を書いた者との意思の疎通が不十分だったためかと思われる。
2 同一であるはずの構成要素の画数が違う場合がある。流は水部6画だが、疏・硫・琉はそれぞれ各部の7画とされている。流については、序文では7画の字体や別字体が使われている(「『棄』をめぐる混乱」参照)。
3 他の字書を引用している部分で、引用の際に字形を誤ったものがある。
例:木部4画の(こけら)の解説で、説文解字の「削木札樸也」という定義が引用されているが、それに続けて「从木朮声」とある。右肩に点のある朮は、術や述の構成要素であり、音はジュツ。の旁(音ハイ)とは全くの別字で、康煕字典作成時の転記ミスである。またこの後に「柿」という字体が掲載されており、正字通の「同」という記述が引用されているが、このにも肩に点がある。
雅 | 芽 |
4 「雅」「芽」など「牙」を構成要素とする文字の親字の表記が、右図のような異体字となっている(「牙」「邪」は通常の字体)。この異体字は説文解字の篆文に近く、その意味では由緒ある字体だが、説文解字では「牙」「邪」も同字体である。つまり、康煕字典の親字の字体に、同じ構成要素の場合も不統一が見られる。
芽については、本文(引用文)中の字体は通常の字体となっているが、これは引用元の字書類の字体を尊重したものか。ただし、白川静「文字答問」(平凡社)によれば、他の辞書からの引用文に使われている字形は、その辞書で使われている字形ではなく、康煕字典編者が置き換えたものとなっている場合が多いとのことである。
5 親字ごとに、過去の字書をはじめとする文献での記述を列挙しており、説文解字・集韻・玉篇・正字通などは多くの字で引用されているため、これらの字書に記載された文字の解説はすべて康煕字典に引用されていると思いやすい。しかし、「疏」に関する正字通の記載は、引用されていない(正字通の記載については大漢和辞典で確認できた)。
それまでの主な字書の内容のすべてを集大成している、というわけではないことに注意する必要がある。
・「棄」字について、木部8画に配列されているが、その字形は9画でないと書けないものである(「『棄』をめぐる混乱」参照)。
1 肺・沛・旆の3文字(いずれも音ハイ)の篆文において、(4画)の字形が、柿・姉の旁と同じになっているが、正しくはであるはずである(「『柿』と『こけら』」及び別掲「肺や沛(音ハイ)の篆文の旁には中央の横画が無いとする根拠」参照)。この問題は、「字通」「常用字解」にも共通であり、最新の「字通 普及版」(2014年)でも同様である。この件について、字通の校正を担当された田中栞氏の口添えを得て平凡社に連絡した結果、「今後、重版の際に、段階的に訂正していきたい」との回答を得た(2015.1.26)。見ず知らずの筆者の突然の依頼に、快くまた迅速に対応していただいた田中様に感謝します。
なお、字統の凡例によれば、篆文の字形は「説文解字篆韻譜」(南唐 徐 )所収のものとされている(版の記載はない)。そこで、筆者が同書(天理図書館善本叢書第6巻 元刊本影印本、八木書店 1981年)を参照したところ、肺及び「こけら」は予想どおりに従っていたが、沛・旆などは正しくに従っていた。前者のグループは去声の「廢」の部、後者のグループは「泰」の部に属しており、何らかの理由により廢の部のものについて誤って記載されたものと思われる。
字統などでは前述のとおり廢・泰両部の字がともにに従っているが、この異同については、編纂時に引用した篆韻譜と上記のものと、版が異なるために生じたものと思われる。
このような貴重書であればなおさら、版ごとに異同が生じている可能性が高い。引用する際には版に関する情報も明記する必要があると思い知った。
2 「 」(ハイ)と「沛の旁」は篆文としては同形のはずであるが、字統の解説では、前者は「草木の花の咲き出る形」、後者は「木の葉の茂るさまをいう字で、勢いの盛んなものをいう」とされている。花と葉では、同じものとは言えない(「『柿』と『こけら』」 参照)。
3 「含」について、「載書のうえにふた(今)を置いて、呪能を内側に含ませること」とあるが(旧版も同様)、「常用字解」では同字について「今と口とを組み合わせた形。(中略)含は人が死亡したとき、その死気が抜け出ることを防ぐために玉を口に含ませて蓋をすること」とあり、さらに字通では「含は含玉の意であるから、今を口に加えて、死気を遮閉する意とみてよい」となっており、口について解釈が一定しない(漢検漢字教育サポーター養成講座レポート 漢字学各論Ⅰ 参照)。
同様に、「屋」に含まれる「尸」についても、字統では旧版、新訂版とも「尸は屍(しかばね)の象である」とされ、常用字解では「屋根の形であろう」とされている。一方、字通では、説文解字の「尸は主(つかさど)るところなり。一に曰く、尸は屋の形に象る」を引用するのみである。
常用字解の執筆にあたって字統(旧版)を参照しなかったとは考えにくい。また、もし字統(旧版)から常用字解執筆の間に著者の見解が変化していたとすると、その結果は当然、新訂字統に反映されたはずだと考えられる。新旧字統の見解が同じで、その中間に発表された常用字解の見解が異なっているという現状は、不可解と言わざるを得ない。
4 それぞれの親字には、甲骨文・金文・篆文等の古代文字の字形が記載されているが、存在するもので最も古いものは当然掲げられているものと思っていた。
ところが、落合淳思氏によると、「甘」「名」については、甲骨文があるのに記載されておらず、そのために字源の検証も誤っているとのことである(「落合淳思氏の白川文字学への批判について」参照)。
筆者が、「古代文字字典 甲骨・金文編」(城南山人編、マール社)により確認したところ、字統が採集対象とした中国科学院考古研究所の「甲骨文編」、金祥恒の「続甲骨文編」等に、甘・名の甲骨文が存在した。
また、「将」についても、字統は篆文のみを掲げているが、落合や「漢字古今字資料庫」(台湾・中央研究院Webページ)は甲骨文が存在するとしている(「『ノツ』というかたち」及び次項参照)。この字については、字統が採集対象とした字書類にも載っておらず、遅れて発見された字のようである。
上記の例はたまたま見つかった氷山の一角かもしれず、甲骨文や金文が記載されていなくても存在する可能性があることに注意が必要である。
5 「召」について、「卜文・金文の字形は明らかに人の降下する形である。」とあるが、掲出されている甲骨文のうち召の字体のものは、明らかに刀に従っている。凡例によれば甲骨文の字形は「甲骨文編」等からとっており、この甲骨文編等が、白川氏の見解と違って召字は刀に従うものとしていることによると思われる(拙稿「『召』の上部は『かたな』か『ひと』か」参照)。
筆者の見解と引用資料が整合していないという問題である。
6 当然収録されるべき字が収録されていない場合がある。筆者が気付いたものは、「騙」「尻」「茨」「痔」の4文字だが、他にもある可能性がある。
このうち、「尻」と「茨」は常用漢字であるので、姉妹編の「常用字解」(第二版)には載っているかと調べると、ちゃんと載っていた。常用漢字は数に限りがあるので、常用字解の編集の際には全てが載っているかどうかを確認したのであろうが、字統はそういうわけにはいかず、白川氏から渡された原稿をそのまま編集したのであろう。
なお、「茨」「尻」の2文字は2010年に常用漢字に追加された字で、常用字解の初版(2003年)には載っておらず、字統の新訂版(2007年)の時点でも常用外だった。
画像引用元
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
JIS規格外漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)
小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)